Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「1917 命をかけた伝令」

2020年02月28日 | 映画
この映画を観始めてすぐに、深く後悔しました
私は何故、わざわざお金と時間を使って、こんな残酷な作品を観に来たのだろう?
もう観たくない、逃げ出したい、誰か助けて!という気持ち。
緊張しまくり、マスクをしていたせいもあって殆ど過呼吸状態。
それでも評判になっていると聞くと、観なくちゃいけないと思ってしまう難儀な性格。

1917年4月16日。
二人の若い兵士に指令が言い渡される。
通信手段が途絶えてしまった最前線の連隊に、突撃中止を伝えること。
そうしないと、1600人の大連隊がドイツ軍の罠に嵌ってしまう。
その伝令トムとウイルの、命がけでひた走る一日の物語。



「全編ワンカット」が話題になりましたが、それは事実ではありません。
2時間ずっとワンカットで撮っている訳ではないのですが、
実に上手く繋げてあって、その巧妙さに息を呑みます。
二人が塹壕から出て敵地に入った瞬間から、自分もその場に連れて行かれた気分になります。
人間や牛や馬の死体が転がり、それをネズミやカラスがつついている。
死臭漂う、まさに地獄絵図。
何処からドイツ兵の銃弾が飛んでくるか分からない。
墜落して炎上する飛行機から必死に助け出したドイツ兵から、いきなり刺される。
まあそれが戦争なのでしょう。


(この右の方にあるのは無数の溺死体)


何度も殺されかけ、二人が一人となり、文字通り命がけでようやく伝言を果たすのですが
大佐の淡々とした反応に、少々拍子抜けします。
また明日には新たな命令が来る、と大佐は言う。
それもまた、戦争なのでしょう。



サム・メンデス監督、本年度アカデミー賞の撮影賞など三冠を受賞。
是非、大画面で観て頂きたい映画です。

公式HP 

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ピザとチョコレート

2020年02月27日 | グルメ


昨日、大規模な集会はなるべく自粛せよとのお達しが出ましたが、個人的な外出は何処まで控えればよいのか?
ここ1~2週間が山場というのは、どういった根拠で言っているのか?
国中から非難されているのに、未だに検査数が非常に少ないのはどうした訳か?
韓国にできることが日本ができないのには、一体どうした裏があるのか?


さっぱり分からないままに、マスクをして青山に。
以前グルメ番組で、東京在住のイタリア人が一番美味しいピザの店と選んだと紹介していた青山「ナプレ」でランチ。
ナポリの釜職人が薪窯で焼くというピザは本当に美味しいです。
ナプレ(Napule)とは、ナポリ地方の方言でナポリのことなのだそうです。



六本木まで歩いて、六本木ヒルズでデザートを。
アラン・デュカスが手掛けるチョコレートの専門店「ル・ショコラ・アラン・デュカス」
Iced chocolate(ショコラ・グラッセ)とHot chocolate(ショコラ・ショー)、どちらも物凄く濃厚な味わいです。



一階がチョコレート・ブティック、2階がサロンとなっています。
お店の雰囲気がなんとも独特で面白い。
パリの本店はどうなっているのだろうとネットで探してみたら出て来ました。
なんと、パリ店の雰囲気をそのまま踏襲していたのですね。


(パリ本店)

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「アメリカに負けなかった男」

2020年02月26日 | 映画

一昨日、テレビ東京で放送された『アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~』。
吉田茂を笑福亭鶴瓶が演じるというので、コメデイかと思ってしまったくらいですが
中々面白く仕上がっていました。
吉田の娘である麻生和子(麻生財務大臣の母)が著した『父 吉田茂』が原作だそうです。


敗戦となり、焼け野原となった東京に吉田茂が娘和子と共に呆然と佇み、復興を誓うシーンから始まります。
マッカーサーが率いるGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)との交渉役となって、敗戦国としての屈辱を散々味わいながら、精一杯威厳を保って折衝します。



吉田の相談役、白洲次郎を生田斗真が好演。
アメリカ人に英語を褒められて「貴君の英語も勉強すればマシになりますよ」と言ったり、
天皇からのマッカーサーへの贈り物を届け、その辺に置いといてくれと言われて、激怒してそのまま持ち帰ろうとしたなどの有名なエピソードもあちこちに。
そういえば私は若い頃、白洲の大フアンだったのですが、色々な本を読んで彼が徴兵を回避したと知って、少々冷めてしまったのでした。


吉田はGHQのことを「Go home quickly」の略だと言って周りを笑わせます。
食糧難に苦しむ国民の為にマッカーサーに450万トンの食糧援助を頼み、米国の税金でなんで日本人を助けなければいけないんだと文句を言われながら、なんとか90万トンの援助を勝ち取ります。
マッカーサーが帰国する時になって、あの450万トンの見積もりはでたらめだと言うと
吉田は「太平洋戦争だって日本の見積りでは勝つ予定だったんだ。
もし見積りが正しかったら、あんな戦争はやらないさ」と。
終盤、念願であった日本の独立のために、サンフランシスコ講和条約の調印に臨む吉田。
英語で書かれたスピーチを、白洲の一喝で大急ぎで日本語に書き直した原稿に落涙するシーンには、やはり打たれます。


(小笠原伯爵邸の玄関)

初めの方に出て来るロンドンでの日本大使館は、小笠原伯爵邸でロケされたようです。
去年、食事に行ったのですぐに分かりました。
あの円形に張り出した格子窓のスペイン風シガールームが大使室として、玄関やウエィティングルームや中庭も、そのまま使われていました。


(シガールーム)


このドラマを観損なった方のために。
3月2日までこちらで見られます。



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「人質の朗読会」

2020年02月25日 | 


変わったタイトルだと思って読み始めると、それがメタファでも何でもなく、
文字通りの事柄だったと知って唖然とします。
海外でテロリストによって人質となった日本人8人の、その拘束されていた期間中に
一人ずつが体験談を文章に書き、それを読み上げる朗読会が行われるのです。
しかもプロローグで、その8人が皆、特殊部隊突入の際に爆死したことも分かってしまう。
その後、朗読会を盗聴していたテロ対策政府軍の録音テープが発見されたのだと。
なんという複雑な、なんという非日常的な舞台設定!
暗澹たる思いで読み進めていくと…

”遠く隔絶された場所から、彼らの声は届いた。紙をめくる音、咳払い、慎み深い拍手で朗読会が始まる。祈りにも似たその行為に耳を澄ませるのは人質たちと見張り役の犯人、そして… ”
その人質一人ずつの物語というのが、なんとも味わいがある。
大事件が起きる訳でも、特別な何かが登場する訳でもない。
それでも、どんな人にも自分だけのささやかな物語があるのだとつくづく思う。

私が特に好きなのは「冬眠中のヤマネ」。
「僕」は有名私立中学に受かってすぐの頃、公園で縫いぐるみを売る片目の老人に出逢います。
その縫いぐるみたるや、ムカデやコウモリやオオアリクイなど可愛くない物ばかり、
しかも汚れていたり、縫い目が割けていたり、中の綿がはみ出していたり、
おまけにみんな片目が潰れているという酷い代物。
まるで売れていないみすぼらしい品々の中の「毛羽だったタオルをクルッと丸めたような物体」、
それは、冬眠中のヤマネだったのです。
その後、ひょんなことから僕は老人を、背中に負うことになる。
老人がそのお礼にとヤマネを差し出したので、お金を払おうとしても受け取らない。
「俺をおぶってくれたじゃないか」そう言って老人は泣いている。
その一言で、この老人がどんなに辛い人生を送って来たのかが分かってしまう…
”以来、冬眠中のヤマネの縫いぐるみは、ずっと僕のそばにあった。”
章毎の最後に、その朗読者の職業、年齢、何故そこにいたのかが小さく書いてあります。
この章は「医科大学眼科学教室講師・34歳・国際学会出席の帰途」と。
少年は、そのヤマネをお守りにして、その後眼医者になったのですね。

私がこのような極限の状態に置かれて、何かを語りなさいと言われたら
一体何を語るのだろうと思います。

人質の朗読会」 

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魔性の女と燃えるハナモモ

2020年02月24日 | お出かけ

愛があればお金なんてという男と、愛は欲しいけどお金も要るわという女の悲恋物語。
オペラでは観たことがありますが、バレエでどう演じるのかと興味津々で臨んだ新国立劇場。
花のように美しかったマノンが貴族の青年デ・グリューと恋に落ちて駆け落ちするものの、
金持ちの愛人となって金を騙し取り、淋しくなってまたデ・グリューの元に。
スッタモンダの末に逮捕され、売春婦としてアメリカに送られ、
ニューオーリンズの沼地で恋人の腕の中で息絶える…。



マノンとデ・グリュー、主役二人のパ・ド・ドゥが満載。
出逢った喜びに満ちた場面、愛を確認する場面、死の直前の場面のパ・ド・ドゥ。
踊りと音楽でここまで表現できちゃうとは。



毎日の犬の散歩は面倒ですが、たまに思わぬ発見があります。
いいお天気に誘われて二駅分ほど歩いたら、こんな燃えるような花が。
民家の庭というところが凄い。
ハナモモとしだれ梅でしょうか。
黄色い花は何でしょう?



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「男と女 人生最良の日々」

2020年02月21日 | 映画

メモ書き程度に。

53年前の名作を、同じ監督と同じキャストで作ったという続編。
82歳のクロード・ルルーシュ監督、89歳のジャン・ルイ・トランティニャン、87歳のアヌーク・エーメが再結集。
元レーシングドライバーのジャン・ルイは、現在は老人ホームで暮らし、記憶もおぼろになりかけていたが、アンヌという女性のことだけを覚えていた。
その息子はなんとかアンヌを探し出し、再会させるが…
ストーリーらしいものも殆どなく、現在と過去が何度も交錯する。
そこにフランシス・レイの音楽と、樹々の緑、太陽の陽射しが柔らかく絡まる。

殆ど怖いもの見たさで観て来ました。
ごく若い頃にドキドキしながら観た前作の男女が絡むシーンが、なんと激しく美しかったことか。
そして53年後の本作の、なんと静かでまどろっこしく、そして優しいことか。
年齢層がとても高かった観客の誰もが、スクリーンに自らの来し方を重ねて観たのでしょうね。
原題 The Best Years of a Life


1966年


2019年

男と女 人生最良の日々

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蔦の絡まる…

2020年02月20日 | お出かけ

渋谷の文化村から松濤方向に歩くと、こんな蔦だらけの建物が現れます。
こちらのガレットリアでランチを頂きました。



卵、トマト、ハムのガレット、まぶしてある赤い粉はパプリカ・パウダー。
塩バターキャラメルのクレープ。
フランス式にボウルに入ったシードルと。
陽当たりのよい二階の部屋は、南仏の民家のこじんまりした居間のようです。



その後、映画を観て、ついでに文化村の「永遠のソール・ライター」展を。
3年前にやはりここでこの人の展覧会を観て、妙に心に残ったのです。
天性の色彩感覚によって「カラー写真のパイオニア」と呼ばれているというソール・ライター、先日の日曜美術館でも取り上げられていました。



1980年代に世間から突如姿を消してしまった後、今になってブームになっているのだそうです。
こちらで撮影可だったのは、イーストビレッジの彼のアパートメントの壁を再現したという、この写真だけだったので、その他の写真はネットからお借りしました。




雨に濡れた窓の向こうの人影、雪景色の中の赤い傘、雪降りしきるNYの街角。
どれをとっても詩のような写真たちです。




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みずみずしさを取り戻す方法

2020年02月18日 | 家庭

ゴルフ旅行でタイに行った夫に、お土産に欲しいものある?と聞かれて、ドライフルーツを頼みました。
以前、東南アジアで買ったドライフルーツが安くて美味しかったことを思い出したのです。
もっとも夫自身はドライフルーツが好きではなく、まったく食べないので、あまり期待していなかったのですが。


夫が買って来たのは、意外にお洒落な、上の写真の小袋でした。
これはフリーズドライになっていて、甘味も自然なもので美味しい。
私が10年以上前にタイに行った時には、こんな洒落たドライフルーツは、ついぞ見かけませんでした。
業務用のような、やたら大きなビニール袋に入ったものが多かったような。
これは40g入りと小さく、値段も30バーツ(90円位)ととてもお手頃。
但し、この真ん中のマルベリー(桑の実)は、食べてみたら口の中が火事になりました。
よく見たら、赤唐辛子の絵が描いてある。
マルべリーはフリーズドライではなくグミのようになっていて、中に赤唐辛子が練り込んであるらしく、その小さな一個を食べるだけで口の中が燃えます。
いや、果物に唐辛子は要らない…



他には、昔ながらのこんなドライフルーツも。
これは空港で買ったらしく、右はバナナの大袋、左は見た目は綺麗ですが、350バーツ(千円位)、砂糖が加えてあるようで甘すぎ。
怪しい日本語「乾燥フルーツ」の名の横棒がそのままなのが笑えます。



こうしたあまり美味しくないドライフルーツの救済法があります。
ヨーグルトに一晩漬けておくのです。
甘くみずみずしい、極上の果物となります。

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「ヴェネツィア 私のシンデレラ物語」

2020年02月16日 | 

歳の離れたイタリアの大富豪と結婚した日本女性、位にしか知らなかったチェスキーナ洋子氏。
どんな人生を送ったのかという好奇心で読んでみました。

1932年、著者は熊本の政治活動をする永江家の長女として生まれる。
白い洋館でお手伝いさんもいるという裕福な家だったが、父親は事業に失敗し、夫婦仲も悪く、結構大変な子供時代を送ったらしい。
母親が家出したり、父親が亡くなったり、叔母に引き取られたりと、思春期の3年間に三度苗字を変え、住まいも学校も変えたというのですから。
それでも彼女は音楽が好きで、ピアノを心の支えにして生きていたといいます。



芸大ハープ科に入学して上京、東京交響楽団のハープ奏者としても活動する。
その頃、芸大の学生と学生結婚、しかしこれはすぐに破綻。
1960年イタリア政府給費留学生として、ベネツィア音楽院に留学。
ここで彼女は言葉やお金に苦労しながらも、水を得た魚のように生き返る。
”ふり返ってみると、私はこれまで、自分はどこか変わっている人間ではないか、世間の常識から外れたはみ出し人間なのではないか、と、ずーっと引け目に感じていた。
ところがどうだろう、この国の人たちの、この明るさ、この率直さ!これまでの自分がバカみたいに思えた。もう、ここでは遠慮はいらないんだ、自分は自分のままでいいんだ、そう気がつくと、私は身も心もすっかり軽くなっていた。”

そんな頃に、彼女はバールで26歳上のレンツォ・チェスキーナに見初められるのです。
二人は楽しく付き合い始めるが、結婚したのは出逢ってから15年後。
その間には別れたり、彼女が他の男性と結婚しようとしたり、まあ色々あったらしい。
そもそも最初の頃は恋人として熱い時を過ごしたが、その後はずっと、父娘のような関係になってしまったというのです。
1977年に結婚したのは、70歳になったレンツォが自分の歳を実感したこと、そして彼女に全財産を残したいと考えたからだろうと、彼女は述懐しています。

その5年後、1982年にレンツォは心不全で死去。
そこから300億円の遺産を巡る、長く厳しい闘いが始まるのです。
彼女に全財産を残すというレンツォの遺書が、彼女の偽造だと遺族が起訴。
民事、刑事で訴えられ、イタリア中を騒がせたという裁判は10年の長きに渡り、最終的に彼女が勝訴を勝ち取ったのは、1993年であったと。
晴れて遺産を相続した彼女は、音楽家のパトロンとして世界的に活躍し、2015年に死去。



この本の表紙の写真は、ベネツィアのチェスキーナ家なのだそうです。
高齢になってからの彼女の顔しか知らなかったのですが、本の中には若い頃の写真も。
頑固一徹で自説を曲げないという「肥後もっこす」の、逞しい一代記でした。


「ヴェネツィア 私のシンデレラ物語」 

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農園バーニャカウダ

2020年02月14日 | グルメ

PASTA HOUSE AWkitchen、「渡邉明の台所」という名のレストランです。
野菜を食べるパスタ屋さん、ここの名物「農園バーニャカウダ」はお見事。
右上のお花畑みたいなお皿は、平目とサーモンのミルフィーユ。
そして茄子と仔牛のムサカ、有機ルッコラと吟醸からすみのペペロンチーノ。
どのお料理にも、新鮮な野菜が山ほど入っています。
ルッコラって茎も食べられるのですね。



その後、茶亭羽富でお茶を。
こちらのオ・レ・グラッセはかき混ぜないでお飲み下さいと言われます。
上は苦めのコーヒー、下は甘いミルクの二層式。
今まではそのまま飲んでいたのですが、今回誘惑に抗えずかき混ぜてみたら
只のアイスオーレになってしまいました。





先日、次男がタロウに持って来たオーストラリア土産のコアラ。
そんなのタロウにあげちゃ駄目!と私が強奪(母への土産はなかった)。
代わりに与えたくまモン、数分で鼻と右手をむしり取られました。


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