「おおきな木」というシルヴァスタインの絵本があります。
息子たちに何度も読み聞かせた本のうちの一冊です。
それが今月、村上春樹氏の訳で新登場したと朝日新聞の書評に出ていました。
何度も読んだので、まだそのフレーズを覚えているくらいです。
もう手元にないのでうろ覚えですが
「昔、りんごの木があって、かわいいちびっこと仲良しでした。」
そんな書き出しで始まるのです。
ちびっこは毎日、木の傍らで遊んで、木は幸せだった。
時が流れてちびっこは大きくなり、木のところに来なくなってしまった。
少年となったちびっこが久しぶりに姿を見せたので、木はとても喜ぶのですが…
「いらっしゃい、ぼうや。
わたしにおのぼりなさい。
えだにぶらさがって、りんごをおたべなさい。
わたしのこかげであそんで、しあわせにおなりなさい」
「もう木のぼりをしてあそぶとしじゃないよ」と少年はいいました。
「ものを買ってたのしみたいんだ。おかねがいるんだよ。
おかねがなくっちゃ。ぼくにおかねをちょうだい」
「ごめんなさい、おかねはないの」と木はいいました。
「わたしにあるのは、はっぱとりんごだけ。
りんごをもっていきなさい、ぼうや。
それをまちでお売りなさい。
そのおかねでしあわせにおなりなさい。」
(村上春樹訳、ネットより)
木は、自分に実ったりんごをすべて与え、少年はお金を手にした。
さらに大人になった男は家を欲しがり、木は自分の枝をすべて与える。
さらに男は船を欲しがり、木はついにその幹を与え、切り株になってしまう。
年月が流れ、惨めな切り株になってしまった木を
かつての少年が老いさらばえた姿で訪れる。
何もかも失くした木が、年老いた男を温かく迎えるところで
物語は終わるのです。
私はこの絵本が大嫌いだったのです。
こんな悲しい話は嫌いだ。
何もかも与え続けて、木は幸せだったのか?
こんな酷い男に与えつくしてすべてを失くしてしまうなんて。
そこまでするほどの価値のある男にはとても思えない…
村上春樹は一体どう訳したのだろう?と興味津々で見てみました。
表紙はまったく同じです。
大体、似たような感じのやさしい文体だと思うのですが
ひとつ、決定的に違うところが。
切り株になってしまうところで、
「And tree was happy.... but not really.」の訳が
「木は それで うれしかった・・・
だけど それは ほんとかな?」
から
「それで木はしあわせに・・・
なんてなれませんよね」
になっているのです。
ちょっと胸のすく思いです。
どちらにもとれる読者への問いかけから、きっぱりとした否定形に。
村上春樹よくやってくれた、という思いです。
原題は「The Giving Tree 」といいます。
「おおきな木」
息子たちに何度も読み聞かせた本のうちの一冊です。
それが今月、村上春樹氏の訳で新登場したと朝日新聞の書評に出ていました。
何度も読んだので、まだそのフレーズを覚えているくらいです。
もう手元にないのでうろ覚えですが
「昔、りんごの木があって、かわいいちびっこと仲良しでした。」
そんな書き出しで始まるのです。
ちびっこは毎日、木の傍らで遊んで、木は幸せだった。
時が流れてちびっこは大きくなり、木のところに来なくなってしまった。
少年となったちびっこが久しぶりに姿を見せたので、木はとても喜ぶのですが…
「いらっしゃい、ぼうや。
わたしにおのぼりなさい。
えだにぶらさがって、りんごをおたべなさい。
わたしのこかげであそんで、しあわせにおなりなさい」
「もう木のぼりをしてあそぶとしじゃないよ」と少年はいいました。
「ものを買ってたのしみたいんだ。おかねがいるんだよ。
おかねがなくっちゃ。ぼくにおかねをちょうだい」
「ごめんなさい、おかねはないの」と木はいいました。
「わたしにあるのは、はっぱとりんごだけ。
りんごをもっていきなさい、ぼうや。
それをまちでお売りなさい。
そのおかねでしあわせにおなりなさい。」
(村上春樹訳、ネットより)
木は、自分に実ったりんごをすべて与え、少年はお金を手にした。
さらに大人になった男は家を欲しがり、木は自分の枝をすべて与える。
さらに男は船を欲しがり、木はついにその幹を与え、切り株になってしまう。
年月が流れ、惨めな切り株になってしまった木を
かつての少年が老いさらばえた姿で訪れる。
何もかも失くした木が、年老いた男を温かく迎えるところで
物語は終わるのです。
私はこの絵本が大嫌いだったのです。
こんな悲しい話は嫌いだ。
何もかも与え続けて、木は幸せだったのか?
こんな酷い男に与えつくしてすべてを失くしてしまうなんて。
そこまでするほどの価値のある男にはとても思えない…
村上春樹は一体どう訳したのだろう?と興味津々で見てみました。
表紙はまったく同じです。
大体、似たような感じのやさしい文体だと思うのですが
ひとつ、決定的に違うところが。
切り株になってしまうところで、
「And tree was happy.... but not really.」の訳が
「木は それで うれしかった・・・
だけど それは ほんとかな?」
から
「それで木はしあわせに・・・
なんてなれませんよね」
になっているのです。
ちょっと胸のすく思いです。
どちらにもとれる読者への問いかけから、きっぱりとした否定形に。
村上春樹よくやってくれた、という思いです。
原題は「The Giving Tree 」といいます。
「おおきな木」