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Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「アウシュビッツの小さな厩番」

2025年06月10日 | 


ケルンの裕福な家に生まれたハインツは、12歳の時に両親と共にウーチ収容所に送られる。そこで父を亡くし、母とビルケナウ収容所に送られ、母を亡くす。15歳のハインツは一人で過酷なビルケナウ、そしてアウシュビッツ、更にブーヘンヴァルト収容所で、常に死と隣り合わせになりながら生き抜いていく。

表題は、アウシュビッツで彼が任された馬の世話係を表します。
年中飢えに苦しめられた収容所で、馬の世話をするなら少しは馬の餌のおこぼれにありつけるのではないかと読み手も期待しますが
”もしも盗み食いの現場を兵士に押さえられたら、すべては終わりだっただろう。兵士らは毎日見分を行い、私たちは大きく口を開けさせられ、懐中電灯で口の中を調べられた。もしも人参の食べかすや、口内のくぼみにたまったカラスムギが見つかれば、一巻の終わりとなる。連行され次の日曜日に絞首刑に処せられる”
それでも、
”生きるためなら、人は驚くべきことをやってのけるものだ。盗み食いは命を懸ける価値がある行為だった。なぜなら十分な食べ物を手に入れられなければー手に入れられることなどなかったーどのみち数週間後には餓死してしまうのだから”
彼は馬の餌を時々こっそり盗み食いしながら、何とか生き延びるのです。



書き写すのも憚られるような、あまたの残虐シーン。
アウシュビッツやブーヘンヴァルト、その時代を切り取った写真も挿入されています。
見せしめのための公開処刑や、有名な「死の行進」の描写も酷いが、例えばこの写真。
アウシュビッツについての他の本や映画でも散々見て来ましたが、やはりこのカイコ棚のような写真には、説得力があります。
1945年に収容所が解放された時、ハインツは16歳、体重は35Kgであったと。
ケルンから強制移送された2011人のユダヤ人のうち、生き残ったのは23人であったそうです。
そこから彼はフランスに渡り、そしてアメリカの叔父夫妻にひきとられ、名前をハインツからヘンリーと改め、UCLAを卒業して検眼学の教授となり、2019年に90歳で逝去。
まだ最近のことだったのねえ。
しかし、今のガザの状況を見たら、彼は何と言うのでしょう…?
ヘンリー・オースター著。

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「女の子たち風船爆弾をつくる」小林エリカ著

2025年05月05日 | 


先の大戦下において、女子学生たちが風船爆弾製造に駆り出されていたという話は知っていました。
風船で爆弾をアメリカ大陸まで飛ばす?
日本は何処まで追い詰められていたのだ、それは竹槍でB29をつつくような話ではないかと思っていたのでした。

風船爆弾は、1944年11月から1945年4月まで全国の女子学生によって作られた。
巨大な風船を和紙とコンニャク糊で作り、それに焼夷弾と爆弾を吊り下げ、約9千発が発射されたのだそうです。
全国25ヶ所で作られ、例えば小倉造兵廠で働いた少女たちは、学徒特攻隊と名付けられ、一日に二交代、飲んだり食べたりする時間さえないまま昼と夜の12時間、やがて15時間ぶっ通しで働かされた。寮生活で睡眠時間も3,4時間しか与えられず、覚せい剤を飲まされていたと。何を作っているのかも知らされないままで。
アメリカ大陸に到達したと考えられているのは約千発、そのうちオレゴン州ブライに到達した1発で、アメリカの民間人6人が死亡したのだそうです。

「ここでは、わたしたちの兵隊にとっては女を、少女を、姦すことも、ころすことさえ、あたりまえだったから。わたしたちの兵隊は、わたしたちの軍から支給される『突撃一番』のゴムをつけ、あるいはゴムさえつけずに、わたしたちのものになった女を、少女を、姦し、ときには殺す。」
「街が、首都が、陥落するとは、占領されるとは、つまり、そういうことだった。
この街の、大森の、全国の街の慰安所に、わたしたちのうちの女が、少女が、集められた。わたしは、わたしたちの戦争に敗けたわたしたちの国が、わたしたちの政治家の男たちが、まず初めにやったのが、わたしたちのうちの女を、少女を、連合国の兵隊に差し出すことだったとは、まだ知らない」

この本は、詳細な調査により、多くの記録や証言からすくい上げた、当時の少女たちの声の集大成のような本です。
多視点並列で描かれる独特の文体には戸惑いましたが、独特の臨場感はあります。
にしても、9千発発射して、殺したのはたった6人とは。
それを思うと、やはり竹槍でB29をつつくようなものだったような気もします。
そして、ふと英語の副題に気が付きました。
「The Paper Balloon Bomb Follies」
Folliesは愚劣とか愚かなことといったような意味。
「風船爆弾愚行」とでも訳するのかしらん。

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「リラの花咲くけものみち」「アルプス席の母」

2025年04月16日 | 

「リラの花咲くけものみち」藤岡陽子著

幼い頃に母を亡くし、父親の再婚相手に虐げられて不登校になった聡里は、愛犬パールだけが心の支えだった。やがて祖母のチドリに庇護されて立ち直った聡里は獣医師を目指し、猛勉強の末、北海道の大学に入る。そこでの6年間の聡里の様子が、生き生きと描かれています。引きこもりですべてに自信がなかった少女が、仲間に囲まれ、勉強に励むことで、こんなにも成長できるのかと。
本書の中に出て来た椋鳩十の「大造じいさんとガン」という話を私も子供の頃好きだったので、残雪という名のクラスメートが現れた時点で予感がありました。
「鳥の羽の模様には意味があって、互いに同種かどうかを見分ける目印になる。鳥は空を飛びながら、自分と同じ羽根の模様を本能で探して、つがいになる」
だから「同じ羽根の模様をしている」というプロポーズは、聡里にとっては何よりも嬉しいものだったのですね。


「アルプス席の母」早見和真著

神奈川で看護師をしながら、野球に熱中する一人息子の航太郎を育てていた奈々子。
大坂の野球振興校からスカウトされて母子で移住し、甲子園を夢見て頑張るが…
高校球児の母の視点から書いた小説と評判になり、本年度本屋大賞ノミネート。
汗みどろになって頑張る球児も大変だが、その親も大変。
通常の練習見守りや試合毎の遠征、父母会の中での闘い、監督のご機嫌取り。
そしてある日、正規の寄付金の他に、監督に8万円を出せと言われる。
一人8万円×1~2年生の部員50人=400万円。
思わず批判めいたことを言ってしまった奈々子に監督は激高、父母会の一人が必死にとりなしてどうにか納まるが、彼女は後でこう言う。
「あんたの正義感なんかどうでもええ。何が正しくて、正しくないかなんて関係ない。高校野球における監督は絶対の存在や。子供たちの生き死に握っとんのはあの人なんや!親が物申すことなんかあったらあかん。あんたはまだそんなこともわからへんの?もしあそこでキレとったら、あんたのとこの子が干されるだけやない。うちの子にまで迷惑がかかっとったんや!」
いやいや、大変。
甲子園球児たちの親たちには、こんな世界があったのね。

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驚愕の真相「木挽町のあだ討ち」

2025年03月22日 | 


ある雪の降る夜に芝居小屋のすぐそばで、美しい若衆・菊之助による仇討ちがみごとに成し遂げられた。父親を殺めた下男を斬り、その血まみれの首を高くかかげた快挙は多くの人々から賞賛された。二年の後、菊之助の縁者という侍が仇討ちの顛末を知りたいと、芝居小屋を訪れるが…(新潮社HPより)

「我こそは伊能清左衛門が一子、菊之助。その方、作兵衛こそ我が父の仇、いざ尋常に勝負」というかけ声と共に、野次馬を前に仇討ちが繰り広げられる。
その仇討ちを間近に見たという、芝居小屋で働く木戸芸者、立師、女形の衣装係、小道具、筋書といった人々の口から語られる事件の顛末と彼らの人生。
その頃「悪所」と呼ばれていた芝居小屋に辿り着くには、それぞれの生い立ちと越し方の、深い理由があったのです。

「お前さんにとって武士とは何だい」(筋書の金治)
「人としての道を過つことなく、おもねらず、義を貫くことだと思います」(菊之助)
そこまで真っ直ぐの面差しと覚悟を持った菊之助を、芝居小屋の人々が人情の深さでどうやって包み込み、背中を押したか。
なぜタイトルが「あだ討ち」であるかが分かったとき、ストンと腑に落ちる思い。
ネタバレになるのでこれ以上書けないのが残念ですが、なんとも後味が温かです。

直木賞・山本周五郎賞受賞作。
父の書棚にあった司馬遼太郎や池波正太郎を中高生の頃読んだくらいで、時代小説にはとんと縁がない私ですが、これは面白かった。
「奈落の底」の言葉の謂れも初めて知りました。
4月から市川染五郎、松本幸四郎が歌舞伎の舞台でやるそうで、楽しみです。

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「スピノザの診察室」「大使とその妻」

2025年02月25日 | 


「スピノザの診察室」 
和菓子と哲学をこよなく愛する町医者が、終末期の患者と向き合う日々を通して生と死を問う、静かな感動作。
大学病院での熾烈なエリート競争から訳あって抜け出し、姥捨て山のような地域病院に自転車で通い、老人たちを看取る雄町医師(マチ先生)。周囲からは惜しまれていたが、本人は充足した日々を過ごしていた。
「たとえ病が治らなくても、仮に残された時間が短くても、人は幸せに過ごすことができる。できるはずだ、というのが私なりの哲学でね。そのために自分ができることは何かと、私はずっと考え続けているんだ」
京都の街並み、そして矢来餅、阿舎利餅、長五郎餅、赤福、梅が枝餅といった、マチ先生が好きな和菓子が色々出てくるのが楽しい。
映画化が決定したようです。



「大使とその妻」
世界がパンデミックに覆われた2020年、軽井沢に住むアメリカ人の翻訳家ケヴィンは、隣家の元外交官夫妻と親しくなる。能を舞い、たおやかに着物を着こなす典雅な夫人、貴子には意外な出生の秘密があったが、夫妻は突然消息を絶ってしまった。ケヴィンは貴子の数奇な半生を、日本語で書き残そうと決意する。
その夫がケヴィンに語った言葉が、印象に残りました。
「あのまれびとは、どうも月に住んでる人たちと交信してるようなんですよ。そんな時に約束を破って邪魔しちゃあいけないと思ってね」
「(能は)舞台芸術である以前に、祈りのようなもんらしいですよ。舞い降りてくる神様にじぶんの芸を捧げてね、自分がこうして生きていることのありがたさって言うのかな。そんなようなものを感じながら、死んでしまった人たちの鎮魂を祈る…」
こんな言葉をもっと前に聞いていたら、私も能楽をもっと楽しめたのにね?

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「たぶん私たち一生最強」、女たちの共同生活

2025年02月02日 | 


”全員揃えばいつだってバイブス最高!
花乃子、百合子、澪、亜希の四人は高校時代からの女友達。バカ話も重ためな恋愛話もマジレス無用の寸劇も、全てが楽しい20代。そろそろ人生の選択を迫られる年齢を迎え、花乃子が思い描くのは「四人で一生一緒にいる」暮らし。でも、男はいらないってわけじゃないし、結婚だって出産だって興味はある。じゃあ、私たちの幸せっていったい何…?”(amazonより)
仲良し女性4人組がルームシェアを始め、試験管ベビーで二人の子供を産み育てる。
R-18文学賞出身の新鋭が圧倒的センスで紡ぐ、自由と決断の物語。
セックスに関するあけすけな会話に少々辟易しながらも、これからの時代こういうのもありかと、テンポの良い文章を面白く読みました。 

「東京在住26歳大卒の4人には選択肢がありすぎて、心もとないほど自由だった。何を選んだって構わないはずなのに、一番大勢の人が乗ってて声がでかい「男と結婚して種案」ってプランがベタに幸せっぽいせいで迷うし苛立つ。女友達と暮らす人生!ってパッケージがAmazonで売ってて、☆5のレビューが百万件ついてたら安心できるのだろうか。幸せっぽさ、ぽさ、ぽさ。ぽさこそがすべて。私たちには幸せと幸せっぽいものの区別がつかない」

しかし、綺麗に描きすぎている嫌いもあるのではないかとも。
この著者は、実際に女友達と共同生活をしたことがあるのか?と思ってしまいます。
ランチや飲み会をするのと、一つ屋根の下で共同生活をするのとは、訳が違う。
それぞれ生まれ育った背景が違う訳だし、箸の上げ下ろしや、お風呂やトイレなど共有スペースの使い方、そういったものに眉を顰めたりすることはないのか?

私は学生時代、私設の女子学生会館という所にいました。
一年目は2人部屋、2年目からは倍のお金を出せば1人部屋可というシステムでしたが、その2人部屋において、どれだけ細かい諍いの話を聞いたことか。
見た目は一部の隙もなくお洒落に着飾った人が、部屋の中はゴミ屋敷なんてよくある話でした。
私が現在通っているスポーツクラブで、長年仲良くしていた数人の女性グループが数日間の旅行に行き、帰って来たら分裂してしまったということも。
ことほど左様に、寝起きを共にするということは難しいのです。

仲良し女性4人組の楽しい共同生活、でも収入や能力や容姿に関する優劣感、実家との関係の温度差、そうしたことに軋轢があるのではないかと思ってしまうのは、オバサンの僻みかしらん?

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「赤と青のガウン」「テムズとともに」

2025年01月27日 | 


故寛仁親王殿下の長女、彬子女王の5年間のオックスフォード大学留学記。
女性皇族として初の博士号を取得した著者の、赤と青のガウンを着用しての博士号授与式までの奮闘ぶりが、実に率直な物言いで書かれています。
イギリスでの苦労話や博士論文を書くことの大変さ、人間関係のエピソードなど。
例えば有名な、洗剤で洗ったお皿をすすがない件について。
”友人の部屋や家に遊びにいって紅茶などを出されると、うっすら表面に洗剤らしきものの膜が張っていることがある。それを発見すると、「ああ〜」と少し涙したくなる気持ちになる。でも「きっとおなかに入ってもそんなに害のない洗剤を使っているに違いない」と自分に言い聞かせ、笑顔で紅茶を頂くのである。よくよく考えてみると、私も英国に行って随分強くなったものだ”という具合。




ついでに、同じくオックスフォード大学に留学された徳仁親王の「テムズとともに」を思い出しました。
やはり英語に苦労されたこと、研究生活、音楽やスポーツ活動、友人との交流が、こちらは実に丁寧に、気遣いに満ちた文章で書かれていました。
もう2年以上前に読んだので記憶もおぼろですが、今も覚えているのは、ジーンズで街を歩いていたらすれ違った日本女性から「ウッソー」と言われたが、当時はその意味が分からなかったということ。
そしてイギリスの国技であるクリケットについての説明。
要するに、ルールは複雑怪奇であんまり面白いとは思えないスポーツだということが、こんな身も蓋もない言い方ではなく、誰をも傷つけないような言い方で書かれていたのでした。具体的に御紹介できないのが残念!

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頭を丸めて出直してください

2025年01月10日 | 


最相葉月デビュー30周年記念企画という「母の最終講義」を読みました。
五十代の母親が若年性認知症病となり、以来30年に渡って介護をしてきた著者の最新エッセイ集。
内容は介護のことだけではなく、社会のこと、音楽のこと、多岐に渡りますが。


”五十歳を過ぎて、母に育てられた年数よりも母を介護してきた年数が上回った。私には子どもがいないので、これは自分にとっての子育てのようなもの、運命なのだと言い聞かせた”
”約三十年、介護とそれに伴う諸問題で心身共に限界だった時期もあるが、不思議なことに最近は、母が身をもって私を鍛えてくれていると思えるようになった”


凄いなあ、よくこんな風に思えるなあとつくづく思います。
子育ても大変ですが、なんといっても子どもは可愛いし、小さな子どもは母親を嫌という程慕ってくれるし、光り輝く未来がある。
それに比べて、認知症の老親介護は…
母上はコロナ禍のうちに亡くなられ、著者は今、重病を抱えた御夫君と二人暮らしをされているらしい。
この人は読売新聞の人生相談の回答者をやっておられて、私はその回答も楽しみにしています。
そういえば以前、老親のお金の使い道についての相談に、彼女が実に切れ味の良い回答をしていたのに感動して、簡単にメモしていました。


60代の主婦からの相談で、施設にいる100歳近い母の預金残高が数百万円あるが、ケチな次姉がそのお金を管理していて手が出せない、家族や孫やひ孫も一緒に温泉にでも行きたいと思うのだがどうしたものかというもの。
最相さんの回答。
介護用品の購入や私設の諸費用の手続き、銀行や行政機関とのやり取りなどお金に関するやり取りは次姉がやってきて、感謝されこそすれ非難される筋合いはない筈。
そんな姉をねぎらいもせず、明細を要求し、ケチ呼ばわりした上で蓄えを一族の温泉旅行に使おうなんて、介護を知らない無責任な人の放言でしかない、頭を丸めて出直してください、と。


こんな人生があってこその、この一刀両断の回答だったのだと納得しました。

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所有した唯一の愛「雷と走る」

2024年12月21日 | 

表紙の絵に惹かれたのと、「しろがねの葉」で感動した千早茜の最新作ということで読んでみました。

子供の頃、治安の悪い海外で暮らしていたまどかは、番犬用の仔犬としてローデシアン・リッジバックの「虎」と出会った。まどかと虎は共に愛情を感じ合い、唯一無二の相棒だったが、一家は数年後には帰国しなければならなかった。

「ずっと愛がわからない。示し方も、受け取り方もわからない。わからないのに、あれが、あれこそが愛だったと確信している。虎は、私が所有した唯一の愛だった」
「虎について他人に語る言葉を私はどうしても見つけられない。あれは私の罪だから。虎のかたちの咎がぽっかりと空いていて埋まることがないのだと」

そんな文章から、もっと罪深い何かがあったのかと思いましたが…
本書は短すぎることもあり、ありきたりの別れに少々ガッカリ。
虎への愛情と、大きくなった虎の野生との間に揺れる彼女の戸惑い、そして虎を残してきた哀しみの深さには、胸を締め付けられましたが。
治安の悪い国での高い塀に囲まれた邸宅、防犯の為に大型犬を何匹も飼う生活、インターナショナルスクールでの多国籍のクラスメイト達とのやり取り。
著者は一体どういう経歴の持ち主なのだろうと思って検索してみたら、小学校1年生から4年生までを親の転勤に伴い、アフリカ・ザンビアで過ごしたのだそうです。

彼女の絶対の愛である虎は、ローデシアン・リッジバックという犬種。
この珍しい犬を、私は見かけたことがあります。
2020年の春、犬連れ可のイタリアン・レストラン「Diechi」にタロウと行った時、隣の席にいた大きなワンコがそうだったのです。
見たことのない犬種だったので聞いてみたら、南アフリカ出身という飼い主が、丁寧に説明してくれたのでした。



地元のホッテントット族が古くから猟犬として飼育していたホッテントット・ドッグとヨーロッパのマスティフタイプの犬のミックスで、カバ、ゾウ、ライオンなどの猛獣を狩るのに使われていた勇猛な犬であり、日本には数頭しかいないのですって。
麻布にいたその犬はまだ仔犬であったこともあり、こんな可愛い顔で、その本来のどう猛さは想像もできないのですが…

リッジバックに会った時の日記

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「重要証人 ウイグルの強制収容所を逃れて」

2024年11月30日 | 


著者は新疆ウイグル自治区にカザフ人として1976年に生まれ、医師であり、教師であり、2人の子供を持つ母親。
子供の頃は豊かであった故郷が中国にどんどん侵略され、搾取され、監視体制が強化する中、ある日突然、強制収容所に連行される。
命がけで国から脱出した彼女によって、そこでの地獄のような実態が詳細に書かれています。

表向きは「職業技能教育訓練センター」という名前で、「先住民が資格を得て卒業する学校」と中国が位置付けている強制収容所。
2017年11月、武装警官にいきなり家に押し入られ、著者は頭巾を被され収容所に連れて行かれる。
そこで彼女は中国語教師として働かされるので、一般の収容者よりは遥かにマシな扱いであったらしいが、それでも読むにも辛い日々。
一般の収容者は手錠足錠を嵌められ、16㎡に20人詰め込まれる。
トイレは一房にバケツ一つ、それは一日に一回しか空にされないので、それが満杯になったら、膀胱が破裂しようとも我慢しなければならない。
食事は「煮崩れしたような蒸しパン一つと、数粒の米が浮いた僅かな量の重湯」。
そして朝から晩まで、収容者たちは自己批判させられ、中国語と中国政府の理想と信念を叩き込まれる。
少しでも姿勢を崩したり、反抗的な態度を取ろうものなら、拷問部屋に連行される。
そして彼女もある日、拷問部屋に連れて行かれ、電気椅子に座らせられ、電気ショックと殴打で気を失うまで責められるのです。

収容所での残虐行為は、書き写すのもおぞましいことばかりですが、そのひとつ。
ある日、20歳位の娘が収容者100人程の前で、自己批判をさせられた。
「私は初級中学3年生の時、祝日を祝おうと携帯電話でメールを送りました。それは宗教行事に関する行為であり、犯罪でもあります。もう二度としません」
職員がいきなり彼女を押し倒し、彼女のズボンを引き裂いて、上に覆いかぶさった。彼女は狂ったように泣き叫び、周囲に助けを求めたが、誰も助けることはできない。
男性収容者の一人が耐え切れなくなり、「何故こんな酷いことをするのだ?おまえたちにも娘はいるだろう!」と叫んだが、男は直ちに拷問室に引きずられて行った。そして何人もの職員が、娘の血まみれの太腿を割ってのしかかって行ったと。
公開レイプだけではない、おぞましい拷問が山ほど。
収容者たちは怪し気な「予防接種」をされたり、薬を毎日強制的に飲まされる。
それを飲むと気分が悪くなり、収容女性の大半に生理が来なくなったと。

2018年3月、著者は唐突に釈放されるが、監視体制は厳しくなるばかり。
そして自分が今度は教師としてではなく、収容者として連行されることを知って、命がけで脱出し、奇跡的にカザフスタンに逃れることができたのです。
中国寄りのカザフスタン政府によって彼女は逮捕され、裁判にかけられ、亡命申請を却下されるが、その状況をSNSで世界に発信されたことから国連がとりなし、2019年からスゥエーデンに家族で移住。
しかしそこで暮らす今も、毎日のように中国語で脅迫電話がかかって来るといいます。

若い頃、ソルジェニーツィンの「収容所群島」、ユン・チアンの「ワイルドスワン」、そして北朝鮮の脱北者の手記などを読んで、その度に驚愕して来ました。
人間は何処まで残酷になれるのだろうと思います。
著者が収容所でさせられたことの一つが、中国の公敵の第一位であるアメリカを中傷することだったと。
そして公敵第二位は、日本であったそうです。

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