今日は10月らしい晴天でした。第一回アクアラインマラソンがあって走ってきました。アクアラインの上を走っている間は気持ちよかったのですが、そこを終わると坂道と日射しでヘロヘロになって予想タイムより30分もオーバーしてしまいました。かなりのダメージを受けた感じです。往復にはビックコミックオリジナルを読んでいました。
出張中に溜まっていた新聞と、土曜日は本紙の他に別刷りが付いてくるのでそれを読んでいると1時間くらいは経ってしまいました。20日は雑誌が多く発売されますが、特に鉄道雑誌とカメラ雑誌で、普通は立ち読みで終わるところ、鉄道ジャーナルとアサヒカメラを買い、一個人大人の鉄道図鑑というのも併せて買ってしまいました。今日はそれを読んでいたのですが、20日といえばビックコミックオリジナル。これを買い忘れてしまいました。
民俗のふるさとを読み追えました。帯には宮本民俗学の最高傑作と書いてあります。これはかつて出版された日本の民俗シリーズの第一巻に相当するもので、日本を形作る町や村の原型を概観しているものです。知らなかったのですが、村八分というもの。全体の言うことを聞かずに勝手な人はハチブにされるものだと思っていたのですが、実際ハチブにされることは滅多にないことだったのだそうです。ハチブが増えたのは江戸時代ではなく明治時代で、権利という考えが西洋から入ってきてからのことだそうです。個人が権利を主張するようになると、まさに和を乱して勝手な振る舞いをする人も出て来るわけで(そのことを権利と勘違いする)、村としてはハチブにするしかないとなるのですが、でも家族の将来や親戚筋のことを考えるとハチブにはなかなかできなかったとか。民俗の後は再び山もの。深田久弥の本、山岳遍歴であります。
「民俗のふるさと」宮本常一 河出文庫
新幹線4時間の旅、これ位の時間だと飛行機にするか迷うところですが、今回は新幹線。車中の読書がはかどるかと思いきや、初めて見る車窓の風景に見とれるのと、時折襲ってくる睡魔に、意外とはかどらずでした。民俗のふるさとは日本の社会がどう成り立ってきたかを解りやすく説明してくれています。住んでいる町がどうやってできたのか、人が歩き交流し集まり散って行くことが繰り返されて、やがてが町に変わっていく、そういう変遷があったことが小学校の社会科の授業を思い出させてくれるように書いてあります。
ゲーテとの対話下巻を読み終えました。この本はニーチェも愛読書としていた本で、作者エッカーマンの力作でありますが、解説によると、ゲーテがヴァイマルにやってきたエッカーマンの人をみて、これ幸いと制作を押しつけたようです。この対話篇を唯一の功績としてゲーテに生き血を吸い取られてしまったかのようなエッカーマンであったそうです(ゲーテとシラーの墓のそばに慎ましやかに眠っているそうです)。そしてゲーテの後にはハイネが登場します。それにしてもゲーテは18世紀後半から19世紀前半に生きたことで、モーツァルトやベートーベン、その他の古典派、ロマン派の音楽家達に生で触れただけでなく、フランス革命、ナポレオン、七月革命といった世界史の節目にも立ち会い、そのことが対話にも出てきます。
ゲーテの後は宮本常一です。民俗のふるさとという本で、書かれたのは昭和30年代半ばで、その時点で日本の民俗を語っていますが、実は書かれた年代そのものが今では民俗史に飲み込まれているような感じです。今はやりの昭和30年代を知る上でも面白い内容です。
「ゲーテとの対話 下巻」エッカーマン 岩波文庫
早くも月半ばです。今年も押し詰まって来ましたというのももう少し。ゲーテとの対話下巻を一気に終わろうと思っていましたが、車中居眠りで明日に日延べです。明日はまた新幹線など列車を使った移動が長いので読み終わりそうです。
ゲーテとの対話下巻、今日は20ページほど進んで、ほぼ半分ほど読み終えました。日経日曜朝刊に折り込みのTHE NIKKEI MAGAZINE は定期発行が終わったのですが、広報特集が月一で入ってきて、これを捨てておくのはもったいないと(自分では)思っていまして、普段ファッション雑誌などを立ち読みもしないのですが、どんな時計やスーツが、あるいはレストランが流行なのかがわかって重宝しています。
ゲーテとの対話下巻です。上巻中巻で作者エッカーマンとゲーテとの約10年余に及ぶ付き合いの中での重要な対話が記録されたのですが、それに漏れたものが下巻(本編では第三部とされている)にまとめられています。演劇談義が多く、ゲーテはギリシャ時代の演劇をもっとも基本と据えています。ヨーロッパ文明というのはギリシャ・ローマ文化がルーツであることがゲーテの言葉からもわかります。