昨夜、22時頃、飲み会から帰る途中、自宅からの着信があり、
母から留守電が入っていた。
「あの、お母さんだけど、J子おばさんが亡くなったの。気付いたら電話ください」
おばさんの死はあまりに急なことで、唖然としてしまった。
J子おばさんは父の姉で、5人兄妹の上から二番目のお姉さんだった。
すごくしっかりした人で、自分のことよりもいつも周りの人のことを考えている人だった。
中卒で働いて、旦那さんであるS叔父さんと結婚して材木屋をやっていた。
その材木屋は設計事務所でもあって、今私たちが住んでいる家もおばさんのところで設計してもらい、おばさんの知り合いの大工さんに建ててもらった。
だからうちの家はそんなに斬新なデザインなどではないけれど、
しっかり造ってある木の家だ。
また、数年前に新築したおばさんの家はまるで旅館か料亭のようで、平屋建てで木のサッシだったり、薄い木のふすまだったり、節のない杉を長押にしていたり、とにかく木のぬくもりのする家だ。
私が木造好きなのも、おばさんの影響が強い。
J子おばさんは、とても厳しくて優しい人だった。
身内なのに、会う時は結構緊張したりして…礼儀やなんかに厳しい人だった。
お小遣いも、必要以上にくれなかった。
低いハスキーな声で笑う、かっこいいおばさんだった。
「なっこは最近どうなん?」っていつも気にかけてくれていた。
最後に話したのは、私が建築の勉強をしようと進学を考えている時だった。
今年の2月だったかな。
「設計の仕事や建築関係は厳しい世界だからやめたほうがいい」そんな電話が最後だった。
でも従兄弟が通った専門学校の情報をFAXで流してくれたり、
私が南青山の設計事務所の面接を受けた時も、色々と心配してくれた人だった。
今愛用しているPRADAのトートバッグもそのJ子おばさんが買ってくれたものだ。
結構裕福な家なのに、いつも頭にほっかむりして手ぬぐいを巻いて、ノーメイクで、軽装で、タバコをプカプカふかしている人だった。
おばさんの作る料理やうどんは美味しかった。
そんな男前な性格で、S叔父さんと夫婦仲良しで、いい女だったおばさん。
心筋梗塞で、倒れたときにはもう遅かったらしい。
とにかく、急で信じらんなかった。
まだあまり実感がない。
明日かあさって、おばさんのところへ行く予定だけど、
なんだか黙って永遠の眠りについているおばさんの姿が想像できない。
だって、電話で話したのはほんの3ヶ月前だ。
私これからの自分を叔母さんに見て欲しかったのに。
もっと色々しゃべっておけばよかった。
そう思うとものすごく悔しい。
人の一生なんて、いつどこで終わるかわかんないもんだ。
人が死ぬってことはどんなことなのか、生きていることの意味ってなんなのか、
おばさんが教えてくれるんだね。
母から留守電が入っていた。
「あの、お母さんだけど、J子おばさんが亡くなったの。気付いたら電話ください」
おばさんの死はあまりに急なことで、唖然としてしまった。
J子おばさんは父の姉で、5人兄妹の上から二番目のお姉さんだった。
すごくしっかりした人で、自分のことよりもいつも周りの人のことを考えている人だった。
中卒で働いて、旦那さんであるS叔父さんと結婚して材木屋をやっていた。
その材木屋は設計事務所でもあって、今私たちが住んでいる家もおばさんのところで設計してもらい、おばさんの知り合いの大工さんに建ててもらった。
だからうちの家はそんなに斬新なデザインなどではないけれど、
しっかり造ってある木の家だ。
また、数年前に新築したおばさんの家はまるで旅館か料亭のようで、平屋建てで木のサッシだったり、薄い木のふすまだったり、節のない杉を長押にしていたり、とにかく木のぬくもりのする家だ。
私が木造好きなのも、おばさんの影響が強い。
J子おばさんは、とても厳しくて優しい人だった。
身内なのに、会う時は結構緊張したりして…礼儀やなんかに厳しい人だった。
お小遣いも、必要以上にくれなかった。
低いハスキーな声で笑う、かっこいいおばさんだった。
「なっこは最近どうなん?」っていつも気にかけてくれていた。
最後に話したのは、私が建築の勉強をしようと進学を考えている時だった。
今年の2月だったかな。
「設計の仕事や建築関係は厳しい世界だからやめたほうがいい」そんな電話が最後だった。
でも従兄弟が通った専門学校の情報をFAXで流してくれたり、
私が南青山の設計事務所の面接を受けた時も、色々と心配してくれた人だった。
今愛用しているPRADAのトートバッグもそのJ子おばさんが買ってくれたものだ。
結構裕福な家なのに、いつも頭にほっかむりして手ぬぐいを巻いて、ノーメイクで、軽装で、タバコをプカプカふかしている人だった。
おばさんの作る料理やうどんは美味しかった。
そんな男前な性格で、S叔父さんと夫婦仲良しで、いい女だったおばさん。
心筋梗塞で、倒れたときにはもう遅かったらしい。
とにかく、急で信じらんなかった。
まだあまり実感がない。
明日かあさって、おばさんのところへ行く予定だけど、
なんだか黙って永遠の眠りについているおばさんの姿が想像できない。
だって、電話で話したのはほんの3ヶ月前だ。
私これからの自分を叔母さんに見て欲しかったのに。
もっと色々しゃべっておけばよかった。
そう思うとものすごく悔しい。
人の一生なんて、いつどこで終わるかわかんないもんだ。
人が死ぬってことはどんなことなのか、生きていることの意味ってなんなのか、
おばさんが教えてくれるんだね。
人の死って、本当に突然だね。自分が今もし、命を失ったら誰がどれだけ泣いてくれるか?後悔してくれるか?考えてみたけど、実感が湧かないからちゃんとした答えがでない。
毎日地に足を着いて、生きなきゃね。考えられる今が何より大切な時なんだよね。
弔いのお言葉をどうもありがとうございます。
本当に…自分が死んだらどんだけの人が悲しんでくれるかって考えてしまいます。実際、叔母は商いをしていたのもあって多くの人が葬儀に足を運んでくれました。
生きている間にどれだけ自分の命を生かすか、自分に厳しく人に優しくできるか、そういうことを問われているような気がしました。
今を大事に生きなきゃもったいないですね!