道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

餃子の王将(早稲田店・新宿区喜久井町)

2009年06月15日 | 食道楽
最近になって,夏目坂に餃子の王将が開店しましたので,開店セールスを利用して食事をしてきました。

餃子の王将といえば,大昔,西日暮里店が開店になった際に食べに出かけた記憶があります。そのころ,私は,近くの中学校・高校に通っていました。それ以来餃子の王将と言えば,西日暮里のイメージがありました(チェーン店なのに不思議なもので,他にも吉野屋といえば根津の店のイメージがあります。)。

その後,大学を卒業し,社会人になり,しばらくして京都に転勤となり,河原町今出川にある出町店の王将でも,ときどき食事をした記憶があります。

西日暮里店で食べていたのは既に30年近く前ですし,出町店で食べていたのも既に15年以上も前のことで,いつの頃からか,すっかり餃子の王将には行かなくなっていました。

本当に久ぶりに入ってみますと,味はそれほど昔と変わっていないような気がしましたが,メニューが多くなっているのに驚きました。

それにしても,餃子の王将まで京都発のチェーン店とは,最近まで知りませんでした。


カマンベールチーズ・シャルル7世

2009年06月14日 | 食道楽
いつもチーズを買う神楽坂アルパージュという店で、シャルル7世という名のカマンベールチーズを買いました。
冒頭のものはフルサイズの写真ですが,実際はハーフサイズを買いました。


シャルル7世とは,あのジャンヌ・ダルクに助けられ,ようやくランスでフランス王として戴冠式を挙げたはずなのに,ジャンヌ・ダルクを簡単に見殺しした王です。非情な反面,百年戦争をとうとう終結に導いたという功績もあるフランス王です。
ルーブル美術館にあるフーケの絵が有名です。いかにも魯鈍という印象を受ける絵です。


カマンベールチーズの箱のシャルル7世はフーケの絵ほど,愚かしく描かれていません。
さて,このチーズですが,豊かな旨みが有り,マイルドなのでパンやワインに良く合うということです。

明治神宮の花菖蒲

2009年06月13日 | 風流道楽
明治神宮の境内にある花菖蒲田に行き,花菖蒲を見てきました。
普段は行くことの少ない明治神宮ですが,多数の花菖蒲が咲いてしました。
他の写真も1枚だけのせます。


京都の平安神宮も東京の明治神宮も歴史が淺いのですが,いずれも花菖蒲が見所という共通要素があるのは面白いところです。


アンペルマン

2009年06月12日 | 日常の道楽
旧東ドイツ発のブランドに「アンペルマン」というものがあります。
旧東ドイツにあった歩行者用の赤と青の信号機の表示をそのままデザインにしたものです。
信号機「進め」

信号機「止まれ」


日本でも「日本におけるドイツ年2005/2006」の際に,広尾の旧自治大学跡で開催されたD-ハウスでアンペルマンの商品が販売されており,そのころからほかの店でもアンペルマンの商品が販売され始めたような記憶です。

昔懐かしいD-ハウス


もはやベルリンに行けば,どこでも売っているのではないかと思われるほど有名なアンペルマンの店ですが(因みにドレスデンでもアンペルマンのグッズは売っていました。),最も中心となる店は既に紹介したハッケッシャー・ヘーフェの中にあります。前にも書きましたが,ハッケッシャー・ヘーフェは意外に複雑な構造で,わかりにくくなっています。アンペルマンの店はその中でも最も奥の方にあります。
ハッケッシャー・ヘーフェ


その中の中庭Hofへの入り口


店の外観は冒頭の写真のとおりです。

先日,テレビドイツ語講座でインタビューアーのユリアーネさん(残念ながらJJモデルのLIZAではなかった。)がここの店を訪問し,店で買い物をする場面が紹介されていましたが,その場面で出てきた女性の店員(店長のような雰囲気もしましたが。)は,私が1月に買い物をした際にも,応対してくれた方でした。

アンペルマンは相方も大好きで,買うときりがありませんが,いまさらアンペルマンの鞄という年齢でもないので,ボールペン等の筆記用具を買うことに留めました。

ペンケース入りのボールペンとシャープペンシルのセット




別のボールペン


さらにお手軽な別のボールペン

トゥハチェフスキー元帥の粛清

2009年06月11日 | 衒学道楽
1937年6月11日,「赤軍の至宝」とも「赤いナポレオン」とも呼ばれた,ソビエト連邦の赤軍の英雄トゥハチェフスキー元帥は,スターリンによって粛清されました。

トゥハチェフスキー元帥はもとロシア貴族の生まれで,気品のある顔立ちをしています。トゥハチェフスキーは第一次世界大戦に従軍しますが,ロシア革命が起きるとボリシェビキの赤軍に帰属するようになり,職業軍人の経歴を生かして,白軍との戦い,ポーランドとの戦いで成果を上げ,クロンシュタットの水平反乱の鎮圧にも功績を挙げます。
しかし,トゥハチェフスキー元帥の華々しい戦果とそれによる高い名声は,グルジアの貧しい靴屋の父と農奴の母との間に生まれ,さしたる軍事的成果も挙げられなかったスターリンから激しくも狂おしい個人的な妬みを買うことになります。

トゥハチェフスキー元帥は1937年,突然,ナチスドイツに内通する者として弾劾され,激しい拷問を加えられた末,ルビヤンカ刑務所(後に刑務所のあったルビヤンカ広場にはKGB本部が置かれ,ルビヤンカはKGBの代名詞ともなります)において処刑されます(一説にはスターリンはナチスドイツに対し,トゥハチェフスキー元帥がナチスドイツに内通している秘密文書の作成まで依頼したとも言われています。)。そして,血に飢えたスターリンの喉は,トゥハチェフスキー元帥一人の血でのみでは,到底満足することができず,次から次へと赤軍の将軍の血を求め,常軌を逸した殺戮を重ねていくことになります。
かくして,赤軍にもスターリンを脅かす存在は皆無となり、赤軍は完全にスターリンの支配下に置かれます。

しかし,その代償がどれだけ大きなものとなったかは,4年後に明らかになります。
独ソ戦が始まると,有能な将官の大半を大粛清によって失ったソ連軍は,ナチスドイツに当初,連戦連敗を重ねます。

スターリンの大粛清の犠牲者は200万人ともいわれます。その中にはもちろん,死刑になった者,拷問によって殺戮された者だけではなく,(半ば人為的に創出された)飢饉によって死んだ者,強制移住や農業集団化によって奴隷労働を余儀なくされた人々も含むと思われます。
大粛清の中でもトゥハチェフスキー元帥の粛清については,スターリンの私怨によるものとの要素を強く感じてしまいます。あってはならない大粛清の中でもとりわけ激しい嫌悪感を感じざるを得ません。

写真はその後,名誉回復された後に,発行されたトゥハチェフスキー元帥の記念切手です。

白山神社のあじさい祭(文京区白山)

2009年06月10日 | 風流道楽
白山神社のあじさい祭りに行きました。ここに出かけるのも,ほぼ毎年恒例です。
普段は,小さくてとても地味な神社なのですが,あじさいのシーズンにだけは多くの人が訪れます。狭い境内に出店ができていて,食べ物の臭いはするは,人とぶつかりそうになるわであまり風情はありません。


それでもあじさい苑が設けられ,小さな山を登って降りながら紫陽花の景色を楽しむことができます。



しかし,近くは由緒ありそうな民家がすぐ近くにありますから,この時期はさぞうるさいことでしょうね。

うなぎのすず金(新宿区馬場下町)

2009年06月08日 | 食道楽
地下鉄の早稲田駅の近くにある鰻屋のすず金に行きました。馬場下郵便局の隣にあります。
「すずきん」と読むようです。
入り口は狭いのですが,京都の町家のような鰻の寝床スタイルで,奥は深く,しかも奥に行くと幅まで広がります。

さて,肝心の鰻ですが,うな重は1300円と1600円の2通りがあり,1600円のを頼みました。ややタレの味が濃いめで,しっかり焼いてあるという印象を受けます。ご飯にもタレがたっぷりとしみこんでいます。残念ながら吸い物は肝吸いではありませんでしたが,ご飯も鰻もボリュームがあるのにこの値段は,かなりお得という印象を受けます。


ローマノ・プラテラ(ゴーダチーズ)

2009年06月07日 | 食道楽
神楽坂のチーズ屋,アルパージュでゴーダチーズの「ローマノ・プラテラ」を買いました。
4月中だったと思いましたが,店でゴーダチーズの試食会を開催していて,その時に食べて,2番目か3番目においしいと思ったゴーダチーズです。

長期熟成の3年ものだそうでして,店からもらった説明文にも「キャラメル色でアミノ酸のつぶつぶがたっぷり。言葉を失うほどの溢れるほどの旨み。モルトウイスキー,赤ワイン,日本酒とじっくり味わって下さい。」と書いてあります。

確かに濃厚で芳醇な味わいで,アミノ酸の旨みが口に広がります。長期熟成のせいか,ゴーダチーズでも,切るとチーズ本体がボロボロとこぼれてくるほどです。


緑の丸天井(ドレスデン)

2009年06月06日 | 美術道楽
ドレスデン城では真っ先に「歴史的緑の丸天井」と呼ばれる宝物館に行きました。非常に人気の宝物館で,行列ができると聞いていましたので,日本からオンライン予約をしていきました。
入場の際の手荷物検査は非常に厳格で,コート,カメラやカバンは全て取り上げられて,一人一人金属探知機器の中に閉じこめられ,入念に検査されます(空港で導入の見送られた全身スキャナーというものなのでしょうか。)。
入場しました。
宝物館の中では,ザクセン選帝侯が集めた金銀,白金,宝石,琥珀,象牙金属類のコレクションをこれでもかと見ることができるのですが,いつもありがちなことに宝物館はすごいとは思っても,記憶には残らないものです。ドイツ語の音声ガイドを聞きながら,館内を見ましたが今ではほとんど記憶に残っていません。有名だったとので,とりあえず覚えたのが下の写真の「エメラルドを持ったムーア人」という黒人の像です。


「歴史的緑の丸天井」は退出する際も,一人一人金属探知機器の中に閉じこめられ,入念に検査されます。

意外に早く見終わったので,今度は「新緑の丸天井」にも行きました。こちらは入場の際の手荷物検査は厳しくありません。同様に宝物の展示ばかりで,ほとんど記憶に残っていません。下の写真にある,頭から珊瑚をはやした男の彫像のみが印象に残りました。




ノイエ・ヴァッヘ(ベルリン・ミッテ地区)

2009年06月05日 | 日常の道楽
1月にベルリンに旅行した際には,ウンター・デン・リンデンの大通りに面し,フンボルト大学とドイツ歴史博物館の間にあるノイエ・ヴァッヘにも行きました。通りの反対側にはベルリン国立歌劇場が近くにあります。
ノイエ・ヴァッヘを文字通りに訳すと「新歩哨所」ということになるのでしょう。

19世紀にプロイセン王フリードリヒ・ウィルヘルム3世が建築家カール・フリードリヒ・シンケルに命じて作らせた衛兵所に由来があるそうです。

第1次世界大戦が終了すると,ここは第一次世界大戦の戦没者慰霊のための建物となりました。
そして,第2次世界大戦に敗北すると,旧東ベルリンにあったこの施設は「ファシズムと軍国主義者の犠牲者慰霊碑」に変わります。1969年には屋内中央に永遠の炎がともされ,無名戦士1名と強制収容所の無名の犠牲者1名の亡骸が埋葬されました。そして,ここでは旧共産圏の国々の大好きな衛兵交代式が行われていました(昔モスクワのレーニン廟での衛兵交代式は見たことがあります。)。

ドイツ再統一の後は,ノイエ・ヴァッヘは「戦争と暴力支配の犠牲者のための国立中央追悼施設」となります。第一次世界大戦以後のドイツのすべての戦没者,一般市民の犠牲者,ドイツと戦ったすべての国の犠牲者,ナチス・ドイツの被害者だけではなく,旧東ドイツによる弾圧の犠牲者も追悼の対象となりました。

ノイエ・ヴァッヘの中にはケーテ・コルヴィッツの「ピエタ(死んだ息子を抱き抱える母親)』のレプリカが置かれています。ケーテ・コルヴィッツは息子を第一次世界大戦で,孫を第二次世界大戦で失った彫刻家であり,その作品は,ノイエ・ヴァッヘによくあったものです(因みに,日本におけるドイツ年2005年では「ケーテ・コルヴィッツ展」が開催され,私もつくば市まで展覧会を見に行きました。)

今日,政治家も戦争にかかわる出来事等の節目にはよくノイエ・ヴァッヘに行くようです。

ケーテ・コルヴィッツ「ピエタ」

張作霖爆殺事件

2009年06月04日 | 衒学道楽
6月4日はもちろん天安門事件のあった日です。

しかし,その前に日本人として忘れてはいけないのは,関東軍が1928年のこの日,張作霖の乗った列車を爆破し,張作霖を爆殺したということです。

ムッソリーニのローマ進軍よりは後ですが,ヒトラーは隣国に侵略を開始するどころか,まだドイツ国内で首相になってさえいない時期の出来事です。日本の歴史だけで見ても,張作霖爆殺事件は,日米開戦より13年以上も前,満州事変よりも3年も前の出来事です。この時点で日本軍は,既に中国国内において,かくも卑劣な事件を引き起こしていたのでした。

注目すべきは,その後の処理です。田中義一首相はこの「満州某重大事件」をうやむやのうちに葬り去ろうとしますが,昭和天皇の著しい不興を買い,内閣総辞職を余儀なくされます。しかし,それでも関東軍の関与の詳細は明らかにされず,犯行に深く関与した河本大作大佐のみが全ての罪をかぶって終わりました。

この事件はやがて満州事変へとつながり,日本は,何かに取り付かれたように侵略戦争と破滅に向けてひた走りに走ります。せめて,1928年の時点で関東軍の暴走に断固とした対応ができていれば,その後の歴史も少しは変わったかもしれないと思わなくもありません。

中国の現代史もさることながら,まずは最初に自国の歴史の暗部を反省した方がよさそうです。

三好弥(新宿区神楽坂6丁目)

2009年06月03日 | 食道楽
神楽坂にある中華料理店,三好弥に行きました。
夜,行ってもちろんお酒を飲んでもいいのですが,酒を飲まずに食事だけすることもできますし,雰囲気も入りやすいです。
食事のメニューもとても豊富です。

昼も夜もさっと食事を一人で済ませたいときにはぴったりの定食屋です。

写真は,注文をしたニラレバ炒め定食です。


伊豆栄のうなぎ

2009年06月02日 | 食道楽
上野恩賜公園の中にある,うなぎの伊豆栄でうな重を食べました。
精洋軒のさらに奥に、あまり目立たないようにあります。
座敷もあるので,お酒を飲みながらゆっくりと食事をすることもできます。

うなぎはとても柔らかく,おいしかったです。ご飯も多すぎず,少なすぎず,うなぎの味を損なわない適切な量でした。うなぎのたれも多すぎず,食べやすかったです。肝吸いもきちんと付いていました。
しかも妙に気取ったところもなく,食事を楽しめるのも好印象です。

さすが老舗の伊豆栄です。
こういう店はまた行きたくなります。

シディーク(新宿区住吉町)

2009年06月01日 | 食道楽
曙橋の駅から靖国通沿いに富久町方面に向かって歩いたところに,シディークというインド料理店があります。

外に食券の自動販売機がおいてあり,立ち食いのラーメン屋のスタンドのように見えます。店内は2階建てなのですが,ドトールコーヒーの店と比べてもはるかに狭く,落ち着いて食事をすることも困難です。

日替わりランチ650円で,その日のカレーとナンのセットを注文しましたが,カレーもナンもお値段なりの味という感想でした。インド料理は食べ慣れているのですが,ここのカレーはスパイスの関係なのでしょうか,しばらく胃腸が活発になりすぎましたし,なかなか身体からカレーの臭いが抜けないような気がしました。ナンも大味という印象です。

この近辺はインド料理の激戦区なので,値段以外に魅力がないと,なかなか商売も大変なのではないかと思います。