Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

熱い抱擁

2009年04月29日 | Weblog
一度見たら忘れられない写真、というものがあります。
この写真は、私にとってはその一枚になるだろうなあと思うのです。

ひしと抱き合うホッキョクグマ。
冷たい水に、半身浸かったままで。
「ドイツ、ゲルゼンキルヘンの動物園で初めて顔を合わせたホッキョクグマの
“ビル”と“ララ”は、互いに一目で恋に落ちたようだ。
チェコ共和国の動物園で独身生活を送っていた“ビル”(写真右)は、
結婚相手を探すためにドイツの動物園にやってきた。
元気な赤ちゃんの誕生が待ち望まれている。”
のだそうです。

しかし、素性や動機はどうであれ、このクマの写真には
胸を打たれずにはいられない。
大体、ホッキョクグマって、年中あんな冷たい北の海にいて
なんて可哀想な動物なんだろう?
勿論、彼らにとってはそこが最適の環境だっていうのは分かっているのだけど
それでも、暗く閉ざされた氷の海…
考えるだけでゾッとします。
いくら厚い毛皮に覆われていたって、寒いでしょうね?
私だったら、南のジャングルでノンビリ暮らすナマケモノの方がいいなあ…

そういえば、クマが出てくる童話って、なんだか悲しい話が
多かったような気がする。
宮沢賢治の「なめとこ山の熊」も可哀想な話だった。
あれは北極が舞台じゃないけど。
同じドイツの動物園で人気者になったクヌートの飼育係は、孤独死してしまった。
クヌートは、彼をお母さんのように思っていただろうに。
今でも彼のことを待っているのじゃないだろうか…

等々、一枚の写真を見ながらとりとめのないことを考えてしまいます。
せめて、ビルとララは、幸せになれるといいのだけど。
でも、ララが妊娠したら、ビルはすぐにチェコに戻されちゃうのかしら。
それも可哀想だなあ…

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ぼくの神様とは…「スラムドッグ$ミリオネア」の原作

2009年04月26日 | 
「スラムドッグ$ミリオネア」を水曜日に観て、どうしてもその原作が読んでみたくなり、 アマゾンで頼んだ「ぼくと1ルピーの神様」(原題Q and A)、昨日届きました。
面白くて止められず、昨夜一気に読み終わりました。

文庫本で460ページ、でも平易な文章なのですぐに読めてしまいます。
著者のスワラップ・ヴィカスは、インド北部の弁護士の家庭に生まれ、アラハバード大学で歴史学、心理学、哲学を学んだ後、外交官となったのだそうです。
この本は彼の処女作で、37ヵ国語に翻訳され、全世界で絶賛されたのだとか。

映画とはやはり、かなり異なります。
映画の主人公ジャマールは、本ではトーマス・ラム・ムハンマドという、世界三大宗教が入り混じった名前なのです。
その理由は、彼の悲しい生い立ちに隠されているのですが。
彼には殺された母親もいないし、サリムは兄ではなく友だちだし、幼馴染のラティカも出てこない。しかし彼の波乱万丈の人生は、本の中ではもっと酷い、もっと残酷なエピソードに満ちているのです。

インドの文学といえば、ピューリツァー賞を受賞したジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」「その名にちなんで」くらいしか読んだことがありません。
彼女の本は、静かな哀しみが漂っていて私は好きなのですが、インドが舞台の作品もあるのに、なんとも都会的な匂いがする。
それもその筈、ラヒリは子どもの頃アメリカに移住して、今もNYに住んでいるのですね。
だからこそ、余計自分の民族性、アイデンティティに拘っているという見方もできるでしょうが。
それに比べて、スワラップ・ヴィカスのこの本は、土着のインドの活気、喧騒、生々しさに溢れているのです。

「ダラヴィ(注・ムンバイのスラム街)の度を越した不潔さは、僕たちの心を弱らせ、卑しい人間に変えてしまう。排泄物が詰まった共同便所は、ひどい悪臭を放っている。
しかもドブネズミがたかっているので、匂いよりも尻を守るほうが心配になる。(中略)
それでもダラヴィの住人にとっては、ここが家なのだ。
ムンバイの近代的な高層ビルと、ネオンのきらめくショッピングモールの中心に、ダラヴィは居座っている。まるで街の心臓にできた癌のように。」

殺人、強奪、幼児虐待、近親相姦、家庭内暴力、絶望的な貧困、人身売買、格差社会…
映画よりもさらに沢山のエピソード(どれをとってもつらいものばかり)が、クイズ番組の進行に沿って描かれていて、時系列的にはバラバラなのです。
それがラストで一気に収束するという、胸のすくような面白さがあります。
最後のどんでん返しといい、エンターティメントとしても第一級です。
「1ルピーの神様」の意味は、最後の最後に分かります。

驚くべきは、上流階級の生まれで、スラムとは無縁に育ったであろう現職の外交官が
自分の国の恥部を、ここまで赤裸々に書いたということです。
彼の良心と勇気に賛辞を送りたいと思います。

「ぼくと1ルピーの神様」
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「スラムドッグ$ミリオネア」(ネタバレなし)

2009年04月23日 | 映画
今年度のアカデミー賞、作品賞を始め最多8部門受賞。
ダニー・ボイル監督、イギリス映画。

全体が、物凄いパワーに溢れた作品です。
スラム街の裸足の子ども達が走り回るシーンが冒頭にあるのですが
それが象徴するように、圧倒的な躍動感、底知れない生命感に満ちています。
実際には、非常に残酷な話でもあるのですが。
格差社会、幼児虐待、人身売買、宗教暴動など、現代インドの裏社会が
凝縮されているようでもあります。

スラム出身の無学な青年ジャマールが、何故クイズ$ミリオネアで勝ち進むことができたのか?
その理由が、彼が辿った過酷な生い立ちに沿って明かされてゆく。
クイズ$ミリオネアに出演中のシーン、ジャマールの生い立ちのシーン、警察での尋問拷問のシーン、この三つの場面が縦横無尽に交差して話は進んでいきます。
しかしこの映画のストーリーについては、ネタバレになってしまうので、これ以上は語れません。仕方ないので、作品に関する雑感などを。

監督の名前を聞いたときから、ちょっと嫌な予感はしたのです。
だってこの人は、「トレイン・スポッティング」で、「世界一汚いトイレ」の便器にユアン・マクレガーの顔を突っ込ませたのですから。
はたしてこの作品でも、始まってすぐ、トイレの恐ろしいシーンが出て来ました。
しかも、「トレイン・スポッティング」では、とにもかくにも水洗トイレであったのですが、ムンバイのスラム街のトイレが、水洗であるわけもなく、しかも今度は顔だけでなく…(泣

フランス映画「ぼくのたいせつな友だち」を観た時に、「クイズ$ミリオネア」は日本だけでなく、世界中で放送されているのだと知りました。
しかもあの音楽や効果音、「ライフライン」「オーディエンス」などのルールも全く一緒なのですね。
あの緊張感が、この作品の中でも実に効果的に使われている。
オリジナルはイギリスらしいのですが。
そしてインド版「みのもんた」の、そのしたたかなこと!

PG12だけあって、非常に残酷なシーンもありますが
運命を愛の力で変えていくジャマールのひたむきな姿に力づけられる、
おおいなる人間賛歌のドラマです。
お勧めしたい一本です。
インドの外交官ビカス・スワラップが執筆した小説を、
「フル・モンティ」のサイモン・ボーフォイが脚色したのだそうです。
原作が読んでみたくなりました。

☆4.5

公式HP
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狂乱歌の夕べ

2009年04月17日 | Weblog
昨夜、東京オペラシティで開かれた「オフィーリアの歌を辿って…イギリスバロック狂乱歌の歴史」というテーマのレクチャー・コンサートに行って来ました。

レクチャー・コンサートというのは、私は初めての体験だったのですが 要するに、生演奏を挟みながらその時代背景や歴史など解説してくれるといったものでしょうか。
今回は、チェンバロとソプラノの歌声で「当時の演奏様式に沿った形で再現」され、沢山の関連資料や絵画などもスライド映写で紹介され、中々面白いものでした。
ただ…やはりその道の知識がもっとあった方が、もっと楽しめただろうなあという感想は否定できません。
それでも、古風なチェンバロの旋律と美しい歌声、聞き応えのある講演を、それなりに楽しむことができました。
オペラシティに、あんな小さな楽堂があることにも驚きました。

講演の中で、一番印象に残ったことは…
テーマからは外れるのですが、話に出てきたロンドンの「ベツレヘム精神病院」のことです。
通称「ベドラム (Bedlam) 」はイギリスにある世界で最も古い精神病院の一つで、劣悪な環境のその病院では、なんと患者達を有料で見世物にしていたというのです。

”18世紀には多くの人々が狂人を見物するために人多くのがベドラムを訪れた。
貴族などの見物客は一人1ペニーを支払って入場し、患者たちの奇妙な振舞いや暴力行為などを見物して楽しんだ。
また、見物客には患者を突いて興奮させるための長い杖の持ち込みも許可されていた。
1819年には96000人の見物客が訪れた。”
のだそうです。(Wikiより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%A0

イギリスでも、そんな時代があったんだ…
日本は、仏教の「親の因果が子に報い」の考え方から
特に昔は、障害者を世に恥じ、隠すような考え方もあったように思うのですが
西欧は、キリスト教の「子どもは神からの預りもの」という考え方から
そんなことはないのじゃないかと、なんとなく思っていたのでした。
日頃私が親しくしているアメリカ人は、敬虔なクリスチャンが多いし。
驚きました。
考えてみれば、映画「アマデウス」の中にも、中世の悲惨な精神病院の様子が出ていたし、
「エレファントマン」「サイモン・バーチ」「カッコーの巣の上で」「八日目」など、差別の様を描いた作品も数多くあるわけですが。

アカデミックな講演を聞いた後の、非常に浅い感想ですが
まあ、どんな感想を持つかは人の自由ですから…

「イギリスバロック狂乱歌の歴史」
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「ぼくの大切なともだち」

2009年04月15日 | 映画
2006年フランス映画、ルコント監督。DVDで鑑賞。
「あなたには親友と呼べる友だちがいますか?」

フランソワ(ダニエル・オートゥイユ)は成功した美術商で、情事を楽しむ愛人もおり、心は通わないながらも可愛い娘を持ち、立派な家に住んでいる。
自分の誕生日の夕食会で、その日行った葬儀に参列者が7人しかいなかった話をすると、君こそ友達がいない、君の葬式には誰も来ないよと言われてしまう。
自分にも親友ぐらいいると言い張ったため、10日以内に親友を紹介できるかどうか、共同経営者と20万ユーロの壺を賭けることになってしまう。

しかし、自分が友人と思っていた相手は、誰も自分を友人とは認めてくれなかった。
困り果てたフランソワは、感じのいいタクシー運転手ブリュノ(ダニー・ブーン)に「友達作りの秘訣」を教わろうとするのですが…

ブリュノ「朝の3時に電話できる友人は?」
フランソワ「電話はしない」
「悩みがあっても?」
「悩みはない」
「電話する相手がいないのが悩みだよ」

人を信じず心を開かない、骨董品が友のフランソワ。
信じていた人に裏切られ、心を閉じてしまった繊細なブリュノ。
不器用な二人の間に、ようやくなんとか友情が芽生えかけるのですが
利己的なフランソワは、ブリュノを徹底的に傷つけてしまうのです。

友達とは何か?
あなたにとっての友達とは?
なんとも面映いテーマなのですが…
突き詰めて考えたくない、普段心の隅に追いやっているような、気恥ずかしい台詞がゴロゴロ出てきます。
それでも、最後のシーンの盛り上げ方など、さすが名匠ルコントです。
地味ながら人間観察の鋭い、味わい深い佳作だと思います。
フランス映画って、こういう拾い物があるから面白い…

公式HP
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親パチンコ中、子が交通事故「店にも責任」の判決

2009年04月13日 | 社会
両親がパチンコ中に子どもが店外で交通事故に遭った場合、
パチンコ店側に責任はあるか?
その判決が10日、福岡高裁で出たようです。

”大分市のパチンコ店に04年6月、2歳の男児と女児が双方の両親に連れられ入店。パチンコ玉を運ぶ台車に女児が乗り、男児が押して遊んでいた際、店外に出てしまい、国道で乗用車にはねられて女児が死亡した。

女児の両親は、同社と男児の両親らに総額約2600万円の損害賠償を求めて提訴。一審・大分地裁判決は「事故は公道で起きており、同社に安全配慮義務違反は認められない」として、同社への請求については退けていた。

 これに対し高裁判決は、女児の両親にも責任があるとしたうえで、同社の責任を検討した。従業員が幼児の面倒をみると伝えたこともあった点などを考慮して、過失を認定した。
「幼児同伴の客の入店を許す以上、幼児の監護を補助すべき義務があった」とパチンコ店経営会社の過失を認定し、同社に総額約650万円の支払いを命じた。”(asahicomより)

開いた口が塞がらないとはこのことです。
私はパチンコ店というものに入ったことないし、家族の誰も行かないので、どんな所か良く知らないのですが、TVドラマなどで見る限り、凄まじい音響のBGMの中で、煙草をくゆらしながら大人たちがずらりとパチンコ台に向かっている、というイメージ。
そんなところに2歳の幼児を連れて行くって…

パチンコ店の一角に、「託児コーナー」みたいなものがあるのでしょうか?
「従業員が幼児の面倒をみると伝えた」って、パチンコ店にベビー・シッターみたいな人がいるのでしょうか?
2歳といえば、下手すればまだオムツをして、ヨチヨチ歩いている幼児です。
そのくせ一時もじっとしていられない、目を離せないいたずら盛りです。

昔ラスベガスに行った時、子どもが入ってはいけないというエリアがはっきりしているのに驚きました。
街全体がカジノの街なのに、子供用でないカジノは入ることもできない、
ラスベガス空港のオープンスペースにおいてあるスロットマシーンの前に、当時小学生だった息子が立っただけで、係員に注意されました。
「大人の遊び場所に子どもを連れて行ってはいけない」
日本でも法的に定めたらどうかと思います。

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「リリィ、はちみつ色の秘密」 

2009年04月08日 | 映画
派手さは少しもないが、優しい陽だまりのような映画です。
心に深い傷を持つ少女の苦しみ、人種差別問題と、扱うテーマは非常に重いのですが…

幼少期に過失で母親を死なせたトラウマを抱える14歳のリリィ(ダコタ・ファニング)。
その娘に向かって、母親はお前のことを愛してなんかいなかった、
お前を捨てたんだ、と残酷なことを告げる粗暴な父親。
父親に反発し、母親の軌跡を求めて、リリィは家を出る。
黒人三姉妹のボートライト家に身を寄せ、養蜂を手伝いながら、
自分を愛し受け入れてくれる場所を見つけていく…

原作は、全米で450万部を売り上げたスー・モンク・キッドのベストセラー小説だそうです。
時は1964年の南部、その年公民権法が設定されたが、まだまだ差別は厳しく、
映画の中でも、リリィの家の家政婦(黒人女性)が街なかで白人男性から袋叩きにあったり、リリィと一緒に映画を観たというだけの理由で、黒人少年がリンチにあったりする。
リリィ自身には差別意識はないのに、彼女に関わることで、黒人に被害が及ぶ悲劇。

しかし、この作品で胸を打たれたのは
なんといってもリリィの苦しみと孤独、そして初めて人に愛されることによって
自信を持ち、再生していく姿です。
「アイアムサム」の中で幼く可愛い少女であったダコタ・ファニングがスラリと成長し、実際にも役の上でも14歳ということで、思春期の難しい役どころを熱演しています。
そして黒人三姉妹と家政婦の圧倒的な存在感(アリシア・キーズ、ソフィー・オコネドー、ジェニファー・ハドソンなど)、人種も立場も乗り越えた絶対愛。
三姉妹の長女オーガストが、リリィに言った言葉。
「この世は大きな養蜂場。大事なのは、ハチに愛を送ること。ハチも愛されたいのよ」

特筆すべきは、主要キャスト全員がノーギャラで参加したということ。
自らも親に捨てられた経験を持つ黒人女性ジーナ・プリンス監督が、費用が足りないことを申し出ると、皆、出演料を制作費に回すことを快諾したのだそうです。
その事実を知ると、また違った感慨が出てきます。
娘を傷つける父親や、黒人を眼の仇にする白人といった悪人、
リリィを引き取り愛する黒人といった善人とくっきりと描き分けすぎていること、インパクトにやや欠けるという不満はありますが、私はこうした、人間の内面、優しさや苦しみ、その葛藤を描いた作品が好きなのだなあとつくづく思うのです。

原題は" The Secret Life of Bees"、ミツバチの秘密の生態とでもいうような意味か。
邦題は、甘すぎる嫌いはありますが、作品のイメージがよく出ています。
リリィとオーガストがミツバチの巣箱に顔を寄せる優しく暖かい写真が、この作品全体を何よりも物語っています。

☆3.5

「リリィ、はちみつ色の秘密」
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「自分ダメ」日本突出

2009年04月06日 | 社会
3月21日に開花宣言が出たこちらの桜は、12日ぶりにようやく満開となり、
週末は見事なお花見日和でした。
海を挟んだ隣の国がミサイルを発射したり、日本がそれを誤認報道したりと
色々な意味で騒がしい週末でもありましたが。

昨日の朝日新聞の教育面に、それとは別に悲しい記事が。
「日本の中高生は、他国に比べて自分の能力に最も自信がなく、疲れも突出している」のだそうです。財団法人の日本青少年研究所が日米中韓4カ国の中高生を対象に調査したところ、こんな結果が出たのだそうです。

「自分に人並みの能力があるか」という問いにたいして
「あまり思わない」「まったく思わない」と答えた日本の生徒は、高校46.7%、中学45.6%と4か国中最多。最も少なかったのは米国で、高校7.6%、中学6.3%。

「自分はダメな人間だと思う」率も日本がずば抜けて高く、
「とても思う」「まあ思う」を合わせると高校は65.8%、中学は56.0%。

「生徒の自治活動」「社会や政治への参加」「外国留学」のどれをとっても、日本の中高生は、極端に消極的であるようです。これは、各国の中高生それぞれ千人ずつ、計8千人を対象に、08年の10月に行われた調査なのだとか。

限りない未来を持つ筈の青少年が、自分をダメだと思う率が半数を超えるって…
これはやっぱり相当悲しい問題なのではないでしょうか?
こんな国に未来はあるのか?
日本人の謙遜や、中高生特有のテレを考慮したとしても。
でも、自分の中高生の頃を思い返してみても
やっぱり、それほど前向きな答えが出たとは思えない。
今はずうずうしほどに脳天気な(と家族に言われている)私でさえも。

これはやっぱり、教育の違いから来るものなのでしょうか?
国民性の違い?
なんでこんなに違うの?

答えは簡単に出るものではないでしょうが
そのひとつに、「褒め育て」の効用もあげられるのではないかしら?
私は外国に住んだ経験はないのですが
日頃親しくしているアメリカ人や、我家にごく短期間泊めた欧米の学生などのことを考えると、彼らは実によく褒めてくれるのです。
私のトールペイントの作品や、狭いマンションのインテリアや、料理などあらゆることに。
無論、お世辞もたっぷりあるでしょうが、彼らを見ていると、何気ないことを褒めそやすということが、自然に習慣づいているような気がします。
この人はきっと小さな頃から褒められて育ったのだろうな、と。
でも、日本人から誉められたこと、特に中高校生の頃褒められた経験ってあんまりないような気がする…
どんな子どもでも褒めちぎってあげれば、「自分をダメ」と思う率は低くなるのではないのでしょうか?

かといって、自分が「褒め育て」をしたのかと訊かれれば
私も答えに詰まるのですが…
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我家流ロイヤルミルクティの作り方

2009年04月04日 | 家庭料理
ロイヤルミルクティとは、日本では、牛乳で煮出した紅茶のことを言うようです。
(これは和製英語のようです)
簡単に作れるのに、面倒で大変と思われる人も多いようですので、淹れ方をご紹介したいと思います。

手鍋に水、牛乳を半々くらいに入れ、火にかける。
煮立ってきたら、アールグレイなどの茶葉を入れ、2~3分弱火で煮る。
茶漉しで漉してカップに注ぎ入れる。
シナモン・スティック、又はシナモン・パウダーを入れる。

最初から牛乳を入れると茶葉が開かないので、牛乳は後から加えるべきとか
煮出すとせっかくの紅茶の香りが飛んでしまうので、火を止めて蓋をして蒸らすべきとか、色々な説があるようですが 、私はこのやり方で淹れています。
牛乳で煮出した、素朴で濃厚な味が私は好きなのです。
牛乳と水の割合は好みで(牛乳の比率があまり高いとくどくなる)。
茶葉は、香りが強いアール・グレイが私は好きです。
息子たちには、これに三温糖をたっぷり入れます。
さらに、カルダモン、クローブ、ナツメグなどのスパイスを加えると、インド風チャイになります。

ちょっと調べてみたら
イギリスでは熱湯抽出式、煮出すのはインド式という説もあるようです。
美味しければ何でもいいじゃないかと
私は思うのですが…

写真は、新宿高野のマンゴー・ロールと。
トールペイントのランチョンマットを敷いて。
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「マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと」

2009年04月01日 | 映画
シンプルで優しい映画です。
世間知らずの若夫婦が、子育ての予行演習のつもりで仔犬を飼い始める。
ところがその犬マーリーは、エネルギーを持て余した、とんでもないバカ犬だった。
流産、産後鬱、育児ノイローゼ、転職など様々な問題を乗り越えて家族が成長していく中で
気がつけば彼らの横には、いつもマーリーがいたのだった…

日本語版の原作は読みやすく面白かったので、私は一日で読み(号泣した)、
これなら私にも読めるかと、英語版も取り寄せたのでした。
こちらはどれだけかかるか見当もつかないのですが。

このマーリー、ウチのタロウに少し似ているのです。
興奮しやすいところ、食いしん坊のところ、学習能力がないところ、
分かりやすいところ(悪いことをするとすぐにバレる)。
というか、世の中の大方のバカ犬の飼い主は、自分のところの犬も
マーリーよりはマシだと慰められたのではないでしょうかw

少々不満だったのは、映画では、マーリーの老い方が丁寧に描かれていなかったこと。
エネルギーを持て余していた元気玉のようだったマーリーが
歳を重ねて次第に身体の自由がきかなくなる姿が
それでも必死に飼い主の後を追って、よろよろと動き回るさまが
本には、それは悲しく詳細に書かれていたのですが…

「犬は車も地位もブランドものも欲しがらない。
ただ彼らが欲しいのは家族からの愛情だ。
こちらが愛情を持って接すれば、犬は必ずこたえてくれる。」

本当にそう思います。
犬は、決して隣の家を羨んだりしない。
隣の家の方が大きくて快適そうだとか
あっちのご主人の方が甲斐性があって出世しそうだとか
こっちの奥さんの方が優しくて可愛がってくれそうだとか
決して思わない。
ただ自分を可愛がってくれる飼い主を、その一家を、
献身的に愛してくれる。
本の中で、マーリーがどんどん老いぼれてきた頃、妻のジェニーが夫に向かって
「あの忠誠心だけは誉めてやらなくちゃね」と言うシーンがあります。

犬は服従する動物だと言ってしまえばそれまでなのですが
そのいじらしさを思うと、私はやっぱり泣きたくなるのです。

原題は
"Marley & Me The world's worst dog will bring out the best in their family"

☆3.5

公式HP(予告編が楽しいです)
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