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タイトルは同じ「Zooey’s Diary」です。
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かつて世界にその名をとどろかせた伝説的なカリスマF1(R)ドライバーのソニー(ブラッド・ピット)は、最下位に沈むF1(R)チーム「エイペックス」の代表であり、かつてのチームメイトでもあるルーベンの誘いを受け、現役復帰を果たす。常識破りなソニーの振る舞いに、チームメイトである新人ドライバーのジョシュアやチームメンバーは困惑し、たびたび衝突を繰り返すが、次第にソニーの圧倒的な才能と実力に導かれていく。ソニーはチームとともに過酷な試練を乗り越え、並み居る強敵を相手に命懸けで頂点を目指していく~(映画Comより)

車仲間の間でやたらと評判の良いこの作品、ようやく観て来ました。
いやもう、これぞハリウッド大作!
F1のルールをサッパリ知らない私でも、155分文句なく楽しめました。
監督のジョセフ・コシンスキー始め「トップガン/マーヴェリック」を手がけたスタッフが集ったというこの作品、「地上版トップガン」と言われるのも深く納得。
全盛期をとうに過ぎたアラ還レーサー(old manと呼ばれていた)と、自信過剰の若手レーサーが、最初対立しながらも徐々にチームとなっていく過程も素晴らしかったし、なんといってもラスト3周のクライマックスでは、こんな上手く行く筈ないと思いながらも、圧倒的なカタルシスをもたらしてくれます。

車にたいして興味がないのに、近年「ラッシュ/プライドと友情」「フォードVSフェラーリ」「グランツーリスモ」「フェラーリ」など観て来ましたが、その中では今回が一番楽しかった気がします。
アメリカ白人(ソニー)、イギリス黒人(ジョシュア)、女性のテクニカルディレクター(ケイト)といった構成は、多様性が叫ばれる今の世情に与しすぎている気もしますが、面白い。

F1というものは、階級社会の欧州の、チームオーナーやレーサーなどの特権階級と、エンジニアなどの現場の労働者階級とにかつてはくっきりと分かれていたのを、日本のホンダチームが80年代にそれをぶち壊して、チーム全体強くなったという話を、何かで読んだことがあります。
この映画でも、その様子が肌で感じ取れました。
F1で走るということは、あんなにも沢山の人々の、知恵と汗と努力が注ぎ込まれているのだということがよく分かりました。
カリフォルニア州フリーモントのフォーチュンクッキー工場に勤めるドニヤは、アパートと職場を往復するだけの単調な日々を送っていた。母国アフガニスタンの米軍基地で通訳として働いていた彼女は、そこでの経験から慢性的な不眠症に悩まされている。ある日、フォーチュンクッキーに入れるメッセージを書く仕事を任されたドニヤは、新たな出会いを求めて、その中のひとつに自分の電話番号を書いたメッセージを紛れ込ませる。やがて彼女の元に、ある男性から会いたいというメッセージが届く(映画comより)

なんとも、もどかしい映画です。
全編白黒で、いつの話?と思ったら、主人公のドニヤは1996年生まれのアフガニスタン難民。
母国の米軍基地で働いていた彼女が命からがら逃げて来たって、ごく近年の話ではないですか。
しかし、彼女のそうした厳しい背景は、画面としては一切出て来ない。
不眠に悩む彼女が、精神科医に語る言葉の端々に、控え目に出て来るだけです。
彼女の隣人、同僚、職場の社長夫妻、精神科医と登場人物は色々出て来て思わせぶりなことを言いますが、何が始まるという訳ではない。
何かが起こりそうで起こらない。

しかし、彼女が何も言わなくても、私たちは知っている。
2021年8月、アフガニスタンのタリバンが首都カブールを掌握した後、何が起こったか。
これは、カブールからカタールに向け出発した米空軍の大型輸送機の機内の様子。
タリバンがカブール市内に入ったことでパニックに陥った市民が、国外へ退避する航空便に乗るために空港に殺到したのだそうです。
車輪付近や機体の側面にしがみついていた大勢の市民の写真も、忘れることはできない…

(2011.8)
なので、ドニヤが言わなくても、我々は容易に彼女の不眠の理由を察することができる。
そして自分に課した罰のように単調な日々を送っていた彼女が、ようやく一歩踏み出したことを、心から応援したくなるのです。
しかし、ことは簡単に上手くいかない。
世の中には、善い人も意地悪な人もいるということか。
それでも一歩を踏み出したドニヤに、幸多かれと願わずにいられません。
NYやサンフランシスコの中華街で食事をすると、このフォーチューンクッキーがついて来ました。
あれは、こうした小さな工場で作られていたのね。
原題の「FREMONT」は、アフガニスタン難民が多く住む、カリフォルニア州の街の名前なのだそうです。
「フォーチューンクッキー」公式HP
夫を亡くし、寂しくも気楽なひとり暮らしを送る93歳のテルマ。ある日、仲良しの孫ダニエルが事故を起こし刑務所にいると聞いた彼女は、愛する孫を助けようと保釈金1万ドルを送金するが、それは典型的な詐欺の手口だった。犯人を突き止めてお金を取り返すことを決意したテルマは、旧友の老人ベンを巻き込んで、電動スクーターに乗って大冒険に出る(映画Comより)

オレオレ詐欺に立ち向かうおばあちゃんの奮闘を描くコメディ映画。
このテルマを演じるジューン・スキッブは93歳、そして脚本も手掛けたジョシュ・マーゴリン監督の実の祖母テルマがモデルなのだそうです。
エンドクレジットに出て来たおばあちゃんがその実際の人物であり、104歳で今も御健在とのこと。
テルマの旧友ベンを演じたリチャード・ラウンドトゥリーはこの時83歳、2023年10月に他界したのだそうです。

穏やかに一人暮らしをしていたテルマのもとにある日、電話がかかってくる。
おばあちゃん助けて、車で人を撥ねてしまった、今刑務所に入れられているから、保釈金1万ドルをここに送って!
テルマはまんまと騙され、慌てふためいて送金してしまうのですが…
これって、まさにオレオレ詐欺。
以前、アメリカ人の友人から、オレオレ詐欺はアメリカではあり得ないと聞いたことがあります。
理由の一つは、大方のアメリカの老人家庭では、大金を置いていたりしない。
もう一つは、息子や孫といえども大人になったら独立した人間、その人間の為に大金を投じたりしない、ということでした。
しかし、やはり何処も同じだったのね。

シワだらけの顔、もっこりと丸まった肩、持病を幾つも持っている身体。
家族に心配をかけたくない、自分の思うように動きたい、しかし身体は中々言うことを聞いてくれない。
それでも自分で暮らしたい老人と、それを心配しながら見守る家族。
洋の東西を問わず、老人問題は何処でも切実。
違うのは、テルマと孫のダニエル(優しいが無職、すべてに自信なさげで何とも不甲斐ない若者)との間に、いつもユーモアがあること。
映画全体にも、なんとも控え目なユーモアが漂っていて笑えます。
テルマが日頃からミッション・インポッシブルを観ていて、トム・クルーズのフアンだったことは分かりますが、最後にああいう形で「不可能な任務」を達成するとは。
彼女は、トムの大きな顔写真が出た雑誌で、リビングに出て来たゴキブリを叩きのめしたのでした。
くすっと笑って元気が貰える映画です。
「テルマがいく」公式HP
15歳の時に任侠の抗争で父を亡くし、天涯孤独となった喜久雄(吉沢亮)は、その才能を見込まれて、上方歌舞伎の名門の花井半二郎(渡辺謙)に引き取られる。半次郎の跡取り息子・俊介(横浜流星)と兄弟のように育てられ、親友としてライバルとして互いに高め合う。そんなある日、事故で入院した半次郎が、自身の代役として俊介ではなく、喜久雄を指名し、俊介は家を飛び出して行方不明となる…

吉田修一の原作を読んで痛く感動したので、映画化を楽しみにしていました。
公開されて1週間、ネットでは絶賛の嵐、映画館も平日昼間なのに9割の入りでした。
歌舞伎の世界に身を投じたヤクザの遺児と名門の息子、二人の栄光と挫折。
血筋か、才能か?
どちらもどんなに望んでも自分では手に入れられないもの。
血の滲むような努力、嫉妬、友情、挫折、孤独、そういったものがてんこ盛りのドラマとなり、「連獅子」「娘道成寺」「曽根崎心中」「鷺娘」の舞台シーンが効果的に挟まれます。
歌舞伎の指導は四代目中村鴈治郎氏(本人も出演)、そして二人は一年半練習を重ね、すべて通しで踊っているらしい。

原作に比べれば、多少不満もあります。
まず、女性の心理描写が圧倒的に足りない。
喜久雄の幼なじみ、長崎から大阪まで喜久雄を追いかけて来て常に彼に寄り添っていた春江(高畑充希)が、何故俊介といきなり出奔したのか?
映画の展開は唐突過ぎて、これでは只の尻軽女に見えてしまう。
喜久雄の隠し子の綾乃の、父親に対する思いの変化も、これだけでは説得力がなさすぎる。

もっと不満だったのは、任侠の家での喜久雄の兄貴分、2歳上の徳次の扱い。
原作では喜久雄の生涯に渡って出てくるのですが、映画では冒頭、長崎での踊りと殴り込みのシーンだけ。
後はまったく出て来ずだったのですが…
なんとラスト、人間国宝授与が決まって楽屋から出てくる三代目半次郎(喜久雄)、その楽屋暖簾に徳次の名前が。
ああ、こう来たか…!?
800ページ超の長編を3時間にまとめるには、どうしたって仕方がないとも思う。
削った分、挟まれた歌舞伎の舞台のシーンの素晴らしさには息を呑みます。
私はこのシリーズが結構好きで、前の2作も観ているのに、確認してみたら感想を書いていない。
書かないと忘れてしまうということで、覚え書き程度に初めて書きます。
今回は、故郷のペルーの老グマホームに暮らすルーシーおばさんに会いに、ブラウン一家と共にペルーにやって来るが、おばさんは失踪。パディントンたちはおばさんの残した地図を手掛かりに、インカの黄金郷があるというジャングルに向かうが…
礼儀正しく妙にオジサンくさい、マーマレードが大好きなクマのパディントン。
彼を取り囲むブラウン一家、そしてパディントンとおばさんグマの家族愛が絡んだ冒険物語が、ペルーで展開されます。

おそらくイギリス人が想像するぺルーというものはこうなのだろうというぺルーが出現し、私は昨秋旅行したばかりなので、なんともおかしい。
緑滴るジャングル、天空に聳え立つマチュピチュ、いきなり現れるアルパカ。
パディントンは相変わらずどんくさく、丁寧なクィーンズイングリッシュを話し、船が難破しそうな大惨事の中でも「ちょっとした…緊急事態です」なんて控え目にアナウンスするところが笑えます。

映画好きならニヤリとするオマージュがあちこちに。
マチュピチュでパディントンが巨大な転がる岩に追いかけられるシーンは、「レイダース失われたアーク」のあのシーンだし、悪役かどうか分からない微妙なハンター役は、あのアントニオ・バンデラス。
老グマホームの尼さん院長が大自然の中でギターを抱えて歌うシーンは、「サウンド・オブ・ミュージック」のあのシーンだし、演じるは乗りに乗ったオリビア・コールマン。
そしてラストシーンでは、第二作で悪役だったあのヒュー・グラント(久しぶりに見たら歳とっていて驚いた!)が。
あれは第四作への予告なのかしらん?

自分の故郷をようやく見つけたパディントンが、最後に遠慮しいしい、持って廻った丁寧語でブラウン家に言い出したお願いとは…?
笑って泣ける、ハートウォーミング・ムービィです。
原題「Paddington in Peru」。
公式HP
オランダの児童養護施設で暮らす11歳の少女ルーのもとに、離ればなれになっていた母カリーナから突然の連絡が入る。自称ハリウッドスターだというカリーナは、再会を喜ぶルーを勝手に施設から連れ出し、ポーランドに住むおばあちゃんのところへ行くと告げる。カリーナにはルーとずっと一緒に過ごすための、ある計画があった。そんな母の型破りな言動に戸惑いながらも、一緒にいたい一心で母に着いていくルーだったが…(映画Comより)

来日中のオランダ人の友人と観た映画というのは、これでした。
カリーナのあまりの駄目母ぶりに呆れます。
そもそも一人娘を養護施設に預けっ放し、その間連絡もせず、突然現れて勝手に連れ出す。「ボニーとクライド」を気取り、無銭飲食など娘に犯罪の片棒を担がせる。
精神的に不安定な社会不適合者であり、ハリウッドスターというのもおそらく嘘八百で、今まで一体何処で何をしていたのか?
しかし、母親が恋しい11歳の娘ルーは、戸惑いながらもついて行く。
その娘の健気さに泣けてきます。
子どもは親を選べないものね。

「人生はゼロか100かよ、キドー!(お嬢ちゃん)」というのがカリーナの台詞。
タイトルでもある「Kiddo」は、「kid」の愛称形で「子供」という意味です。
シリアスな題材でありながら、所々に現れるアニメーションやポップな画像、そして60~70年代のアメリカンポップスが何とも明るい。
ラストは悲しいが、ルーの心には母親との思い出が刻みつけられたことでしょう。
完全でなくても、どんなに駄目母であっても、子どもを思う気持ち、そして子どもが母を慕う気持ちは、やはり美しい。

カリーナは何処で拾ってきたのだというようなおんぼろシボレーで現れて、しょっちゅうエンストしながらポーランドまで走るのですが、最後は綺麗なトヨタの軽車両に変わるのも面白い。
ルーが暮らしている養護施設が、日本のように大きなものではなく、数人の子どもたちと養母が暮らしている、ごく普通の家のようであることに驚きました。
オランダ人の友人に聞くと、色々なタイプの施設があるが、あれはよく見られるタイプなのだそうです。
目が行き届き、こじんまりした家族のようであるという点でいいのかもしれませんね。
「Kiddo」公式HP
エドワード・ベルガー監督が、ローマ教皇選挙の舞台裏と内幕に迫ったミステリー。
全世界14億人以上の信徒を誇るキリスト教最大の教派・カトリック教会。その最高指導者で、バチカン市国の元首であるローマ教皇が亡くなった。新教皇を決める教皇選挙「コンクラーベ」に世界中から100人を超える候補者たちが集まり、システィーナ礼拝堂の閉ざされた扉の向こうで極秘の投票がスタートする。票が割れる中、水面下でさまざまな陰謀、差別、スキャンダルがうごめいていく<映画.comより>

100人程の定員内での選挙で、規定の有効得票数(投票総数の2/3以上)を得る人物が出るまで延々と繰り返されるという、まさに「根競べ」と言われるコンクラーベ。
世界中の高位聖職者が集まる密室の中に、名誉欲、嫉妬心、猜疑心、そういったものが渦巻いて、選挙を執り仕切ることとなったローレンス枢機卿(レイフ・ファインズ)は頭を抱える。

面白かった!
重厚な背景は宗教画を観ているようだし、真っ赤なガウンを着た聖職者の集団のシーンは、モダンアートを観ているようでもある。
そこに人間の欲望や宗教対立、戦争、ジェンダー問題まで絡んで見応えがあります。
カトリック最高峰の密室社会と言えども、そこはまさに現代社会の縮図でもある。
本年度のアカデミー賞脚色賞受賞。
あの下品なドタバタ「アノーラ」よりもこちらの方が、はるかに作品賞にふさわしいと思うのですが…
ネタバレする訳に行かないので言えませんが、最後にアッと驚くどんでん返しがあります。
画面に何度か出てくる亀がヒントか。
亀を噴水の池に帰すという辺り、チェスの八手先を読んだという前教皇が仕組んだように事は進んだということでしょうか。
そして亀は雌雄同体でもありますからね。

バチカンのサンピエトロ大聖堂、システィーナ礼拝堂、昔行きました。
一つの国というにはあまりにも小さなその面積に聳え立つ大聖堂、そこに世界中からの信者と観光客が集まっていました。
一般人が入れないその奥(あれはイタリアのカゼルタ宮殿でのロケということですが)、そして窺いようのないコンクラーベの内情を知ることができて、大満足です。
☆4.5
「Conclave」公式HP
この映画に関しては、映画館で予告編を何度も観ていましたが、正直、B級ドタバタラブコメだと思い、観る気もなかったのです。
ところがカンヌでパルムドールを受賞、そしてアカデミー賞で作品賞・監督賞・主演女優賞・脚本賞・編集賞の5部門を受賞。
ショーン・ベイカー監督の「フロリダ・プロジェクト真夏の魔法」には以前、感動したことだし、巷では称賛されているようだし、これは観ない訳にはいかないと観て来ましたが…
結論から言うと、やはり好きにはなれませんでした。
ニューヨークのストリップダンサーのアノーラは、ロシアの大富豪の御曹司イヴァンと職場で出会い、1万5000ドルの報酬で1週間の「契約彼女」となる。
親の豪華マンションでセックス、パーティ、ショッピングと贅沢三昧の生活を楽しみ、ラスベガスにまで豪遊し、その時のノリで結婚するまでが前半。
そのことがロシアの親の耳に入り、怒った親は結婚を阻止すべく、屈強な男たちを送り込み、自分たちもNYにやって来て戦闘状態になるのが後半。
ところがカンヌでパルムドールを受賞、そしてアカデミー賞で作品賞・監督賞・主演女優賞・脚本賞・編集賞の5部門を受賞。
ショーン・ベイカー監督の「フロリダ・プロジェクト真夏の魔法」には以前、感動したことだし、巷では称賛されているようだし、これは観ない訳にはいかないと観て来ましたが…
結論から言うと、やはり好きにはなれませんでした。
ニューヨークのストリップダンサーのアノーラは、ロシアの大富豪の御曹司イヴァンと職場で出会い、1万5000ドルの報酬で1週間の「契約彼女」となる。
親の豪華マンションでセックス、パーティ、ショッピングと贅沢三昧の生活を楽しみ、ラスベガスにまで豪遊し、その時のノリで結婚するまでが前半。
そのことがロシアの親の耳に入り、怒った親は結婚を阻止すべく、屈強な男たちを送り込み、自分たちもNYにやって来て戦闘状態になるのが後半。

まず、登場人物の誰をも好きになれない。
用心棒のイゴールを除いて。
職業に貴賤はないといいますが、売春は別の話だと私は思いますし、それ以前にアノーラには共感できない。
下品だし、計算高いし、男たちが来てからは、暴れる、叫ぶ、噛みつく、蹴とばすの狂乱状態。
イヴァンは親の金でゲームをして遊んでいるだけのボンクラ息子で、後半の始まりでアノーラを置いてとっとと逃げ出してしまう。
男たちは、(イゴール以外)イヴァンの親の機嫌を取ることしか考えない。
イヴァンの両親に至っては、アノーラのことなど虫けら以下にしか考えていない。
すったもんだの末、予想通りの終章を迎えるのですが…
これがアカデミー作品賞を取る程のものか?と思ってしまいました。

ベッドシーンが多すぎるこの映画の中で、ラストシーンだけが印象的でした。
降りしきる雪の中、イゴールの古いクルマのエンジン音と、ワイパーの音だけが聞こえる音楽なしの世界。
アノーラはやはり、ああすることでしか感謝の気持ちを表すことができなかったのだろうと。