
ケルンの裕福な家に生まれたハインツは、12歳の時に両親と共にウーチ収容所に送られる。そこで父を亡くし、母とビルケナウ収容所に送られ、母を亡くす。15歳のハインツは一人で過酷なビルケナウ、そしてアウシュビッツ、更にブーヘンヴァルト収容所で、常に死と隣り合わせになりながら生き抜いていく。
表題は、アウシュビッツで彼が任された馬の世話係を表します。
年中飢えに苦しめられた収容所で、馬の世話をするなら少しは馬の餌のおこぼれにありつけるのではないかと読み手も期待しますが
”もしも盗み食いの現場を兵士に押さえられたら、すべては終わりだっただろう。兵士らは毎日見分を行い、私たちは大きく口を開けさせられ、懐中電灯で口の中を調べられた。もしも人参の食べかすや、口内のくぼみにたまったカラスムギが見つかれば、一巻の終わりとなる。連行され次の日曜日に絞首刑に処せられる”
それでも、
”生きるためなら、人は驚くべきことをやってのけるものだ。盗み食いは命を懸ける価値がある行為だった。なぜなら十分な食べ物を手に入れられなければー手に入れられることなどなかったーどのみち数週間後には餓死してしまうのだから”
彼は馬の餌を時々こっそり盗み食いしながら、何とか生き延びるのです。

書き写すのも憚られるような、あまたの残虐シーン。
アウシュビッツやブーヘンヴァルト、その時代を切り取った写真も挿入されています。
見せしめのための公開処刑や、有名な「死の行進」の描写も酷いが、例えばこの写真。
アウシュビッツについての他の本や映画でも散々見て来ましたが、やはりこのカイコ棚のような写真には、説得力があります。
1945年に収容所が解放された時、ハインツは16歳、体重は35Kgであったと。
ケルンから強制移送された2011人のユダヤ人のうち、生き残ったのは23人であったそうです。
そこから彼はフランスに渡り、そしてアメリカの叔父夫妻にひきとられ、名前をハインツからヘンリーと改め、UCLAを卒業して検眼学の教授となり、2019年に90歳で逝去。
まだ最近のことだったのねえ。
しかし、今のガザの状況を見たら、彼は何と言うのでしょう…?
ヘンリー・オースター著。