Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

いつかその日が

2017年01月31日 | 家庭
息子たちを被写体にして、小さな頃から膨大な写真を撮って来ました。
アルバムに整理し、焼き増しして時に双方の実家に送り(昔は写メなんてなかった)、
小さなポケットアルバムも二つ作りました。
息子たちが一人立ちするときに渡そうと。



引越しの際、渡そうとしたら
二人とも要らないと。
そんなもん見ないよ。
私の努力は…( ノД`)


頭にきた私がしたのは、タロウのアルバムを作ること。
今はネットで写真を送るだけで、こんなフォトブックが簡単にできちゃうのですね。
タロウなら文句言わないし。



タロウは私を置いて出て行ったりしないけれど
でも、いつか別れの日が来るんだよね。
やっぱり駄目だ…( ノД`)シクシク…
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「カルメン」@新国立劇場

2017年01月29日 | 劇、オペラ、コンサート


ビゼーのオペラ「カルメン」は、私ですら知っている曲が多く、
ストーリーも非常にシンプルで、気楽に楽しむことができました。

魔性の女カルメンと一途な男ドン・ホセの悲恋物語。
ドン・ホセはカルメンに恋するあまりに軍を解雇され、盗賊の一味に身を落とすのですが
奔放なカルメンは花形闘牛士に惹かれるようになり、あっさりとホセを捨てる。
激高したホセは、幼馴染の少女ミカエラの懇願も顧みず、カルメンに刃を突き立てるのです。



カルメンの登場の際の「ハバネラ」、花形闘牛士が歌う「闘牛士の歌」、
オペラに全く興味がない人でも知っているような曲ばかりです。
今回のカルメンは、ロシアのエレーナ・マクシモワ、
ドン・ホセはイタリアのテノール歌手マッシモ・ジョルダーノ。
こちらの動画でその抜粋を味わうことができます。



幕間にワインを楽しみながら、新国立劇場サイドの知人と少々お話しました。
国立劇場が最近、PPAPをもじった動画を発表したことから
新国立劇場ならではのPPAPを作ってみたらいかがですか?と申し上げてみたら
ウチではあり得ません、とあえなく却下されてしまいました。
あのお堅いイメージの国立劇場が、三味線、笛、小鼓など和楽器でPPAPを演奏して
大評判になったのに。
新国立お抱えのバレエダンサーを使って優雅なPPAPを作ったら
きっとウケると思うんだけどなあ…


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天使にショパンの歌声を」

2017年01月28日 | 映画


1960年代、カナダの修道院経営の女学校が採算に合わないとして
廃校の危機に追いやられます。
音楽教育に力を入れる修道女で校長のオーギュスティーヌは、姪のアリスや
その他の女子学生と協力し、音楽の力で学校の存続を図るが…

雪深いケベックの冬、煉瓦作りの重厚な校舎。
白い襟の綿シャツ(アイロン掛けが大変だろう)、ボタンを襟元まできっちりとめた
紺のカーディガン、グレーのヒダスカートの女子学生。
修道女たちはご存知あの、黒のカソリックの尼僧スタイル。
絵のように美しい映像です。



そういえば私は子供の頃、バーネット夫人の「小公女」が大好きで
寄宿舎というものに激しく憧れたのでした。
「小公子」「小公女」「秘密の花園」というお気に入り3作が入った
児童文学全集のイギリス編のその巻は、小さかった私の宝物のようなものだった。
だからこの映画の予告編を観た時から、楽しみにしていたのでした。



本作のヒロインのアリスは、「小公女」のセーラより年長で
学校の厳しい規則に反発して寄宿舎を飛び出してディスコで踊ったり、
格調高いクラッシック音楽をジャズ風にアレンジして演奏したりします。
どんなに厳しい校則で抑えようとしても、弾けてしまう若いエネルギー。
責任感と使命感の強い校長と、自由を求めるアリスとのぶつかり合い。
叔母と姪としての軋轢も、双方の気持ちがよく分かります。



でも、何か足りない。
これだけ美しい背景にストーリーも練られ、小道具も揃っていて
何故感動しないのだろう?とちょっと残念な仕上がりでした。
それでも女学生たちが演奏するバッハ、モーツァルト、ショパン、ドビュッシー、
リストらの曲は、ストーリーともよく絡み、夢のように美しい。
演奏、合唱はすべて吹き替えなしの本物だそうです(HPの予告編で味わうことができます)。
しかしこの邦題は…
アメリカ映画「天使にラブソングを」を安易に真似たとしか思えない。
原題は“La passion d’Augustine”(オーギュスティーヌの情熱)。

公式HP http://tenshi-chopin.jp/

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「沈黙 -サイレンス-」

2017年01月26日 | 映画


高校生の時、遠藤周作の「沈黙」を読んで、只々打ちのめされました。
マーティン・スコセッシ監督によって映画化されたことを知り、
殆ど内容を忘れてしまった本を再読しようか迷った結果、直前にamazonに注文。
40年ぶりに読み返してからの、映画鑑賞でした。

17世紀、島原の乱が鎮圧されて間もない頃。
恩師フェレイラが日本で拷問に耐えかねて棄教したという噂を聞いて
宣教師のロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルベ(アダム・ドライヴァー)は
危険を顧みず、フェレイラ探しを兼ねて鎖国日本に渡航。
マカオで出逢った日本人のキチジロー(窪塚洋介)の道先案内で
長崎の貧しい村へとようやくたどり着くが、間もなく捕まってしまう…



”日本のどこかに今、あのフェレイラ師が生きている。碧い澄んだ眼とやわらかな光をたたえたフェレイラ師の顔が日本人たちの拷問でどう変わったかとロドリゴたちは考えた。しかし屈辱に歪んだ表情をその顔に重ねることは、彼にはどうしてもできない。フェレイラ師が神を棄て、あの優しさを棄てたとは信じられない”
(「沈黙」より)



雲仙地獄の煮えたぎる熱湯を、裸の宣教師たちに浴びせる拷問のシーンから
映画は始まります。
薦俵(こもだわら)に巻かれて体を縛られ、海に落とされる拷問。
耳の後ろを一カ所切られ、穴の中に足から吊るされる「穴吊り」という拷問。
(血が少しづつ落ちることで、すぐには死ねずに長く苦しむことになるのだそう)

いやもう、正視できないシーンがそこら中に。
そこに狡猾な井上筑後守(イッセー尾形)の声が畳みかけられる。
「心より踏めとは申さぬ。ただ形の上で足かけ申したとして信心に傷はつくまいに」
自分が「転ばない」ことで、自分のみならず、
大勢の百姓が拷問にかけられ、殺されるとしたら?
棄教か殉教か、壮絶な葛藤に苦悩するロドリゴに、神は沈黙し続ける。



キチジローという男は、実に情けない男です。
脅されてすぐに踏み絵を踏み、ロドリゴを裏切って密告し、そのくせ告解を聞いてくれと
何度も何度も泣きつき、オレは弱い人間なんだと開き直る。
低俗で欲張りで狡猾で無知で浅ましい男。
軽蔑しながらも共感を覚えてしまうのは、所詮自分が弱い人間だからか。

ニューヨークのイタリア系移民の家に生まれたスコセッシ監督は敬虔なカトリック教徒で
幼い頃は映画監督ではなく、司祭になりたかったのだそうです。
28年前にこの本を読んで深い感銘を受け、どうしても自分の手で映画化したいと決意したのだと。
人間の弱さが焙り出される、重く苦しい映画です。

公式HP http://chinmoku.jp/
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

息子たちの引越し

2017年01月23日 | 家庭
名古屋在住だった長男Yが東京勤務となり、こちらに帰って来ました。
が、実家に戻る気など更々なく、都心のマンションをさっさと契約。
本人は休暇の初めに名古屋から荷物を送り出し、セブ島に行ってしまったので
私が先日、引越し先に行き、荷物の搬入に立ち会いました。


(長男の部屋)

次男Jは大学も会社も都内で、ずっと一緒に暮らしてきました。
昨年秋頃から終電で帰るような忙しい日が続き(この辺りの終電は1時近くまである)、
もっと都心に近い所に引っ越そうかなとボヤいていたのですが
この子はタロウを溺愛しているので、中々出て行かないだろうと甘く見ていました。
ところが先月契約を済ませ、荷物をまとめ、本当に出て行ってしまったのです。
渋谷から一駅の、地下鉄の駅前のマンション。
それが一昨日。
私も一緒に行って、引越しを手伝って来ました。


(次男の部屋)

二人とも相談まったくなしの事後報告だったので
行ってみて驚きました。
若い男の子の一人暮らしなんて、安アパートのワンルームだろうと思っていたのですが
どちらもオートロック、エレベーター、管理人付きの立派な建物。
部屋にはエアコン、照明、ウオッシュレット、浴室乾燥機能付き。
今の若い子が贅沢なのか、ウチの息子たちが贅沢なのか?

Jはタロウには優しいが…
専業主婦なんかいるから、オレ達の世代に皺寄せが来るんだよと
私に対して批判的でした。
小さい頃はママべったりの優しい子だったのに
大きくなるにつれ、どんどん生意気になって。
一度は親元を出て一人暮らしをした方が、本人の為にいいだろうくらいに
私は軽く思っていました。
でも考えてみたら
一度出て行った息子は、二度と一緒に住むことはないのかもね。
Yがそうであったように。



大学から家を出て行ってしまった長男はともかく、
26年間一緒だった次男の不在感は、思ったよりも大きい。
毎朝、夫が出勤するのをタロウと玄関で見送ってから
出勤が夫よりも遅いJの部屋のドアを開けてやるのが常でした。
タロウ、大喜びでJのベッドに潜り込んでいたのです。
今朝もキュンキュンとしつこくせがむのでドアを開けると
がらんとした部屋で、所在無げにあちこちをクンクンしている。
おバカタロウ、兄ちゃんはもういないんだってば…
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魚が蕎麦に飛び込んでいる!

2017年01月22日 | 国内旅行


祇園の白川沿いにある「ぎをん小森」。
お茶屋を改装したという、古い町屋造りの甘味処。
こちらの座敷席で、葛切りが入ったあんみつを頂きました。



SNSで海外の友人に意外に受けたのが、この写真。
ソウルから来たという若いお嬢さんたちと、四条のお蕎麦屋で。
レンタル着物、季節感ゼロで七五三のようではありますが
こうして見ると、春のお花畑のように華やか。
そしてニシン蕎麦、これを見た友人が”Fish has jumped into noodles!”と。
そういえば子どもの頃は私も、魚が丸ごとお蕎麦に?と
ギョッとしたものでした。
今では大好きですが…
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実光院の不断桜

2017年01月20日 | 国内旅行


実光院は、大原、三千院の北側にある天台宗の寺院です。
お寺の入り口に、境内に今咲いている花の写真が出ていました。
似たような赤い実の、千両、万両、南天。
実家にもあったのに、私はいつも混同してしまう。
これで違いがよく分かります。



このお寺はまた、不断桜で有名であるらしい。
初秋から春にかけて少しずつ花を咲かせるという、珍しい桜です。
冬の陽射しの庭の中に、ひっそりと咲いていました。

部屋の中では、スラリとした若いお坊さんが丁寧に案内して下さいました。
我家の息子と変わらない年頃かと思ってお聞きしてみたら
やはり似たようなお歳、そしてこちらの住職さんなのだそうです。
逆らったりするようなことはなかったのですかという失礼な問いに対して
いや色々ありましたよと。
朗々とした声でお経を読みながら、「編鐘」という楽器を演奏して下さいました。



「実光院」で検索してみたら
その名のツィートが見つかりました。
”1月14日「不断桜はふんわり雪の綿帽子をかぶっています」”
https://twitter.com/jikko_in


あの若い住職さんが書かれているのかな…?
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

壬生寺に行ったのは…

2017年01月16日 | 国内旅行
そこの本堂と狂言堂が特別公開されるから是非と
友人に勧められたからでした。
本堂は7年ぶりの公開、狂言堂に至っては初公開だったのだそうです。
私にはそのありがたみがよく分からなかったのですが
観光ボランティアの人に「こちらを案内できる日が来るなんて…」と感極まるように言われて
そんなに大変なことなのだと、改めて認識した次第。


(壬生狂言堂)

狂言を演ずる狂言堂(大念佛堂)は、安政3年(1856)の再建ですが
綱わたりの芸をする「獣台(けものだい)」や鬼などが飛び込んで消える
「飛び込み」などの装置を持つ、他に類例を見ない特異な建造物として、
昭和55年に国の重要文化財として指定されたのだそうです。



しかしこの狂言堂も、壬生寺本堂も、撮影禁止。
金戒光明寺の西翁院も禁止でした。
京都はまだまだ撮影禁止の名所が多いのですね。
海外の観光名所で撮影禁止というのは、あまり聞かないような気がする。
外国人観光客がこれだけ増えた今、見直す必要があるのでは…?



という訳で、狂言堂は一番上の外観の写真だけ。
それ以外は、吉田山荘の真古館でお茶をしたときの写真です。
コーヒーの横に添えられた和歌は、女将さんの書なのだそうです。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新撰組ゆかりの壬生寺

2017年01月15日 | 国内旅行


壬生寺は、正歴2年(991年)創建された律宗大本山の寺院であり、
「大念仏狂言」を伝える壬生狂言堂があること、また新撰組ゆかりの寺として知られているのだそうです。
幕末にはここの境内が新選組の兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行なわれ、
その縁により、近藤勇の銅像や新選組隊士の墓である壬生塚があります。



十代の頃、土方歳三を描いた司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んで感動したくらいで
私は特に新撰組のフアンではないのです。
見方によっては、彼らは世の中の流れに逆行した、時代錯誤の剣客集団ともいえる。
それでも、滅びゆく徳川幕府に忠誠を誓って戦い、剣の道に生き、
そして散っていった彼らの生き様には、心惹かれるものがあります。
名刀虎徹を携えた局長の近藤勇、20代で夭折した天才剣士の沖田総士、
そして鉄の規律によって新撰組を強力な組織に育て上げた副局長土方歳三、
やっぱり悲しくてカッコいいなあ…



しかし賊軍だの朝敵だの、歴史に疎い私にはまったくピンと来ないのですが
秩父宮妃になられた会津の松平家の勢津子様がご成婚の折り、
会津の人たちが「これで朝敵の汚名をそそぐことができる」と涙にくれたと
妃殿下が何処かで書かれたのを読んだことがあります。
昭和の初期にまだそんなことを、と驚いたものですが
近年になって13代当主の松平保定氏が、靖国神社宮司に推薦されたのを断った
理由というのにもっと驚きました。
「薩長が祀られ、賊軍とされた会津の戦死者が祀られていないのに、
会津人としてお受けするわけにはまいりません」と。
21世紀になっても尚…(@@)



壬生寺 http://www.mibudera.com/

「ならぬ事はならぬ 会津魂」 http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY200909150192.html
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金戒光明寺

2017年01月14日 | 国内旅行
岐阜から足を延ばして、京都にちょっとだけ行って来ました。



金戒光明寺というのは浄土宗の大本山であり、
承安5年(1175年)、法然上人が比叡山の黒谷を下りて初めて草庵を結ばれた地なのだそうです。



時は下り治安が乱れた幕末、会津藩主松平容保が京都守護職に就任すると
京都守護職会津藩の本陣となり、新選組をその支配下に置くことに。
そこから金戒光明寺は『新撰組発祥の地』といわれているのだそうです。

”會津藩松平容保は家臣一千名を率い文久二年十二月二十四日京都三条大橋に到着、
京都所司代・京都町奉行所の出迎えを受け、本陣となった黒谷金戒光明寺に至るまでの間、
威風堂々とした會津正規兵の行軍が一里余りも続いた。
この間、京の町衆も両側に人垣を作り大歓迎するのであった”(光明寺HPより)



しかし東北から京の都を守るためにはるばるやって来たのに
最終的には賊軍扱いされて非業の最期をとげた会津藩は
悲しいなあ…(そんな簡単な話じゃないのですけど)



今回、こちらの塔頭である「西翁院」が特別公開ということで行って来ました。
ここは重要文化財になっている高台のお茶室で
はるかに淀を見渡すことができるので「淀看席(よどみせき)」とも呼ばれると。
残念ながらそこでの撮影は禁止だったので、写真はここまで。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする