Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

ほんの一部の乾通り

2022年11月30日 | お出かけ

皇居の乾通りが3年ぶりに一般公開されたというので、行って来ました。
乾通りの公開は、上皇陛下の傘寿を祝って2014年(平成26年)の春・秋に実施され、以来、桜と紅葉の時期の風物詩となったそうですが、コロナで2年間中止。
ようやく公開なった今年は、11月26日~12月4日の9日間。



東御苑は何度行ったか分からない位ですが、乾通りは初めて。
坂下門から入り、宮内庁庁舎を横手に見て、色鮮やかな紅葉の中をどんどん進む。
赤いモミジの奥に控え目に咲いているのは、冬ザクラ。



こちらは大奥の女性たちが出入りしていたという「局門」。
時代劇や時代小説に疎い私が、去年骨折して動けなかった時に読んだ「天璋院篤姫」や「和宮様御留」を思い出しました。
薩摩島津家分家に生まれた篤姫は、13代将軍家定の正室として江戸城に送り込まれるも、すぐに未亡人となる。
紀州藩主徳川家茂が14代将軍に就任、公武合体政策で家茂の正室として皇女・和宮を朝廷から迎え入れ、篤姫は10歳下の和宮の姑となり、大奥3千人を取り仕切っていくことになる。
幕末の動乱期、幕府と朝廷の対立と両者を担ぐ勢力のきな臭い争いの中、大奥の世界で篤姫がどのように孤軍奮闘したか。
自分より身分の高い嫁、和宮との確執は…?



皇女和宮「降嫁」の中仙道の大行列は、50Kmの長さになったと。
先頭が江戸城に到着しても、尻尾はまだ八王子にいたということになります。
公家や護衛の武士、荷物を運ぶ人足など2万人の大行列が、京都から江戸まで25日間かけて進んだということです。
なんという無駄な贅沢をしたことか。



そんなことを思い出しながら歩いた乾通りは、皇居のほんの一部です。
そして皇居は、江戸城のほんの一部。
どれだけ広かったのだ!?江戸城。
乾通りに入る前のランチは、有楽町ビルディングにある万世で。
万世と言ったらパーコー麺!ということで食べてみましたが、私にはボリュームあり過ぎて、パーコーも麺も完食ならず。

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飛び乗れない?飛び乗らない?

2022年11月29日 | 家庭

タロウは、運動神経はよかったのです。
我家のベッドは、分厚いマットレスの上にエアウィーブのマットも敷いていて、高さ70㎝ほど。
そこにタロウは、以前は直に跳び乗っていました。
そして簡単に飛び降りてしまうので、それは腰に悪いだろうと、衣装ケースをジャンプ台として置くようにしました。
ケースにはタオルをかけて、その下にはマットを敷いて。

普段はタロウ、リビングにあるケージの中で寝かせるようにしていますが、夫婦どちらかが出張や帰省でいない時など、なんとなくベッドで一緒に寝ていいことになっています。
人肌が恋しいのか、タロウは喜んでベッドに飛び乗って来ていたのです。

それがここ一ヶ月ほど、まったく来なくなりました。
リビングのテーブルで、PCや読書をする私の膝にも、飛び乗って来なくなりました。
私の膝の上は、タロウの定位置だったのに。
いつの間にか、飛び乗れなくなったらしいのです。
半年ほど前から車のシートに飛び乗れなくなり、そして最近、私の膝にも、ベッドにも。
何度か失敗して、あり?こんな筈じゃ?という顔が、なんとも悲しかった。

飛び乗れなくなると同時に、近寄っても来なくなってしまいました。
足元に来てくれれば、いくらでも抱き上げてあげるのに。
私が抱き上げて膝の上に乗せても、すぐに飛び降りてしまう。
そして日当たりのよいリビングの床の上で、15歳の今、散歩以外は終日寝ているという感じ。
(元々犬は、元気な時でも遊ぶ時以外は殆ど寝ているのです)
ゴミ箱荒らしは相変わらずなので、留守にする時は蓋+伸縮棒で対策していますが。

タロウに一体どういう心境変化があったのか?
飛び乗れなくなるや、まったく来なくなるなんて、極端過ぎない?
歳とって、もう甘えるのも面倒になっちゃったのかな?
寂しいなあ…

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「あの家に暮らす4人の女」「砂嵐に星屑」

2022年11月28日 | 

昨夜のコスタリカ戦はいいとこなしの試合で、ガーッカリしましたが…
選手たちはもっとガッカリしているのでしょうね。



「あの家に暮らす四人の女」三浦しおん著
杉並の古い洋館に暮らす、詩集作家の佐知(37歳)と気ままな母、佐知の友人リアリストの雪乃とダメ男に甘い、その後輩多恵美。
開かずの間から河童のミイラが現れたり、多恵美がストーカーに付きまとわれたりと、日々の珍事に事欠かない。
恋愛や結婚ばかりがすべてではないと思わせる、女たちの笑いに満ちた緩やかな日々。
気の合う女4人で暮らす生活は、それは楽しいだろうけれど、綺麗に描かれ過ぎているような気もします。
一つ屋根の下に暮らせば、小さなアラが気になったり、一人若くて可愛く、デートにいそしむ多恵美に嫉妬したりとマイナスの面も多少は出てくると思うのですが…
世田谷の空の主、カラスが語り手になったり、抜かれる時に悲鳴を上げるという人型の植物、マンゴラドラまで登場する、しをんワールド全開の楽しい小説です。



「砂嵐に星屑」一穂ミチ著
大阪のテレビ局が舞台。
社内不倫の前科で左遷され、腫れ物扱いの四十代独身女性アナウンサー、娘からはマスゴミとバカにされ、同期の早期退職に悩む五十代の報道デスク、好きになった男がゲイで望みゼロなのに同居している二十代タイムキーパー女子、非正規社員の現状にぬるく絶望している三十代AD男子。それぞれが人生に悩み、絶望しているようすが、テンポの良い関西弁で語られる。
私は三章の女子の悲しみに心打たれましたが、彼女、結花の台詞が凄い。
”わたしのことを好きになってくれへんのなら、せめて一発やらせてください。
「何やねんお前、ほんま何やねん、最悪や、出てけ」
顔を背け、呻くような泣くような声を漏らす由郎を見下ろしているうちにだんだん衝動が収まり、遅まきながら冷静になってきて、「ごめん」と無意味な謝罪を残して離れた。好きな人が自分を好きじゃないこと、好きな人に優しくできないこと、あんな男にまんまとやられてしまったこと。蛇行し乱高下する結花の軌道は惑うどころか迷走の極致だった”
結ばれることがない人を好きになった結花の悲しみは分かるけれど、だからといって「せめて一発」とか、その相手と同居するとか、或いは他の男に安易に抱かれるという辺りが私には理解できませんが、それでもヒリヒリする痛みが伝わってきました。
全編を通して、生きることの息苦しさ、それにもがく人間たちへの応援歌を歌い上げたような短編集です。

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ギャラリーから赤の広場へ

2022年11月27日 | お出かけ

上野の美術館の帰り、友人が個展をしているギャラリー銀座に。
車を中心に描かれた、明るいタッチの水彩画。
この黄色のお洒落なポストは、フランスで見つけたものなのですって。
何年ぶりかに会う画家の友人とお喋りをして、絵画を鑑賞。



ギャラリーは銀座と言っても東銀座にあり、その後、近くの「赤の広場」に寄ってみました。
近年できたというロシア食材店、気になっていたのです。
ロシアのウクライナ侵攻が始まってからは、この店の看板が壊されたというニュースも。
昭和通りに面した、小さな間口の明るいお店はすぐに見つかりました。
店内には、可愛らしいマトリョーシカなどの小物もいっぱい。



ロシア旅行に行った時、食事はとても美味しかったのです。
そしてお土産に買ったお菓子も。
例えばプルーンやアンズが丸ごと入ったチョコレート。
スーパーで安く買った大袋入りのそれは、沢山入って安くて美味しかった。



「赤の広場」には、そうした大袋入りのお菓子はなくて、観光客用の綺麗な箱に入った物が多い。
私が求めるものはありませんでしたが、店主のロシア人女性に、フルーツの入ったお勧めのお菓子を聞いたら、紹介されたのがこれ。
リンゴでできたお菓子という、片手に乗る位の小箱に入った「ベリョフスカヤ・パスティラ」。



中には茶色のカステラの、四角い塊のようなものが入っていました。
薄く切って食べてみたら、甘酸っぱくてしっとりして、リンゴとクランベリーの味がする。
検索してみたら、ロシアの伝統的なスイーツの1つで、小麦粉を全く使わずにりんごのピューレ、卵白、砂糖だけで作られているのだそうです。
今までに食べたことのない味。
甘酸っぱいお菓子が好きな私、ちょっとクセになるかも…

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公園の中には

2022年11月26日 | お出かけ

上野公園には、黄色いイチョウ、赤いモミジ、オレンジの桜の葉などが陽射しに輝いていました。
岡本太郎展の他にも国宝展、ピカソ展など話題の展覧会が目白押しで、そのせいか人出もそこそこ。

  

広い公園内をぶらぶら散歩すると、噴水広場の池に不思議なものが。
色とりどりのチューリップが満開!



これから冬というのに、何故!?
しかも、蕾とかしおれた花など一切なく、どれもが綺麗に咲き誇っている。
まさか造花じゃないよね?



帰ってから調べてみたら、これはアイスチューリップといって、球根を一定期間冷蔵することで開花時期を早めたものなのですって。
低温下に置いた後に自然の環境に戻すと、春が来たとチューリップが勘違いして冬のうちに開花するのだそうです。
しかも気温が低い時期に咲く、つまり冷蔵庫の中にあるような状態なので、開花した後も長持ちするのだと。
知らなかった…



ランチは、都美術館の中の上野精養軒「サロン」で。
都美術館内には、軽食の「カフェ・アート」、カジュアルな「レストラン・ミューズ」、シックな「レストラン・サロン」と精養軒のレストランが3種類。
上野公園の中にはまた、精養軒本店もあります。
精養軒では何度も食べていますが、その歴史を知らなかったのでちょっとググってみたら、1876年(明治9年)に上野公園が開場した時、欧米視察より帰国した岩倉具視の勧めで公園内食事処かつ社交の場としてオープンしたのですって。
明治16年にできた鹿鳴館、明治23年にできた帝国ホテルよりもずっと前に。
そんなに歴史あるレストランだったのね。
ちなみに神田精養軒は、精養軒ホテルベーカリー部門が独立したもので別会社、2009年に倒産したそうです。
プリフィックス・スタイルのランチコースで、公園の木々を目にしながらビーフシチューを美味しく頂きました。



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岡本太郎展

2022年11月25日 | 社会

岡本太郎の、青山の小さな記念館ニも川崎の大きな美術館にも行ったことがあります。
今更その展覧会って?と思ったのですが、”最大規模のスケールの岡本太郎回顧展”ということです。
確かにその量に圧倒されました。
しかも、日本の美術館にしては珍しく、全作品撮影OK!

 



岡本太郎の養女、敏子さんの本の中に、彼は子供の絵が好きだったというような記述があったように思います。
忙しい仕事の合間に児童絵画コンクールの審査員をよく務め、オレが行かないとつまんない絵ばかりが賞を取り、本物が落とされちゃうからというようなことを言っていたそうです。
彼自身、小学校に馴染めず4回も学校を変え、死を何度も考える子供であったと。



最終的に慶應幼稚舎に入り、東京美術学校(今の芸大)、そしてパリに移住してソルボンヌ大学に入学。
ドイツのパリ侵攻で帰国、そして徴兵されて中国に行き、敗戦後も俘虜として抑留され1946年に帰国。
彼の著書のどこかで、人生の中で軍隊生活が一番辛かったというようなことを言っていたような。
さもありなんと思います。



これは、復員の翌年に描かれたという「憂愁」。
”岡本の自画像とも言えるこの顔のない肉塊は、戦争によって深く傷つき、すべてを失った作家の心象を伝えるものである”という解説が。



岡本太郎が最後に取り組んだとされている「雷人」。
中央にある顔は天地逆になってしまっているが、四方に向けてほとばしる描線が、晩年になっても衰えることのなかった岡本の創作意欲を感じさせると。



これは、ウチのタロウみたい。
こんなのを見ると、ホッとします。


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えらい違い

2022年11月23日 | 社会

先日、回顧園のヤドリキの写真をアップしたところ、FBで思いもかけないコメントが入りました。
ヤドリキと聞くと連想するのは、先端に爆弾を積み込んで目標に激突させる、大型飛行機に連結させた小型爆撃機ミステル(ドイツ語でMistel、ヤドリギの意)だというのです。
なんとまあ。
軍事オタクにかかるとそうなるのか。

私がmistletoe(英語)という言葉を知ったのは、その下で男女がキスすると恋人になるというロマンチックな言い伝えを何かの本で読んだからでした。
ハリポタの原作にも、ハリーが思いを寄せる少女チョウとヤドリキの下でキスをする、そんな場面がありました。
同じヤドリキでもえらい違い。
ちなみに懐古園のこの木は、樹齢500年のケヤキの木だそうです。



今日は汐留のイタリア人街でのクラッシックカーの集まりCoppa Di Tokyoに誘われて、楽しみにしていたのですが、冷たい雨なので私は中止。
今日はのんびり読書とお絵描きでもしますか。
これが最近描いたおチビとタロウです。



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軽井沢旅行②小諸なる古城のほとり

2022年11月20日 | 国内旅行

分かっていたこととはいえ、軽井沢でほぼ終わりがけの紅葉を目の当たりにして、少々がっかりしたことは否めません。
するとネットで検索していた夫が、小諸の懐古園はまだ見頃らしいと。



半信半疑で行ってみたら、車で一時間もかからないのに、鮮やかなオレンジ色の世界が拡がっていました。
全身がオレンジ色に染まるような感じ。



小諸城は日本百名城の一つであり、日本唯一といえる「穴城(あなじろ)」なのだそうです。
穴城というのは、城の玄関口である大手門がもっとも標高の高い場所にあり、本丸がもっとも低地にあるからそう呼ばれるのだと。
その小諸城址懐古園には、遊園地、動物園、藤村記念館などもあり、日本さくら名所100選に選定されていると。



広い園内には、何組もの小学生の遠足グループが楽しそうに遊んでいました。
日本ではあまり見かけないヤドリキも。



せっかく小諸に来たのだから蕎麦を食べようと思ったのですが、ペンションの朝御飯をしっかり食べたのでおなかが空かない。
結局また軽井沢に戻り、遅めのランチを星野リゾートのハルニレテラス、イル・ソーニョで。
生ハム、生シイタケ、生ワサビのピザが絶品。
小さな角切りの生ワサビ入りのワサビソースがかかったピザを、鼻にツンツン来るのをこらえ、涙ぐみながら食べて帰途に着きました。
今回もほぼ私が運転しましたが、関越と東名が外環で繋がれば、軽井沢はもっと近くなるのにねえ。



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晩秋の軽井沢

2022年11月19日 | 国内旅行

軽井沢の紅葉は、通常11月上旬までなのだそうです。
今頃行ってももう終わりかなと思いながら、11月初めは夫が忙しかったし、宿が取れなかったし(犬連れ可の宿は非常に限られる)、仕方がない。
初めての晩秋の軽井沢、あまり期待せずに出かけてきました。
車から降りると空気がヒンヤリ、首都圏より7~8℃低い感じ。
雲場池の周りは紅葉の見所らしいのですが、ほぼ終わって裸木となり、下に落ち葉が散り敷いている。
寒々とした池には、沢山の鴨たちが悠々と泳いでいる。
所々残っている紅葉を見て、頑張ってくれてありがとうという感じ。



雲場池から六本辻を抜け、旧軽井沢へとどんどん歩く。
茜屋珈琲店がまだあって少しホッとするが、ここは犬連れ不可。
昔は私の大学があった目白にもあってよく行ったのに、とっくに無くなってしまいました。



その先の旅籠風の建物のつるや旅館を見ると、ここが昔は中仙道の宿場町であったことを思い出させてくれる。
更に先のカラ松林の中のショー記念礼拝堂は、カナダ人の宣教師ショーが1886年(明治19年)に建てた礼拝堂で、その隣にはショーハウスもあり、避暑地としての発祥の地となったという。



軽井沢は旧宿場町ではなく、お洒落な別荘地としての生き残りを選んだのね。
私のスマホの歩数計で1万歩超、タロウ、老犬としてはよく頑張りました。



犬連れ可のペンション、こじんまりしたソラホテル軽井沢は、こうした施設にしては珍しく大型犬もOKのようで、ボルゾイやレトリバーもいました。
犬嫌いのタロウは一緒に写真が撮れなかったのが残念。



今までタロウを連れての旅というと、伊豆の温泉宿に行くことが多かったので
温泉がないのが少々物足りなく感じられましたが、タロウと行けただけでもよしとしなくちゃね。

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岐阜こぼれ話

2022年11月16日 | 社会
(川原町で)

キムタクが伊藤英明に連れて行って貰ったという、ベトコンラーメン店「香楽」。
話のネタに行ってみたのですが、11時半の開店時で既に20人以上待ちでした。
ここは昔からある、小さな目立たないお店だったのに。
キムタク効果、まだまだ凄い!
ベトコンという名前はベトナム戦争から来たのかと思っていたのですが、「ベスト・コンディッション」の略なんですと。



そんなに待ってられるかという夫と次に向かったのは、車でほど近い恵時尊(エジソン)という珈琲店。
昔は見かけなかった新しいお店なので、行ってみようかと。
ぎりぎりモーニングセットに間に合いました。
岐阜、名古屋の喫茶店のモーニングは有名なのですが、私は帰省中はそんなのを楽しむ余裕はとてもなくて、殆ど恩恵を受けたことがなかったのでした。
カフェ・ラテ(600円)にこれだけのセットが付きます。



川原町で、こんな自動車に遭遇しました。
「NAVYA」という名前を検索してみたら、自動運転車を作るフランスの会社なのですって。
岐阜ではその自動運転バスの、実証実験をしているらしい。
覗いてみたら、確かにハンドルも運転手もいないのに、お客が乗ってる!
岐阜の小京都といわれる、町屋が建ち並ぶ川原町を走る未来型電気自動車。
そのギャップがなんとも…

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