Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

ハンガリーの意外な事実

2011年08月30日 | 中欧旅行2011
スロバキアのブラスチラバを抜け、ハンガリーのパンノンハルマの修道院(996年に造られた
もの。世界遺産)に寄りましたが、印象薄かったのでさっくりパス。

そしてブダペスト。
ハンガリーには正直あまり期待していなかったのですが
ブタペストの美しい景観にみとれました。
豊かに流れるドナウ河を挟んだ中心地区には国会議事堂、くさり橋、ブダ王宮などが建ち並び、本当に綺麗。
英雄広場はとてつもなく広いし、旧王宮、マチューシャ教会も圧巻だったし。
考えてみればここはかつて「オーストリア=ハンガリー帝国」として繁栄したのだから
見事なのは当たり前なのですが。
ホテルはそのくさり橋のたもとにあるソフィテル・チェーンブリッジ、
ドナウ川を見下ろせる部屋から、最後の二晩を楽しむことができました。



帰ってからハンガリーってどういう国なんだろうと調べてみて
意外な事実に驚きました。
自殺率が異常に高いのです。
日本が高いといわれて久しいのに、その日本よりも高い。
世界一位がベラルーシ、そしてリトアニア、ロシア、カザフスタン、ハンガリー、日本と続きます。
「自殺率の国際比較」
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html
ロシア圏が高いのはなんとなく分かるような気がしますが(アルコールのせいという説もある)
あの風光明美なハンガリーで、何故?
検索してみたら、その理由を連ねたレポートを見つけましたが
いまひとつ納得できない。

「ハンガリーの自殺率が世界でトップクラスである理由」
http://www.szagami.com/backnumber/0013.html
ここには
”いつもまじめで何事にも突進する日本人に比べ、ハンガリー人はおおらかで明るく、
人生を朗らかに生きているように見えます。
のどかなハンガリーの人の人生を日本と比べ、大変うらやましがる日本人の旅行者の方が
数多くいらっしゃいます。”
とありますが、ほんの垣間見ただけの私でも、そう思います。
しかしこの筆者は、2年間ハンガリーに暮らす間に、4回もドナウ河の橋から
飛び降りようとする人を見かけたと。
何故!?
ここでは、ハンガリー人は依存心が強すぎる、と分析していますが…



事前に知っていたら、現地のガイドさんにでも訊いてみたのに。
(聞かれたって簡単に答えられる問題でもないでしょうけど)
残念です。
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ウィーン最古のレストラン

2011年08月28日 | 中欧旅行2011
ウィーンで、ツアーを抜け出して食べに行ったレストランを紹介します。
Griechenbeisl(グリーヒェンバイスル)、1447年に建てられたウィーン最古のレストラン。
http://www.griechenbeisl.at/lang_en/page.asp/index.htm

(店の入口)

ここの”Mark Twain Zimmer”(マーク・トゥエインの部屋)には
モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ヨハン・シュトラウス、ワーグナー、
ブラームス、マーラーなど有名人のサインが壁や天井ににびっしり書き込んであるのです。
それにしてもマーク・トゥエイン、児童文学に夢中だった私は「トム・ソーヤーの冒険」
「ハックルベリー・フィン」など大好きで、敬愛してやまない文豪ではありますが
貴族社会のオーストリアにおいて、なんでアメリカの作家の名前をつけたのだろう?
モーツアルトやベートーヴェンの方が格上なんじゃないの?と思って検索してみたら…
どうもこの部屋のちょうど上がマーク・トゥエインの部屋であったから、ということらしい。
彼はヨーロッパ放浪記なども書いているようですから、それもありでしょう。
それとても19世紀後半の話ですが…
隠れ部屋のような、現実の空間からひょいと逃げ込んだような、ちょっと面白い部屋です。


もうひとつ、Plachutta(プラフッタ)。
http://www.plachutta.at/index.php?id=25

フランツ・ヨーゼフ皇帝が好きだったという鍋料理「ターフェルシュピッツ」が有名な店。
オーストリアの鍋料理って想像もつかなかったのですが
牛肉を気長に煮込んだというピカピカの寸胴鍋ごと、テーブルに置かれます。


スープを取り分けて貰って飲むと、野菜やヌードルがたっぷり入っていて美味しい。
その後、お肉を取り分けてもらい、ホウレンソウのペーストやタルタルソースのようなソース、
リンゴとホースレディッシュのすりおろしのようなソースなどをつけて食べるのです。


ウィンナー・シュニッツェル(薄いカツレツ)やグラーシュ(仔牛のパプリカ味煮込み)など
色々なオーストリア料理を頂きましたが、私はこの鍋料理が一番好きでした。
ボリュームがあり過ぎて、とてもとても食べ切れなかったのですが…
デザートも、子供の頃愛読した「大泥棒ホッフェンプロッツ」に出てきた
アプフェルシュトゥルーデル(ごく薄い生地のアップルパイ)、カイザーシュマーレン
(小さくちぎったようなパンケーキに粉砂糖とベリーのソースをかけたもの)の
本場の味を頂けて、大満足。
子供の頃、どんなお菓子だかどうにも想像できなくて(あの頃は今のようにネットで簡単に
調べることなどできなかった)、それでもあまりに美味しそうで、
そういったものへの憧憬は狂おしいほどのものだったのでした。

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「中国ではありえない!」

2011年08月27日 | 社会
”日本チーム控え室に称賛の声、中国人が「ありえないぐらいキレイ」と驚く。

8月23日に閉幕した第26回ユニバーシアード競技大会(中国広東省深セン市で開催)。最終的に日本は87個のメダル(金23/銀26/銅38)を獲得し、中国、ロシア、韓国に次ぐ総合4位の成績を収めた。中国のネットでは、そんな日本チームの“ある行為”に注目が集まり、称賛の声が上がっている。

きっかけは日本チームが使用した後の控え室の写真。撮影したのは実際にユニバーシアード会場でボランティアとして働いていた中国人スタッフたちで、彼らがさまざまな会場の写真を微博(中国版ツイッター)にアップロードする中で、日本チームの控え室の「美しさ」を讃えたことからネットで話題を呼び始めた。


アップロードされた写真には、ゴミが一箇所に集められていたり、椅子や机がきれいに並べられていたりする様子が撮されており、これを見たネットユーザーからは「ゴミがまったく散らばっていない!」「中国ではありえない!」などと驚きと称賛のコメントが殺到したのだ。そうした声は微博上で広がりを見せている。


また、中には観客席を比較する人も。日本人と中国人、それぞれの観客が座っていた席の写真を掲載し、日本人の席のほうが圧倒的にゴミが少ない様子などを紹介している。”

http://www.narinari.com/Nd/20110816149.html


   *****************************


先日行った香港では、海老ワンタン麺などのB級グルメも堪能したのですが
街なかの安食堂で驚きました(あんまり汚い店は敬遠して、まあまあの店を選んだつもりですが)。
海老の尻尾やカニの足などが、床に落ちてる。
どうも食べながら、ペッと吐き捨てるらしい。
味は美味しいのですが…

もっとずっと綺麗なレストラン(白いテーブルクロス、床に絨毯、天井に
シャンデリラがぶら下がってる程度には高級な所)でも
店内は綺麗なのですが、トイレに行って驚きました。
個室のゴミ箱に、使用済みの紙が溢れている。
箱から溢れて、便座の周り一面に散らかっていたりする。
数室ある個室がみんなそんな感じ。
香港の水圧が弱いとは聞いてないと思ってホテルのコンシェルジェに訊いてみたところ、
水圧は問題ないのだけど、中国から来た団体客のマナーが悪くて…ということでした。
真偽のほどは…?
一流ホテルでは、無論そんなことはありませんでしたが。

3、4日行ってみただけで何が分かるという向きもあるかもしれない。
あれはたまたまだったのか?(一軒や二軒の話ではなかったけれども)
香港に詳しい方がいらしたら教えてください。
しかし香港の都会でさえああなのだから
大陸の地方に行ったら…とつい思ってしまいます。

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「日本人でいる」という宗教

2011年08月26日 | 社会
旅行記を中断して…
先日、「津波で流れた金庫の23億円返還に欧米驚き」というニュースに
日本人であることをつくづく誇りに思ったものですが
その後の海外での反応が面白いのでご紹介します。





     **************************
      

・これと同じことが(地震後、略奪が起きた)ハイチで起こる可能性 = 0.0000000000000001%。
人というのは違うんだ。

・そりゃそうさ、まずハイチで23億円が見つかるわけないじゃないか。

・飢死してるんだから、そりゃそうだろう。

・少なくとも世界には道徳心のある人々もいるってことだ。

・同種族の人ばかりの環境では容易なのかも。

・かつ、世界で宗教から最も遠い国民でもある。

・きっと「日本人でいる」という宗教なんだ。

・だが、密度の高いとてもうるさい環境で、長時間労働と、次のゴジラ襲撃のストレスにより
自殺率と精神疾患は高いレベルにあるんだ。

・おい作り上げるのはやめようぜ。そんなにうるさいわけではない。

・その頃イギリスでは2000万ポンド(約25億円)以上が台無しになり、それを祝っている。

・これこそが日本だろ。女子サッカーがW杯で優勝したかと思えば、バカな誰かが
第二次世界大戦のことを言い出すとか。

・日本は素晴らしかったよ。住んでたときは楽しかった。
財布、傘、パスポートなど、何をなくしても戻ってくるチャンスは100%だった。
しかも財布に現金が入ったままで戻ってきたんだ。

・ついこの間、高齢の人々が福島の第一原発での仕事のボランティアを名乗りあげていると
いうニュースがあったばかりで、今度はこれだ。
もう日本人は世界でもっとも良い人柄なんだと思えてきた。

・おれはJALの社長がパイロットより給料を安くしたって話が好きだった。
バスで仕事に行って、カフェテリアで食事をしていたぞ。
(参照:JAL社長の給料がパイロットより低い…「アメリカとは大違いだ!」アメリカ人たち大絶賛)

・実体験を話そう: 日本で一番犯罪が多いところ(大阪のミナミ)に1年半ほど住んだ。
そうしたら犯罪は全然多くなかった。僕はロサンジェルス出身で、犯罪が多いってことが
どういうものかを良くわかっている。
日本はクレジットカードが使えないところが多くあるので、現金を持ち歩く(500ドルとかを一度にだ)。
ある日、ぼくは3万円をATMで引き出し、その場に忘れてきたこと
があった。すると20分後に銀行から電話があって、誰かがATMでそれを見つけてすぐに
銀行に返し、銀行はすぐに僕を割り出して口座に戻しておいたと言う。
 僕は地下鉄でカメラを2回も忘れ、両方戻ってきた。一度なんて酔っ払って倒れていたとき、
目が覚めたらマクドナルドのセットが目の前に置かれていた。

・それはおもしろすぎる。きっと「うーん、外人が気絶してる……。どうするかな、きっとハンバーガーを
好きだろうな。よしマクドナルドに行こう」こんな感じだな。

・きっとホームレスだと思われたんだよ。

・オレのストーリー。東京で散々酔っ払って、JRのトイレに寄った。
最高の気分で家に帰った…つもりが最悪だった。トイレで僕の軍のIDやジュネーブ会議の
カードの入った財布、ポケット中身すべてを落としていたようだ。
一週間して警察から電話がかかってきた。「財布が届いているのでとりにきてください」と。
しかも現金も中にあった。クレイジーな国だ。


Japanese police say people have returned $78 million in missing cash after quake.
http://labaq.com/archives/51694147.html より抜粋
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華麗なる一族

2011年08月25日 | 中欧旅行2011
花の都ウィーンは美しかった。
中心にそびえ立つ王宮(写真上)、1400室あるというシェーンブルン宮殿(中)、2500室のベルヴェデーレ宮殿(下)、
どれもが桁違いに大きく、そして美しい。
ハプスブルク家の力がいかに絶大であったかを物語っています。


ハプスブルク家といえば、全盛期にはヨーロッパから南米、アジアにまで領土を広げ、
「太陽の沈まぬ国」と讃えられる巨大帝国を作り上げた一族。
600年以上の長きに渡って君臨した華麗なる一族。
という程度の認識しか私は持ってなかったのですが
今回の旅行に当って、歴史関連の本を少しばかり読んで驚きました。


ハプスブルク家が政略結婚によってどんどん勢力を拡大したことは有名ですが
その裏には、血族結婚を繰り返し、異様なまでに血を濃縮させて自滅の道を辿ったという
事実もあったのだそうです。
”今日の優生学上の見地からは考えられない近親結婚が、あきれるばかりに次々と実現されてゆく。
純潔を保ち、またウィーン=マドリッド枢軸を形成するために、ハプスブルクの東西の
親戚では近親結婚をしきりに繰り返した。”「ハプスブルク家」より
”初代カルロス一世は従妹と、二代目フェリペ二世は姪と、三代目フェリペ三世は従妹の娘と、
そして四代目フェリペ四世が姪と結婚している。
婚姻線は入り組み、祖母はまた叔母でもある、というような複雑で怖気をふるう近親婚の
ねじれ状態だ。
そんな中での出産は、当然死産や先天性の病気、乳幼児死亡率の高さとなって現れ、
そうした危険性について全く無知というわけでもなかったに関わらず、それでもなお、
高貴な青い血に下々の穢れた血を入れるよりはましだ、「血の純潔」こそが大事だ、と
いうのが王家の選択なのであった。”「名画で読み説くハプスブルク家12の物語」より

ルドルフ二世の肖像画に見られるような、顎が突き出て下唇の腫れた顔というのは、
「典型的なハプスブルク顔」だったのですね。
あの170㎝の長身、50㎝のウエストというスタイルを誇った美貌のエリザベート皇后と
フランツ・ヨーゼフ一世も、従兄結婚であったのだそうです。
知りませんでした…

参考文献「ハプスブルク家」江村洋
    「名画で読み説くハプスブルク家12の物語」中野京子
    「エリザベート ハプスブルク家最後の皇女」塚本哲也
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明るすぎるメルクの修道院

2011年08月23日 | 中欧旅行2011
バッハウ渓谷にあるメルクの修道院に立ち寄りました。
ガイドブックによれば、11世紀に健立されたというベネディクト派、世界遺産の修道院。
10万冊の蔵書と手書きの本1888冊を収めた図書館も有名だと。



中世の修道院、図書館と聞いて思い浮かぶのは、ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」。
”中世イタリアの修道院で起きた連続殺人事件。事件の秘密は知の宝庫ともいうべき迷宮の
図書館にあるらしい。記号論学者エーコがその博学で肉づけした長編歴史ミステリ。”(amazonより)
世界的な名作といわれるこの本はしかし非常に読みにくく、
若い頃、殆ど意地になって読んだ覚えがあります。
今になってamazonの書評を読んでみたら
”キリスト教における清貧論争や異端などについてのペダンティックな議論や記述が延々と繰り返され、
全てを十分に理解するには、かなりの教養が必要とされる”
という記述が。
やっぱり…


87年にショーン・コネリー主演で映画化され、こちらは分かりやすかったが
非常に陰惨で暗かった。
北イタリアの寒々しい山奥、薄暗い石の建物、重苦しい毛織物の衣をまとった修道士たち、
その間での隠微な同性愛、嫉妬、いじめ、そして殺人。
巨大な樽の中に浮かんだ修道士の灰色に膨れ上がった死体。
と、ろくな印象がないのですが(20年以上前に観たのにいまだに覚えている)
メルクの修道院のなんと豪華絢爛で明るいこと!
黄色と白の派手な外壁といい、豪華な天井のフレスコ画といい、金ピカの図書館といい、
まるでお城のようです。
こんなのってある?


私が長年抱いていたイメージは音を立てて崩れ落ちたのですが…
しかしそんな筈がある訳ないと、ヘソ曲がりの私は未だに思ってしまう。
暗さの全否定なんて、その方が怪しいのじゃないの?
宗教や人間にまつわることに、ほの暗さが微塵もないなんて
ある訳ないと…

(ドナウ川クルーズからの眺め)
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ザウツブルクの夜

2011年08月22日 | 中欧旅行2011

ザウツブルク音楽祭というものが、どうにも私はイメージできないでいたのですが
現地に行ってみてようやく納得しました。
モーツアルトが生まれた音楽の都で、毎夏40日間に渡って開かれるという音楽祭。
世界中から20万人もの人が訪れるといいます。
昼間は雑多な観光客で賑わっている街に、夕刻になると突然、夥しい数の着飾った男女が出現する。
そして街の中心部にあるお城の広場で、華やかなコンサートが催されるのです。


我々が行ったザウツブルク一日目には、内田光子のコンサートが。
ただそのチケットは、何カ月も前から予約して入手するものなのだそう。
その代わり、丘の上のホーエンザウツブルク城での、室内楽コンサートを楽しむことに。
古城の一室でのクインテットの優しい音色を、手の届くような位置から
ランプの仄かな灯りのもとでしっとり味わえたのでした。


他に印象的だったのは、モーツアルトの生家、大聖堂、ミラベル宮殿、その庭園など。
ザウツブルク2日目の夜、創業1476年という老舗ホテルのレストラン、ゴールデナーヒルシュに
ツアーの中のグルメ二人組と私が、ひょんなことから乗り込むことになりました。
しかもツアーの夕食が終ってから(この時はまったく計画性がなかった)。
おなかは空いていないけれど、せっかくだからどんなものか味わってみたい。
そんな不純な動機のゲストは、格式の高い老舗レストランに受け入れて貰えるのか?


電話で直前に予約して、9時過ぎにタクシーで駆けつけると
そこは薄暗い石造りの建物の一階。
白いクロス掛けのテーブルはまだ空席が目立っていたのだけど、
コンサート帰りのお客からの予約で埋まっているのだと。
(遅くになってから確かに正装の男女が続々と現れた)


おなかも空いていないのに注文はどうするのか?
ドイツ語と英語のメニューをにらめっこして、まずシャンパンで乾杯。
その後、飲めない私以外はワインを飲みながら
前菜、サラダ、魚料理、肉料理から一品ずつ注文して取り分けることに。
そんなことをしてつまみだされないかと心配だったのですが
長身の給仕は嫌がる風でもなく承知して、料理は次々と運ばれてきたのでした。
他のテーブルを見ても、ロングドレスや蝶ネクタイで着飾った客も
結構アラカルトだけだったり、ひとつのお皿から取り分けていたりしている…

そうしてみると
日本人って生真面目すぎるのか?
一流店と目されているところでは
前菜、スープ、サラダ、魚、肉、デザートというコースを頼まなくちゃいけないのかと思ってた。
無論その中のどれかを省略するくらいはよくあるけれど
3人で一皿なんて考えてもみなかった。
でも食べることを楽しむというレストラン本来の目的に適うのだったら
それでもいいのじゃないか…
(もっともろくに食べられなかった悔しさから、次の有名店に行く時からは
ツアーの食事はパスし、しっかりと頂くことにしたのですが)

それでも
東京のグランメゾン、例えばロオジェやひらまつなんかで
取り分け注文をする度胸は、私にはないなあ…

Goldener Hirsch http://www.goldenerhirschsalzburg.com/
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いきなり香港

2011年08月21日 | 香港旅行2011


夫という人間は、普段は冷静沈着な部類に入ると思うのですが
時に子供のような言動を取ることがあります。
休みがもう少し取れたから何処かに行こう!と言い出して
私の反対も聞かずに、香港旅行の予約をしてしまったのでした。
おかげで8日に中欧から帰国、12~16日岐阜に帰省、17~20日香港という過密スケジュールに。
昨夜ようやく帰ってきました。



乗り気ではなかったといっても
行ってしまえば、少しでも多くの所に行ってみたいという習性が頭をもたげる。
おかげで高温多湿の蒸し風呂のような香港の街を、根性で歩き廻ったのでした。
太平山頂(ヴィクトリア・ピーク)、浅水湾(レパレス・ベイ)、赤柱(スタンレー)、黄大仙。
そして九龍(カオルーン)の街なかを延々と歩き廻る。
さすがに疲れ果てて、マッサージを堪能してホテルのプールでのんびりしていたら
もう帰国の時。
温度は33℃くらいでそれほど驚くものではなかったのですが
何しろ湿度が86%と凄い。
しかも朝から30℃、夜になっても30℃。
こんなに暑いなんて知らなかった。
昨夜成田に着いたら、薄ら寒いくらいじゃないの…



香草とナンプラーと干物の匂い。
百万ドルの夜景と排気ガスと喧騒。
何処に行っても人、人、人。
香港は熱かった…
中欧旅行記もまだ終わっていないのに錯綜してしまいそうですが
少しずつ織り交ぜて行きます。
そういう訳で、コメントの返事が遅くなってごめんなさい。
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小さな墓地と骸骨堂

2011年08月16日 | 中欧旅行2011
お盆で12日夜から帰省していました。
夫の実家、私の実家。
渋滞の中、今日戻ってきました。

ハルシュタットについて検索してみたら
こんなサイトが出てきました。
http://www.hallstatt.net/publisher/articleview/action/view/frmArticleID/17/?lang=en-is



ドイツ語なのでよくわからないのですが
(ご存知の方がいらしたらお教え下さい)
私が買った絵ハガキの写真というのは
まさにこの骸骨堂が映っているのです。
ブログ仲間のtonaさまのコメントによると
”カトリック教会の墓地の奥にある納骨堂「バインハウス」にありました。地下ではありません。
土地が少ないために10年以上たつと掘り上げて頭蓋骨だけを納骨堂に納めます。この納骨堂は
12世紀に建てられ現在1200の頭蓋骨があり、うち610に彩色が施されています。”
のだそうです。


この小さな墓地は、私も見ました。
それぞれに色とりどりの花を植えて、可愛らしい公園のようでした。
人口の割に墓地の数が少ないと思ったのですが
そういう事情があったのですね。

(ハルシュタットの教会の中)
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ハルシュタットと路上の女

2011年08月12日 | 中欧旅行2011
チェスキー・クロムロフを後にし、バスで田舎道を延々と走り、
国境を抜けてオーストリアに。
国境を持たない日本人としてはそれがどんなものか気になるところですが
今はノーチェック、昔のゲートの名残(日本の高速道路の料金所のようなもの)が
あるだけでした。
その国境の手前、山に囲まれた見渡す限りの緑の牧草地だか畑だかの中の細い道路の脇に
時々ひょっこりと女性が立っているのです。
ショッキング・ピンクのミニ・ワンピースであったり、タンクトップにジーパンであったり。
一人で何するでもなく、タバコを吹かしたり腕を組んでいたり。
数Kmのうちに5~6人見たでしょうか。
ガイドさんに言わせると、あれは商売の女性なのだそうです。

驚いてしまいました。
考えてみれば、売春は最古の商売とも言われているのだし、
アメリカだってスペインだって、いや日本だって歌舞伎町辺りに行けば
そういう女性はいくらでも立ってる訳なのですが
それは派手派手しい繁華街の中のこと。
あんな牧歌的な緑の牧草地帯に、ひねもす一人で立っているなんて…
彼女たちがそこにいるということは、需要もあるのでしょうね。


ザルツブルクに泊まり、翌朝塩山の街ハルシュタットへ。
山に囲まれた湖、湖畔に建ち並ぶ山小屋のような家々、窓にはこぼれんばかりに花が
咲き乱れ、湖には白鳥がたゆとう…
それこそ絵本のような世界でした。
上々の天気に恵まれて、青い空、青い湖水の上を滑るようにクルーズ船は進む。
ハルシュタットは、「ヨーロッパの美しい町ベスト10」などの上位に必ず選ばれる町で、私も楽しみにしていたのですが、あまりにも小さくてあまりにも綺麗すぎ。

小さな町の中の小さな教会には、納骨堂もありました。
夥しい数のドクロが整然と並べてあって驚きましたが、ハルシュタットは土地が狭いため、埋葬した後10年ほどしたら遺体を取り出し、ドクロだけ納骨堂に納めるのだそうです。
それを聞いて、絵本のように奇麗すぎる町の中に、初めて人間らしい部分を見つけたような気がしました。

 
綺麗な桜の樹の下には、やっぱり死体が埋まってなくっちゃ。
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