Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

ロシア旅行⑭リタニノフの便座

2017年08月31日 | ロシア旅行2017


椎名誠の「ロシアにおけるリタニノフの便座について」という本を読んだのは
30年以上も前のことだったか。
そこにはロシアの田舎のおぞましいトイレの様子が
実に詳細に、絶望的なまでに具体的に描写してありました。
私が敬愛する米原万里の「ロシアは今日も荒れ模様」にも
「エルミタージュ美術館のトイレでさえ、便意そのものが雲散霧消してしまうほど迫力のある汚さだった」と。
この本が書かれたのは1998年。
他にも、ロシアで便座のあるトイレを見つけるのは至難の業だとか、
慣れた人はマイ便座を持って行くのだとか、まあ色々な情報を得て
海外旅行は好きなものの、ちょっと汚いトイレに行く度に発狂しそうになっている私は
ある種の覚悟を持って、今回のロシア旅行に臨んだのです。



結論から言うと、随分と改善されていました。
エルミタージュ美術館のトイレも、一カ所便座が壊れている所を見つけましたが
随分綺麗になっていました。
今回の旅行で、洋式でない便器(トルコ式と呼ばれるもので、和式と似ている)に
遭遇したのは、ウラジーミルの寺院でだけ。
そこでさえ、水洗ではありました。
ただ…ロシアでは基本、紙が流せないのです。



東南アジアとか、ごく近くの韓国や台湾であっても、それはよくあることです。
しかし、ロシアというと先進大国というイメージを私は持っていたので(行くまでは)
そこで紙を流せないということに驚いたのでした。



紙を流せないということは、便器の横に大きな箱を置き、
そこに使用済みの紙をどんどん入れていくことになる。
それをせっせと回収して空にしてくれればいいのですが
そんなことはまず望めないので、汚れた紙はどんどん溜まり、
遂にはその辺に溢れかえり…(以下自粛)。



赤の広場にあるグム百貨店は、実に壮大で、宮殿のように美しい建物です。
外には色とりどりの花が咲き乱れ、夜は派手にライトアップ。
中は3列のアーケードになっており、遊園地のようでもあります。
高級ブランドショップが軒を連ねるここは、実際には観光客ばかりで
地元の人は殆ど行かないということですが。
ここのトイレにも、入ってみました。
入口には窓口があって、待ち構えているオバサンに小銭を払うのですが
中はごく普通のトイレで、まったくつまらなかった。
そしてここですら、紙を流せなかったのです。
結局、ロシアで私が紙を流せたのは、ホテルのトイレだけでした。



写真はすべてグム百貨店
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「きっといい日が待っている」

2017年08月30日 | 映画


いや、驚きました。
福祉の先進国、人権大国のようなイメージのデンマークで
ほんの50年ほど前に、こんなことが行われていたとは。
1967年コペンハーゲンの児童養護施設の、実話に基づいた物語。
デンマーク・アカデミー賞6部門受賞。

労働者階級家庭の兄弟、13歳のエリックと10歳のエルマーは、
母親が病に倒れ、引き取ってくれる身寄りもなく、養護施設に預けられる。
しかしそこに待っていたのは、地獄のような日々だった。



入所したその日、将来何になりたい?と教師に訊かれたエルマーは
無邪気に「宇宙飛行士」と答えて、いきなり教師に殴られます。
「勘違いするな」と。
そこは、明るい未来を夢見る子どもたちに勉強させる場所ではなく、
社会の底辺を支える職人を育成する場所だったのです。
凄惨な体罰、年上の同級生からのいじめ、教師の扇動による激しいリンチ。

弟エルマーはおねしょをしてしまい、
裸で濡れたシーツを持って一日中、厳寒の戸外に立たされる。
それでもおねしょが治らないと、安定剤を投与される。
エルマーは、教師から性的虐待も受けていたのです。
唯一彼の味方になってくれた女教師は、施設を辞めてしまい…



仲良くなった級友は彼らに、ここで生き残るためには幽霊になれとアドバイスする。
感情を持ってはいけない、自己出張してはいけないということか。
15歳になった出られると、それだけを励みに2年間頑張った兄エリックは
冷酷な校長にその夢を打ち砕かれ、爆発する。
そして校長から半殺しの目に遭い、文字通り死にかけるのです。
しかし校長は、エリックを病院にも連れて行かず、見殺しにしようとする。
弟エルマーは最後の勇気を振り絞り、行動に出るのだが…

いやはや、観るのがつらい場面ばかり。
パンフレットに「コペンハーゲンのゴズハウン少年養育施設を中心に
子どもに対する強制暴力・薬物投与問題調査が21世紀になって行われ、
2000年に公表された報告書を基に、本作は制作。
当時、養育施設における暴力は”しつけの範囲”を口実に問題とされず、
現在、当時の子どもたちが告発し、その国家的謝罪を求めている」と。

「きっといい日が待っている」
例によってヘンな邦題だなあと思いましたが
英題も「The day will come」なのです。
これは仕方ないか…

公式HP http://www.kittoiihigamatteir/u.ayapro.ne.jp/
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ロシア旅行⑬空港の悲劇

2017年08月29日 | ロシア旅行2017
旅行最終日、9日目。
この日は午前中クレムリン観光、ウスペンスキー寺院や武器庫の中をじっくり鑑賞。
武器庫というのは、ロマノフ王朝代々の宝物館で、豪華絢爛な宝物が山ほど。
エカテリーナ二世の黄金の馬車とか、ダイヤモンドに煌めく王冠とか。
ウスペンスキー大聖堂も、歴代皇帝の戴冠式や総主教の任命式が行われたという
豪華で厳めしい所ですが、どちらも撮影禁止。



その後、少々の自由時間の後、空港に向い、昼食は空港で自由にという予定でした。
フライトは5時15分なのに2時に空港着って早すぎない?と思いましたが
ロシアの空港で時間がかかることは経験済み。
仕方ない、空港のカフェで食事して、余ったルーブルを買い物で使い切ろうと思っていました。

ところが…
ウスペンスキー大聖堂を出た所で、ツアーのメンバーの一人が迷子に。
添乗員とローカルガイドが探し回り、クレムリンの隣の赤の広場の一角で、我々は悄然と待つこと1時間余。
とにかく広い広場で、しかも何万人という観光客で溢れているので
探すのを手伝いたくても、余計に面倒なことになる。
その間にちょっと買い物したいと思っても、迷った人がいつ現れるか分からないし、
日本の観光名所と違って、広大な赤の広場には、屋台一つ出ていないのです。


(赤の広場には何度も行きました、これは夜のライトアップ)

ようやく見つかって急いでバスに乗り込み、幸い道路渋滞もひどくなく、
空港には2時半着。
荷物預け、手荷物検査、身体検査OK。
座席はウエブで予約済み。
後は、出国手続きのみ。
早く済ませて、お昼を食べて買い物しなくちゃ!

ところが、出国手続きゲートには長い長い列ができていて、一向に進まない。
ツアーのメンバー、何列かに別れて並んでいたのですが、何処も似たような状況。
夫と私が並んでいた列、ようやくもう少しという所で、何人もの割り込み客が。
ロシア人の空港職員が有無を言わさず、割り込みさせている。
どういうこと?と思ったら、我々よりも搭乗が早い便の客なのだそうです。


(混み合う出国ゲートの様子)

延々と待たされて、ようやく夫と私の手続きが終わったのは5時少し前。
とにかく搭乗ゲートに駆けつける。
我々が乗るJALの職員が待ち構えていて、申し訳ありませんと平謝りしてくれましたが
いや、あなた方のせいじゃありませんから。
カフェに寄る間もお土産買う間もなく、飛行機に滑り込み。
その日は結局、朝7時にホテルで朝食を取ってから
夜7時頃飛行機の食事が出るまで、何も食べられなかったのでした。
JALのCAがニコニコと、お待たせ致しましたと食事を運んで来てくれた時には
涙が出る思い。



どうしてあんなに時間がかかったのか?
まず、膨大な人数が待ってる割に、窓口が圧倒的に少なすぎる。
最初、我々が行った出国手続きゲートは、何の説明もなくいきなり閉じられて
違う所へ行けと(職員の休憩の為じゃないかと私は睨んでいる、憶測ですが)。
次に、自分の番になって分かったのですが、一人一人に時間かけすぎ、効率悪すぎ。
その窓口の前に立つと、職員はパスポートと照らし合わせながら私の顔を穴が開くほど見つめ、
髪を耳に掛けろとか、額を出せとか、横を向けとか指示してくる。
そんなに正確を期するのであれば、指紋認証とか虹彩認証とか使えばいいのに。

余ったルーブルをそのまま成田で両替したら
出発時に換金した時の、半額ほどになっていました。
手数料にこんなに取られるとは。
何処に旅行しても、大抵最終日に現地通貨を使い切っていたのに…

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ロシア旅行⑫そして事件が

2017年08月28日 | ロシア旅行2017

(ノヴォデヴィッチ修道院を望む湖)

今回のツアーは総勢22名、年齢層は妙に高く、旅慣れた人が多い。
そりゃ初の海外旅行にロシアを選ぶという人は、あまりいないのでしょう。
世界中あちこち廻っているという人も多く、食事の時など旅行談義が弾みました。
それはよかったのだけど、慣れているだけあって、ウルサイ人も多い。
色々な点において。


(救世主キリスト聖堂、1931年スターリンによって爆破、その後再建)

モスクワ第三夜のレストラン。
ローカルガイドの説明によると、日本大使館員も贔屓にしているというお店。
4人掛けのテーブルに適当に座り、なごやかに食事を始めたのですが…

我々の担当の若いウエイトレスの態度が、異様に悪い。
微笑むどころか睨むような顔をして、お皿やグラスなどドスン!と置く。
まあロシアの接客の悪さにはもう慣れっこになってしまっていて、驚くことでもない。
我々のテーブルは食後の飲み物、4人とも紅茶を頼んだのですが
コーヒー2杯だけ持って来て、ずっと放置。
やれやれ、と思っていたら…



隣のテーブルで、苛立った声が上がりました。
70歳位の、前は何処かで重役をしていたような男性(勝手な憶測)が
添乗員に抗議している。
ウエイトレスの態度が余りに悪いので、謝らせろと言っているらしい。
添乗員、旅行後のアンケートにお書き下さい、私からも社に申し伝えますと言うも
いやそんなんじゃ駄目だ、今すぐこの店の責任者をここに呼び出せと。

押し問答の末、かなりの時間待たされて、現れました、店の責任者。
店長と副店長、そして件のウエイトレス、3人並んで頭を下げました。
店長が、お詫びの気持ちとして、全員の飲み物代をサービスさせてくれと。
シニア男性、それではタカリになる、私はそんなつもりでクレームしたのではないと。
店長、この国ではそうやって形としてお詫びを表すことになっている、そうさせて欲しい。
男性、いやいや我々は断じて払わせて頂く。


(無音アプリを使ってスマホでこっそり撮ったもの、手前がそのウエイトレスさん)

こうして書くと簡単ですが、抗議をして、ここまでに1時間以上。
我々夫婦、早く食事を終わらせて夜の街に繰り出そうと思っているのに
なんでもいいから早く終わらせてよ~!

後でそのシニア男性の奥方に訊いたら、そのウエイトレス、
やはり間違った飲物を彼の前に置いたのだそうです。
で、男性がそれを指摘したら、間違えられた人の飲み物と自分で代えろと
指先で乱暴に指示し、それで男性は切れたのですと。
結局、我々全員、飲物代をキッチリ払い、その店を後にしたのでした。
その翌日、更なる事件が待っているとも知らずに。

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ロシア旅行⑪ウォッカ

2017年08月26日 | ロシア旅行2017


「理想的な人間像とは?」
「イギリス人のように料理がうまく、フランス人のように外国人を尊敬し、
ドイツ人のようにユーモアにたけ、スペイン人のように働き者で、
イタリア人のように自制心に優れ、アメリカ人のように外国語が得意で、
中国人のように高い給料を貰い、日本人のように個性豊かで、
ロシア人のように酒を控え目に飲む人のことです。」
(ロシア小咄集「独裁者たちへ!」名越健朗訳より)



有名な民族ジョークです。
ロシアといえばウォッカ。
先日のテレビ番組で、最近のロシア人はウォッカ離れが進んでいるというようなことを
言っていましたが、それはあくまで限られた都市部の若者の話であって
まだまだウォッカは飲まれているという説の方が強いようです。



男性の平均寿命が64歳とあまりにも短いのも飲酒のせいだというので
ウォッカの値段を二倍にしたりと、政府も色々と対策を講じたのだそうです。
お蔭で、今は平均寿命が少し延びて来たのだとか。

お酒に弱い私と違って飲める夫は、色々なレストランでウォッカを注文。
注文すると、日本のように水割り?ロック?なんて一度も訊かれないで
小さなグラスでそのまま出されました。
アルコール度数40度以上もあるけれど、ロシアではストレートが当たり前なのね。



ウォッカにまつわるジョークを、もう一つだけ。
「ロシア人はウォッカのためなら、どんなことでもできる。
 唯一できないことは、そのウォッカを飲まないことだ。」
(「独裁者たちへ!」より)

写真はクレムリン(城塞)。
ロシアの権力の中枢と言われるクレムリン、いくつもの大聖堂や宮殿、武器庫(宝物庫)、
大統領府などが集まっています。
この日は丁度、軍隊のパレードが行われていました。



なぜロシア人男性の寿命は短い? https://entabe.jp/news/article/3870

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ロシア旅行⑩赤の広場

2017年08月25日 | ロシア旅行2017

モスクワの赤の広場は大きい。
別に赤い訳ではなく、ロシア語の「赤い」という言葉は「美しい」をも意味するのだそうです。
広大な広場の周りに、聖ワシリー寺院、レーニン廟、歴史博物館、カザン大聖堂、グム百貨店などがぐるりと囲んでいる。


レーニン廟は、あのレーニンの遺体が、今も特殊な方法で保存されているのです。
公開される時間が非常に限られていて、私は中には入れませんでしたが。
その保存には非常に費用がかかるので、埋葬するべきかどうか今も議論されていると。


ロシアの街を観光して驚いたことは、そこら中にレーニンの像が立っていたこと。
モスクワに限らず、サンクトペテルブルクやスズダリでも、あちこちに。
ソ連が崩壊した時に壊されたんじゃなかったの?
レーニンやスターリンって、この国で一体どういう立ち位置なの?
今も尊敬されてるの?嫌われてるの?
(子どもがサスペンスドラマなんか見ていて訊く、この人いい者?悪者?のレベルです)


こんな不躾な質問に対する三都市三人のローカルガイドは困った顔をして、
その答えは微妙に違っていたけれど、要するに
「それは簡単には答えられない、複雑な質問です」
というものでした。
彼らは悪いこともしたけれど、ロシアをここまでにしてくれたのだからと。
あんな「大粛清」をしたのに?
(若い頃読んだソルジェニーツィンの「収容所群島」があまりにも衝撃的だった)
レーニンとスターリンを一緒くたにして訊くというのも無茶な話でしょうが。
そりゃ一見の旅行者に、本音なんか漏らさないか…

聖ワシリー寺院
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歌舞伎「桜の森の満開の下」

2017年08月22日 | 劇、オペラ、コンサート


昨夜、八月納涼歌舞伎「桜の森の満開の下」を鑑賞。
野田秀樹と坂口安吾と歌舞伎のコラボ。

私はごく若い学生の頃、野田秀樹の舞台を観ていた時期があったのです。
駒場東大の、物置のような古く汚い小劇場(小劇場のような物置と言うべきか)で。
友人がその演劇に関わっていたので、よく誘われて。
まだ若い野田秀樹や如月小春が、夢の夢眠社として活躍していた頃。
訳が分からないままに、言葉遊びや、狭い舞台の熱気に圧倒されました。
こうして書いていても、あの駒場のうっそうとした緑の草いきれや
埃臭い物置や、汗の匂いが蘇って来るようです。



で、納涼歌舞伎。
行きの電車の中で青空文庫の「夜長姫と耳男」(坂口安吾)だけ読んで。
ヒダの王家の下に、夜長姫のために仏を造るように招かれた匠・耳男は
両耳をそぎ落とされながらも、必死になって仏を彫り続けるのだが…
耳男を勘九郎、夜長姫を七之助。

只でさえ分かりにくい坂口安吾の世界を、野田秀樹が口笛吹きながらいじりまくって
それを歌舞伎の舞台に表現した、という感じ。
天智天皇の時代なのに、舞台には冷蔵庫やヤクルトが現れる。
広い舞台の上に、所狭しと奇怪な鬼たちが跋扈する。

訳が分からないままに、それでも終盤、私は落涙。
舞台中央の巨大な桜の樹から花びらが降りしきり、プッチーニの「私のお父さん」が流れ、
夜長姫が息絶えるところで。
「好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならない」
という夜長姫の言葉が、いつまでも耳に残りました。



その後、帝国ホテルのオールド・インペリアル・バーへ。
お酒が弱い私はバーなんて殆ど無縁で暮らしているので、とても新鮮。
帝国ホテルの中2階の、あんな奥まったところに隠れ家のようにあったのですね。
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ロシア旅行⑨処刑された鐘

2017年08月21日 | ロシア旅行2017


「黄金の輪」というのは、モスクワの北北東に位置する、
「首飾りが円を描くようにいくつもの古い都市が点在するエリア」のことです。
スズダリに一泊して、4日目、5日目、こちらを廻りました。
教会や修道院を中心にした、中世のおとぎの国のような世界が今も残っていました。


セルギエフ・ポサートのトロイツェ・セルギエフ大修道院。



スズダリのスパソ・エフフィミエフ修道院。
ここに行った時、丁度、鐘楼の鐘が鳴り出しました。
9日間のロシア旅行中、あちこちで鐘の音を聞きましたが
日本のお寺の鐘のように「ゴ~ン、ゴ~ン」と単調なのではなく、
時として重低音が加わったり、なんだか複雑なのです。
どうやって鳴らしているのだろう?と不思議だったのですが
こちらで、その様子を子細に見ることができました。


(この右側の建物が鐘楼です)

大きな鐘の前に幾つもの大きさの違う鐘が並び、一人の男性が鳴らすのですが、
両手両足を使って紐を引っ張ったり、ペダルを踏んだり、まあ忙しそうなこと。
動画を撮ればよかったな…
ロシアの鐘は、ロシア人の生活に深く密着しているようで
色々な絵や小説や、歴史的シーンに出てくるようです。
16世紀末、イワン雷帝の息子ドミトリーが死んだ時、
それは殺人ではなくナイフ遊びでの事故だったと時の体制側は発表。
ドミトリーが殺されたと偽情報を流したとして、ウーグリチ教会の鐘が「処刑」されたのだそうです。
哀れな鐘は群衆が見守る中、鐘楼から落とされ、12回鞭打たれ、舌を抜かれ、
耳(吊り下げ用のでっぱり)を片方切断されて、シベリヤ送りになったのですと。
(「ロマノフ家12の物語」中野京子著より)
そんなこと、本気でしたのかロシア人…

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ロシア旅行⑧エルミタージュ劇場のバレエ

2017年08月20日 | ロシア旅行2017
ツアーのオプションの、エルミタージュ劇場のバレエ「白鳥の湖」鑑賞というものを
申し込むかどうか、少々悩んだのです。
せっかくバレエの本場に行くのだから、是非ナマの舞台を観てみたい。
しかしこちら、新国立劇場でバレエやオペラを年に5~6回観る様になってはや数年、
分からないなりに目は肥えて来ている。
「白鳥の湖」も、Kバレエカンパニーのを含めて、今までに3回ほど観ている。
マリインスキー劇場やボリショイ劇場なら有名だけど、エルミタージュ劇場って?
しかも料金2万5千円って…



日本のチケットも高いけれど、ここは物価が安いロシア。
少々古いけれど、このサイトhttp://www.777money.com/torivia/torivia4_4.htmによればロシアの平均月収は8万円。
(ローカルガイドもロシアの平均年収は100万円位だって言ってた)
そこでこの値段、夫と二人で5万円ってどうよ?

もしかして旅行会社のぼったくりじゃないかと思った私は
エルミタージュ劇場のHPを見てみました。
http://www.hermitagemuseum.org/wps/portal/hermitage/explore/buildings/locations/building/B50/?lng=ru
その頃のその演目の料金は180Eur、2万3千円位でそんなに変わらない(旅行会社さん、疑ってごめんね)。
劇場の写真が中々美しく、エルミタージュ美術館の一連の建物の一つであり、
かの女帝エカテリーナが「個人用の宮廷劇場」として造ったものであると知って
とにもかくにも申し込んだのでした。



結果は…
300人収容という、実にこじんまりとした劇場でした。
大理石の内部装飾は確かに美しく、アポロや女神の彫像が幾つも立っている。
指定席ではなく、早目に行った我々は、最前列のど真ん中をゲット。
観客は、中国人アラブ人日本人と外国人ばかり。
オーケストラ・ピットがないに等しく(正確に言うと、僅かに段差があった)、
指揮者は同じ高さの床の、最前列の私の1mほど先の所に。
その日のオディット(又はオディール)、或いは王子演じる主役級の踊りは中々のもので
パ・ド・ドゥも見応えありましたが、群舞が…。
何しろ舞台が狭いので踊り子の数が限られるし、時に足並みが揃ってなかったり。


(カーテンコール以降は撮影可だった、目の前にいるのがオーケストラ団員)

まあ、指揮者に触れるほど、ダンサーの息遣いが聴こえるほどの所で観られたのだから
嬉しかったのですが。
それでも、あの価格に見合った舞台と言えるのかな?
ロシア観光局(そんなものあるのか?)エルミタージュ劇場?誰に怒っていいのか分からないのだけれど
普段バレエにまるで関心がないような外人観光客にあの舞台を見せて
あの料金を取るというのは、明らかにぼったくりだと思うのです。



写真は、その翌日行ったセルギエフ・ポサード。
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ロシア旅行⑦エルミタージュ美術館

2017年08月18日 | ロシア旅行2017
サンクトペテルブルク3日目。



行ってみて知ったのですが、エルミタージュ美術館というのは
幾つもの建物が集まった複合施設だったのですね。
5つの大きな建物のうち、これがかつて冬宮殿と呼ばれたエルミタージュ美術館。



こちらは2014年に印象派以降の作品が移された、新エルミタージュ美術館。


これが美術館入ってすぐの、大使の階段。


王座の間。


女帝エカテリーナのあまたの愛人の中でも突出していたという、
隻眼の軍人ポチョムキンが贈った、黄金の孔雀のからくり時計。
(大きなもので、右下に小さく人が映っています)


1985年に硫酸をかけられ、ナイフで切り付けられたというレンブラントの「ダナエ」。
12年かけて修復されたといいます。

ラファエロの回廊、黄金の客間、孔雀石の間など、何処を取っても素晴らしいのですが
1階のカフェでお昼に食べたサンドゥイッチは固くて不味く、残してしまいました。
この豪華絢爛な美術館に、なんとも不釣り合いで残念。
しかも殺人的に混んでいるので、午後は向かい側のエルミタージュ新美術館へ。
別料金が要りますが、こちらはガラガラ!





私ですら知っているような名画の前にも、誰もいない。


なのでこんな写真も撮れてしまいました。

このマティスの「ダンス」、私は昔、ニューヨークのMoMAでも観たような…
調べてみたら、NYにあるのは1909年に描かれた習作で
こちらのは、それに満足しなかったマティスがその翌年に描いたものなのだそうです。
ともに2.6×3.9mの大作です。

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