道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

ノイエ・ヴァッヘ(ベルリン・ミッテ地区)

2009年06月05日 | 日常の道楽
1月にベルリンに旅行した際には,ウンター・デン・リンデンの大通りに面し,フンボルト大学とドイツ歴史博物館の間にあるノイエ・ヴァッヘにも行きました。通りの反対側にはベルリン国立歌劇場が近くにあります。
ノイエ・ヴァッヘを文字通りに訳すと「新歩哨所」ということになるのでしょう。

19世紀にプロイセン王フリードリヒ・ウィルヘルム3世が建築家カール・フリードリヒ・シンケルに命じて作らせた衛兵所に由来があるそうです。

第1次世界大戦が終了すると,ここは第一次世界大戦の戦没者慰霊のための建物となりました。
そして,第2次世界大戦に敗北すると,旧東ベルリンにあったこの施設は「ファシズムと軍国主義者の犠牲者慰霊碑」に変わります。1969年には屋内中央に永遠の炎がともされ,無名戦士1名と強制収容所の無名の犠牲者1名の亡骸が埋葬されました。そして,ここでは旧共産圏の国々の大好きな衛兵交代式が行われていました(昔モスクワのレーニン廟での衛兵交代式は見たことがあります。)。

ドイツ再統一の後は,ノイエ・ヴァッヘは「戦争と暴力支配の犠牲者のための国立中央追悼施設」となります。第一次世界大戦以後のドイツのすべての戦没者,一般市民の犠牲者,ドイツと戦ったすべての国の犠牲者,ナチス・ドイツの被害者だけではなく,旧東ドイツによる弾圧の犠牲者も追悼の対象となりました。

ノイエ・ヴァッヘの中にはケーテ・コルヴィッツの「ピエタ(死んだ息子を抱き抱える母親)』のレプリカが置かれています。ケーテ・コルヴィッツは息子を第一次世界大戦で,孫を第二次世界大戦で失った彫刻家であり,その作品は,ノイエ・ヴァッヘによくあったものです(因みに,日本におけるドイツ年2005年では「ケーテ・コルヴィッツ展」が開催され,私もつくば市まで展覧会を見に行きました。)

今日,政治家も戦争にかかわる出来事等の節目にはよくノイエ・ヴァッヘに行くようです。

ケーテ・コルヴィッツ「ピエタ」