Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

ギリシャ旅行⑪アクロポリス

2015年07月22日 | ギリシャ旅行2015


クルーズ船から降りて、最後にアテネを観光しました。
それまで廻った地方やエーゲ海の島々のノンビリさに比べて
確かにアテネ市内は、多少違うような雰囲気を感じました。
銀行は閉鎖され、ATMの前には人々が長い列を作っている。
シャッターが下りた店も多く、そこには酷い落書きがされている。
ほんの一泊しただけで何が分かるかとも思いますが。



アクロポリスというのは「上の都市」という意味なのだそうです。
BC12世紀頃から造られ始め、BC5世紀の頃最盛期を迎えたという、
小高い丘の上にある歴史遺産。
古代ギリシャ建築の最高峰といわれるパルテノン神殿を始め、
アテナ・ニケ神殿やディオニッソス劇場など、巨大な遺跡が広がります。
しかしまあ、人が多いこと。
私が今まで見て来た建物だけの写真はどうやって撮ったのだろう?と
不思議になるくらい、世界中からの観光客で溢れている。



その近くに「アクロポリス博物館」があり、遺跡の中の彫刻などの
本物はこちらに移してあります。
大英博物館に取られてしまった部分も多いようですが。
この博物館はまだ新しく、エントランスの辺りの地下はこんな風になっていて
驚かされます。



中野京子著「名画の謎ギリシャ神話編」の中に、こんな言葉が紹介されています。
「人間には二種類ある。ギリシャ人と、それを羨む奴ら」
古代文明を発祥させ、その哲学・芸術・科学を通してヨーロッパ文化の礎を築いた
ギリシャ人は、国の栄えたのが古代のみということもあり、いっそう気位だけ
高くなった、という皮肉たっぷりのジョークなのだそうです。
この巨大な遺跡を見て、そのジョークがほんのちょっぴり分ったような気がしました。


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ギリシャ旅行⑩イアの夕陽

2015年07月20日 | ギリシャ旅行2015
連休中、同窓会に出かけたり、我家にお客を招いたりしていました。
早くギリシャ編を終わらせなきゃ…
それでサントリーニ島で私は、世界一と言われる夕陽を眺められたのか?



サントリーニ島一日目。
イアの街の中のKASTROという、夕陽絶景ポイントのレストランに。
ここはかなり前からでないと予約も難しいのだそうです。
日没は20時40分頃というので、テラス席で食べながら待っていたのですが…
これがシーフード・コースのメイン(二人分)。



その日も抜けるような青空。
食べている最中に陽が段々と落ちて来ましたが
最後の最後に、雲が出てしまいました。



こちらは海に落ちる夕陽だけでなく、白い家が並ぶ街並みがそれに赤く
照らされる光景も見ものらしいのですが…ちょっと残念。
しかも夕陽を見るために、近くの砦跡にはこれだけの人々が。



二日目。
断崖の上にあるイアの町の、今度はその崖の下。
海辺にある、その名もSUNSETというお店。



もう本当に、下手すると海に落ちそうなテラス席です。
こちらの看板メニューという「ロブスターのパスタ」。



こちらでものんびり、2時間以上かけて食べているうちに
陽はゆっくりと落ちて来ました。



こちらに行くには、ホテルから車で30分ほど。
行きはホテルのフロントでタクシーを頼み、
帰りはお店で頼みましたが、行きは二人、帰りは相乗りで4人。
それでも払ったのは同じ30€。
例によってレシートは出ませんでした。
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ギリシャ旅行⑨サントリーニ島

2015年07月17日 | ギリシャ旅行2015


エーゲ海に数ある島の中でも、サントリーニ島は一番人気があるのだそうです。
そこのイアという町から見る夕陽は、世界で一番美しい夕陽とも言われているらしい。
そのサントリーニ島に二泊。

白く塗られた民家に青いドームの教会。
そんな街並みが傾斜に沿って何処までも続いている。
ところどころに鮮やかなブーゲンビリアの花が咲き乱れ、
狭い路にはロバがのんびりひかれて歩いている。
確かに美しい。



島の中で一番大きな町フィラのホテルに宿泊。
そこから車で30分ほどのイアという町が、その夕陽の絶景ポイントと言われている所なのですが
しかしどちらも、実は断崖絶壁の上にあるのです。
港から車でかなりかかります。
しかもここは、活火山を抱えた火山島でもあるのです。
有史以来、何度も噴火を繰り返しているといいます。
紀元前1600年頃の大爆発で今の様な地形になり、
1956年の地震でも、建物の大半が崩れたのだそうです。


(港から見るとこんな感じ)

ローカルガイドの女性は、この島がどんなに素晴らしいかということを
熱心に語ってくれました。
どんなに美しいか、自分がいかにこの島を愛してるか。
しかしこちら、映画館もディスコもデパートもないのです。
断崖の上にあって町の中では車も使えず、水も年中不足しているというのです。
地震国から来た私、つい意地悪な質問を投げかけてみました。
噴火が心配ではないのか、ここを出て行きたいとは思いませんかと。
答えは、神様に守られているから大丈夫、ここに満足しているというものでした。
パトモス島のローカルガイドの女性も
"I love Patmos!! Sooooo beautiful island!!"と繰り返していました。



無論、彼女たちは観光で生活している人たちです。
仮に不満を持っていたとしても、一見の観光客などに
それを漏らしたりしないでしょう。
それでも、私は自分の住んでいる所をそんな風に言えるだろうかと
つい考えてしまいました。
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ギリシャ旅行⑧クレタ島

2015年07月15日 | ギリシャ旅行2015


6日目。
上の地図の、一番下にある横長の大きな島が、クレタ島です。
ここには紀元前18~16世紀頃に栄えたミノア文明のクノッソス宮殿の遺跡があります。
クノッソス宮殿!
子どもの頃親しんだ、ギリシャ神話に出てくる巨大な宮殿。
そこには入ったら二度と出られないという迷宮があり、その奥に住む牛頭人身の
怪物ミノタウロスは、アテネの子どもたちを生け贄として食べていた。
その怪物をやっつけようとアテネの王子テセウスが向かうのですが
クノッソス王の娘アリアドネが、彼に一目惚れするのです。
複雑な迷宮から脱出できるようにと、マリアドネは彼に糸玉を渡す。
テセウスは怪物を倒し、入り口に結び付けられた糸を手繰って無事に迷路を脱出。
そこから、難問解決の道しるべのことを「アリアドネの糸」と言うようになったようです。



しかし、その後、アリアドネは酒の神ディオニッソスに手籠めにされ、
テセウスは恩人アリアドネを簡単に見捨ててしまう。
子ども心になんだかなあと思ったことを覚えています。



このクノッソス宮殿にはまた、ダイダロスとイカロスの話もあります。
この迷宮を設計した科学者ダイダロスは、迷宮を破られてしまった罪で
息子イカロスと共にミノス王によって、塔に幽閉されてしまう。
科学者ダイダロスは鳥の羽を使って巨大な翼を作り、そこからの脱出を図ります。
決して高く飛びすぎてはいけないと息子に忠告するのですが
大空に舞い上がる嬉しさにイカロスはつい高く飛びすぎ、
接着剤に使った蠟が太陽の熱で溶け、哀れまっさかさま。
「イカロスの翼」という言葉が人間の傲慢さや科学への過信を批判する言葉として
使われるのは、そこから来ているようです。



1000以上もの部屋があったとされる宮殿跡は、今は殆どが崩れ落ち、
大半は土台が残っているだけの、広大な土地でしたが…
あの神話の舞台が、実在していたなんて
それだけで感激ものでした。
広大な遺跡の片隅に、クジャクがいたのが印象的でした。


(遺跡にも犬がいた)

参考にさせて頂いた本
「ギリシア神話を知っていますか」 阿刀田高
「名画の謎ギリシャ神話編」 中野京子
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ギリシャ旅行⑦クサダシ、そしてパトモス島

2015年07月13日 | ギリシャ旅行2015

クサダシの商店街

5日目。午前中、トルコのクサダシに寄港して、バザールなど冷やかす。
トルコ商人のアクティブ(しつこいとも言う)な客引きは
やる気あるんだかないんだかというギリシャ商人との違いがありすぎて面白い。
トルコ商人はお店の前に立っていて、日本人と見るや、安いよ、おまけするよ!と。
交渉次第では言い値の半額以下になります。
(いかに言い値がボッタクリであるかということでもありますが)
それに引き換え、ギリシャの店ときたら
例えば、これ10個頂くから1個オマケして?と聞いても、No!と素っ気ないこと甚だしい。
無論、お店によりけり人によりけりでしょうが。


聖ヨハネの洞窟の入口


丘の上の聖ヨハネ修道院

午後、パトモス島に。
小さな島ですが、紀元95年にここに流された聖ヨハネが神の啓示を受けて
黙示録を書いたという謂われがあります。
そのヨハネが住んでいたという洞窟、丘の上にはヨハネに捧げるために
11世紀に建てられたとという修道院があり、世界中から観光客が集まっています。
ここにも風車があり、そしてやはり、犬や猫がわんさかと。




数えたら12匹いた!
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ギリシャ旅行⑥ミコノス島

2015年07月12日 | ギリシャ旅行2015


11時にピレウス港を出た船は、夕方6時頃ミコノス島着。
あちらでは21時頃まで明るいので、夕方といっても昼間と同じ眩しい陽光。
海辺にはオープンテラスのカフェやレストランがどこまでも続き、
飲んだり食べたり喋ったり、多くの人で賑わっている。
海岸線をずっと歩き、南極の氷の塊でできたようなパラポルティア二教会の前で記念撮影。
小さな丘の上には5其の風車が。



海岸線からちょっと中に入ると、細い通路、白く塗った家々の商店街が
迷路のように続いています。
観光客でごった返す中、時々不意に、リードなしの犬や猫が現れる。
ネコはともかく、結構大きな犬が繋がれておらず、その辺にいるのです。
これはミコノス島に限らず、ギリシャ本土でも、これ以降訪ねた他の島でも何処ででも。



現地ガイドさんに訊くと、その辺の家の飼い犬であるか、
或いは近所の人が残り物などを与えて、町で飼っている犬なのだそうです。
道理で道端に寝そべっている犬、結構いい体格なのです。
インドで見かけた痩せこけた犬とは大違い。
犬好きの私、つい撫でたくなりましたが、狂犬病の注射はしてないだろうと我慢。
しかし拘束もされず、飢えもせず、自由に過ごせるなんて
ギリシャの犬って、相当幸せなんじゃないの?
それって人間も同じなのかも。
「ヨーロッパ幸福度調査」によると、経済危機にあえぐギリシャは2位なのだそうです。
(これは少々古いデータですが)






ヨーロッパ諸国における「幸福度」(Personal Happiness in Europe)
http://www.quon.asia/yomimono/business/global/2011/09/18/2844.php
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ギリシャ旅行⑤クルーズ

2015年07月10日 | ギリシャ旅行2015


中期ビザンチン建築の最高傑作と言われる、美しいオシオスルカスの修道院に寄って
アテネのピレウス港からいよいよ船に。

セレスタイル・オリンピア号というのは、パンフレットによると
37500トン、全長215メートル、9階まである大型客船。
最大乗客数1450名、客室数724室、乗務員数540名。
レストラン2カ所、バー、カジノ、フィットネスセンター、スパ、プールなどあり。
今回こちらに二泊して、エーゲ海のあちこちの島を訪ねました。

クルーズ船に泊まるというのを私は楽しみにしていました。
私の小さな客室は窓もあり、シャワー室、冷蔵庫、机、TV付き。
揺れもそれほどひどくなく、エンジン音は全く聞こえない。
レストランには白いクロスをかけた8人掛けのテーブルが並び、
黒いスーツのウェイターが何十人といてサービスしてくれます。
朝食はビュッフェ、昼・夕食は、前菜・メイン・デザートを
3~4種類の中からそれぞれ選びます。
船内では一日中、ダンス・カービング・クッキングなど様々なアクティビティをやっており、
またジャズやラテン・ミュージックなどのライブもあり、飽きることはありません。
世界中から集まってきている乗客と、軽いお喋りを楽しむこともできます。


(左下はベッドメーキングの際の可愛いプレゼント、右下は最上階のプールの横の甲板)

ただ…
例えば船が何処かの島に着いたとする。
その島に大きな港がないと、船は沖合に停泊して、そこからテンダーボートに移らなければならない。
その島に降りるのに、2時間くらいかかるのです。
何百人もの乗客が降りるのですから、考えてみれば当然なのですが。
島から船に戻るときも同様。
これは想定外でした。



食堂・客室など船内はすべて冷房が効きすぎて寒すぎ。
客室はエアコンの調節ができましたが、最大温度にしても冷えすぎ。
外に出ると、陽射しが強すぎ、風が強すぎ。
(そんな甲板の上で欧米人は半裸で、ひねもす日光浴していましたが)

エーゲ海は何処までも碧く、空は更に青く、お天気も素晴らしかったのですが。
乗ってみて初めて分かったこと、色々あります。



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ギリシャ旅行④デルフィ遺跡

2015年07月06日 | ギリシャ旅行2015


3日目。
パルナソス山脈の中腹に広がるデルフィ遺跡。
古代より聖地として栄え、アポロンの神託を受けに多くの巡礼者が集まったといいます。
紀元前6世紀頃が最盛期だったとか。



子どもの頃、ギリシャ神話を何度も読んだものです。
オリンポス12神のうち、全知全能だが浮気者の大神ゼウス、その奥さんの嫉妬深い美女ヘラ、
海の神ポセイドン、月の女神アルテミス、美の女神アフロディテ。
芸術・医療・予言の神であるアポロンが神託を行ったのが、ここデルフィだというのです。
アポロンの神殿、ガイアの祭壇、5千人を収容する劇場、そして広大な競技場などがあります。



アポロンの神託と聞いて思い出すのは、やはりオイデプス王の話。
あまりにも有名な話ですが、簡単に書いてみます。
テーベの王ライオスは、自分が後に息子に殺されるというアポロンの神託を受け、
息子オイデプスを山に捨てさせる。羊飼いに拾われ、
何人かの手を経てコリントス王の養子となったオイデプスは成長して
やはり「父を殺し母と交わる」という神託を受ける。
そんなバカなと家を出たオイデプスは、山中で出会った老人(実父)と争い、殺してしまう。
怪物スフインクスを倒してテーベの王として迎えられ、実母と結ばれるが
ある日その真実を知り、自分の目をつぶして放浪の旅に出る、というものです。
その神話から、男性が幼い頃に父を憎み、母に愛情を覚えるという心理傾向のことを
フロイトはエディプス・コンプレックスと言ったようです。



そんな紀元前の神話の舞台が本当にあったのか…と目を見張る思いでした。
奥深い山の中の遺跡に、世界中から観光客が集まっていました。
麓には、その出土品を展示するデルフィ博物館があり、
黄金の装飾品、黄金の牛、スフィンクスなど、宝物が山と飾ってあります。
写真は有名な「青銅の御者の像」ですが
たまたま写真の左隅に女性が二人写り込んでいる。
多分、この博物館の職員なのでしょうが
どの部屋にも必ずこうして2~3人の職員が、何をするでもなくお喋りしていました。
ああこれが、今話題になっているギリシャの公務員なのね、とつい思ってしまいました。



参考にさせて頂いた本
「ギリシャ神話集」 (講談社学術文庫)
「ギリシア神話を知っていますか」 阿刀田 高
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ギリシャ旅行③メテオラの修道院

2015年07月05日 | ギリシャ旅行2015
日本からギリシャへの直行便は出ていないということで
今回はトルコ航空、イスタンブールでの乗り換えでした。
成田からイスタンブールまで13時間、3時間ほどの空港待ちを経て、テッサロニキ空港まで1時間半ほど。
成田を朝便で出て、その日の夜遅くテッサロニキのホテル着。



翌朝テッサロニキのホワイトタワー、ペラ遺跡を観光、更にバスで3時間ほどかけて
ギリシャ北西部のテッサリア地方メテオラへ。
ここには巨大な奇岩が何十もそそり立っていて、まるでカッパドキアのようです。
カッパドキアと違うのは、その断崖絶壁の頂上に修道院があること。
しかも「メテオラの修道院群」というだけあって、その数、最盛期には20以上もあったのですと。
メテオラとは、ギリシア語で「中空に浮かぶ」を意味する「メテオロス」が語源なのだそうです。



9世紀頃から、俗世から離れて祈りと瞑想の日々を送るためにここに修道院が
建てられるようになったのですと。
正に「薔薇の名前」や「雨天炎天」の世界。
本当に文字通り、断崖絶壁の上にあるのです。
しかし、こんなところに一体どうやって建てたのか?
今でこそ、隣の大きな断崖の上に車で登り、そこから橋で渡ったり、
或いは長い階段が作られていますが、昔はそんなもの何もなかったのですから。



ものの本や現地ガイドさんの説明によると
頂上に滑車を設置し、そこからロープや袋を吊るし、材料を引き上げる。
それを延々と繰り返して造られたのだそうです。
当然、その危険な作業の間には何人もの人が命を落としたのですと。
いやはや…

現存している6つの修道院のうち、メガロ・メテオロン修道院とアギオス・ステファノス修道院(今は尼僧院)
に今回寄りましたが、こんなシーンを目撃しました。
隣の崖からケーブルカーで荷物を運んでいる様子。



そしてこんな光景も。
歴代の修道士たちの山のようなしゃれこうべ。



これらの修道院は、今も修練の場の修道院として機能しながら
一部を観光用に解放しています。
絵葉書やイコン、宗教関連の本を置いた小さな売店もあります。
黒い尼僧服に全身を包んだ尼さんが、ニコニコと応対してくれたのが意外でした。

そしてもっと不思議なこと。
こんな俗世から隔離された世界で修業されている修道士さんたち、
何故あんなに太っていたのだろう?
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ギリシャ旅行②開き直り?

2015年07月03日 | ギリシャ旅行2015


帰国した途端、ギリシャ経済危機のニュースで日本は大騒ぎ。
6月30日までのIMFへの返済期限をギリシャはやはり守れず、
金融支援はこれで失効、先進国で初めての延滞扱い。
その後チプラス首相はまた、とんでもない演説をしたのですね。
EUが提案した財政再建策を受け入れるか否かを国民に問いかけ、
5日の国民投票で「ノー」と言うように呼びかけていると。
そしてギリシャがこんなになったのはEUのせいだとも。
数字や経済に弱い私、詳しいことは分かりませんが
お金にだらしない放蕩息子が資産を使い果たして、オレがこうなったのは
甘やかしたオマエラが悪いと、親に開き直っているようにしか見えないのですが…



ギリシャではWiFi事情があまりよくなく、四つ星以上のホテルでも使えなかったり、
使えてもロビーでは無料、部屋では有料という所が多かったのです。
部屋でできないとなると面倒で、あまりネットも使わなかったのですが
一度だけサントリー二島にいるとFBに写真を投稿したら
銀行閉鎖大丈夫か、暴動は起きてないかというコメントが山ほど。
いえ、あちらはノンビリしてたのですけど。
少なくとも地方や島では。
アテネでは確かに銀行は閉まっていたし、ATMに人が並ぶシーンは目撃しましたが。
現地ガイドさんに聞くと、一日60ユーロしか引き出せないなんてクレージーだと。

「ギリシャ人の真実」(柳田富美子著)という本によると
”(脱税が)ギリシャでは昔からあらゆる場所で当たり前のように行われていた。
お店で買い物をする時、領収書は要らないと言えば少し安くしてくれるので、客はその方が嬉しい。
店主にとっても領収書を発行しない分、税務署に納税しなくても済むので闇の儲けにできる。”
驚いたことにそういったことが、病院などでも行われているというのです。
この著者は、誰もが当たり前に脱税するこの国は昔から貧乏だったと言っている。
そして誰もが「国は貧乏だけど個人の生活は豊かだよ」と言っていたと。
そういえば今回の旅行でも、島であろうと都会であろうと、
小さな土産物を買ってもタクシーに乗ってもレシートは殆ど出なかった、
あれはつまりそういうことだったのか?



そんな話題の国の駆け足旅行記、お付き合い頂ければ幸いです。

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