風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

こども

2007-11-11 12:20:03 | 徒然
 子供は覚えるのが早い。

なんでだろう、と考えてしまっているほんです。

それはまぁ、例の会社の女の子と出会って、
彼女は全く仕事の中身を覚えようとはせず、でもやりかたはキチンと覚える子で
実はそのスーパー事務員さんの作ったマニュアルにかなり忠実にやっているため、
仕事の処理スピードは速いのです。


また、そのスーパー事務員さんが、なんでこうなるのかを言うところはキッチリ
教えてあげているらしく、その子が言うことはとても理屈が通っている。

って、詳しく具体的に書けないんだけどさ…。
そこが私の弱いとこだよね、読んでるほうは何を言ってるのかわからない。

…そうなのだ、
こどもも大人も、わかるように表現することが大事なんだよね。
だから「これじゃわからない」と思ったら、どんなに中身が素晴らしいものでも、
相手に伝わらない。
だから、シンプルに分かりやすく、
「めんどくさ」と思ったら、その声をそのまま受け止めることで、
新しい表現ができる。


 楽器の演奏も、大人よりこどもの方が習熟が早いのは、
「素敵だな、こんな風になりたいな」という思いがとても純粋で、
「あんな風に弾くためには、こうすれば上達するんだよ」というのを
理屈ではなくて、こどもが興味をもつような形で表現してあげれば、
言われなくても、すいすい覚えていくんだと思う。

んで、それはきっと大人になっても同じことで、
「やっぱよくわかんない」と思ったり、
「この人の話なげ」と思ったら、
どんなに素晴らしいことを言っていても
もう中に入ってこない。

だから表現は周囲や自分の感覚や反応を受け止めたものをベースにして、
どうしたら分かるかを単純に自分で答えを出してみて、
じゃあどうすればその表現ができるか、その為には何が必要かを頭で考え計画して
実際に行動に移すことで実現する。

 
 例えば、「悲しい時に泣く」事。
悲しいことがあれば、泣きたい気持ちになる。
でも我慢してたら、周囲には伝わらないし自分もつらい。
そこで「泣く」という表現をすれば、

「何かあったのかな」と周囲も自分もわかる。
理由はわからなくても、結果、泣いてるわけだから、
「今、悲しいんだな」と。

「ああ、何か涙が流れるようなことがあったんだな」
「悲しいことがあったのかな」

「どうしたの?」

そうやって、周りに伝わるんだ。
そうやって一人の世界から周りの人と繋がることができる。

そこで、気付いてもらえなかったらとか、
そういうことを考えると、
泣くのがムダなことだと思ってしまうけど、
でも、
それは自分の為に、「ああ、今私は悲しいんだな」と
自分で自分を知るためにも必要なことなんだ。

それはその後「どうするか」は自分だから。


 こどもはそんな理屈はわからずに生きているけど、
安心してワガママに泣いたり笑ったり怒ったりしながら密度の濃い時間を
ものすごいスピードで日々成長していくけど、

それは大人がそんなこどもを受け止め、「いいよ」と守ってあげているからで、
でも守られる必要があるから守られている。

もし、こどもがそこで自分のありのまんまの感情を殺さなければならない
環境があったとしたら、それは周囲から見て、一見何の問題のないように見えても、
実はその子の中には孤独を抱えているんだ。

自分が、そうだったからよく分かる。
自分の性格や思いを私はつい否定してしまうクセがあるけど、
それはきっと小さい頃からしみついたクセなのだと思う。
だからその「わかってほしい」エネルギーの噴出する先が、
絵だったり、文章だったり、音楽だったりするのかなと思う。
まぁどれも習熟度は中途半端だけどさ(笑)。
だからこれからキチンと説明する言葉や手段を覚えていきたい。
誰もがわかるような共通する言葉やものがあるってことを
認識した上だからこそ、覚えようって思える。


 「なんでそんな風に思ってしまうの?」
じゃなくて、私はそういう寂しさを抱えた人間なんだと思う。
でも、だからこそそれを乗り越えたいと思う。
だってずっと寂しいままじゃいやだもん。
だからどうやったら自分を表現できるかを探して
デザインや建築や設計や…
ジブリやバイオリンやピアノや歌や映画の世界にその方法を求めたんだ。

 一つ、続いていることとしてこのブログがある。
このブログをやっているおかげで、タイピングが速くなった。
それは仕事にはとても役に立っている。
ただそれだけのことなんだよね。
考えてできるようになったことじゃない。
それが現実の社会で役に立っていることは、とてもラッキーなことなだけ。

 建築や設計、デザインに興味があるのは多分、今就いている仕事には
とてもアドバンテージがあると思う。
だって、単なる事務作業とは思わないんだもん。
ただ、その興味が直接お金に繋がるとは思ってないし、
興味があることが邪魔になることもある。

でも、よい品質を求めていることが私の根本にあるから、
仕事にかけるその思いは多分誰にも負けないと思う。
それってすごいことじゃんって思う。
まだ形には全然できてないけどさーーーー(泣)
それがもどかしい。

 いい仕事をする根本が私の興味関心事が元になっているなら、
やっぱ、仕事だけじゃなくて、私自身が成長しなければならない。
だから「自分を磨く」ことが意味のあることなんだ。
料理でも、歌でも、お茶でも、お華でも、日本画でもデッサンでも、
歴史や社会のシステムを覚えること、
ファッションセンスを磨くこと、芸術に触れること、
好きな本を読むこと、文章の書き方を学ぶこと
世界を知ること…
そして色々な習慣を身につけてしまうこと。

それが自分にとって必要なこと。

 私が自分でよく思うのは、こうやって、頭では
理屈は大体最初にわかってるんだなぁということ。
そんな風に分析できることは一つ、優れていることなんじゃないかと
自分でいうのはタダだから、思います。
だけど、全て見えてしまっている、見えているように思うために、
臆病になり、二の足を踏み、その場にとどまってしまう。

実際にやってみたらまた、全然違う世界が開けるかもしれないのにね。

失敗が怖いんだな。
傷つくのが怖い。
それは傷ついたときに、受け止めてくれる人がいるかどうか不安っていう…
やっぱそこにいきつくんだ。

自分と周りを信じよう。
それがまず一歩踏み出す勇気だ。
私が成長するために必要な一歩。
たとえ傷ついても、孤独を感じても、決してひとりじゃないこともまた、
事実だということを、学んだから。

大丈夫だ、思いの強さがあれば、必ず自分の道は開ける。

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