南アルプス北岳と仙丈ヶ岳の間の谷を刻む野呂川に両俣小屋があります。一人で切り盛りする小屋番の星美智子さんは今年で45年になります。43年前の1982年8月に台風10号が日本列島に大きな爪痕を残したのですが、この時両俣小屋は完全に増水した野呂川に飲み込まれてしまいます。当時は大学のワンダーフォーゲル部が元気で、この小屋にも5つの大学がテントを張っていました。台風が来ることがわかっていても、合宿の完遂が彼らの目標だったので、もっとも山深い小屋に来てしまったのですね。孤立した小屋からの脱出記なのですが、小屋番の星さんの頑張りで、小屋を捨てて3000mの山を超えて安全な小山で避難することに成功しました。そのドキュメントですが、現在、最も行きずらいところにある山小屋だと思いますね。できた時は南アルプス林道を使えば、難しいことはなかったのですが、5年前の19号台風(北陸新幹線の車庫が水没した)で林道が大被害を受け、まだ開通していなくて、この小屋に行くには仙丈ヶ岳か北岳・間ノ岳を超えて行かないとなりません。今でもケータイは繋がらないので、外部との連絡は北岳小屋との無線しかありません。行きたい小屋ですが、途中で一泊しないと辿り着けません。迫真のドキュメントでした。なお著者は星美智子さんのペンネームです。
「41人の嵐」桂木優 ヤマケイ文庫電子版
41人の嵐を読んでいます。南アルプスの両又小屋の有名小屋番が1982年の小屋番2年生の時に経験した台風の記録です。山の中で暮らしたいと志願して両又小屋の小屋番になり、電気もない当時の小屋での暮らしは本人(女性です)の満喫するものでした。大学のワンゲル部が夏合宿に訪れ、小屋周辺で幕営し賑やかな山となったある日、台風10号が中部山岳地帯を直撃しました。その本人によるドキュメントです。
石川直樹は高校2年生の時、独りでインド、バングラディシュを旅行し、一浪後に東京芸大に入り博士課程を出て美術の博士号を持っているという写真家にしては変わり種の経歴です。よくあるのが雑誌社の写真部、有名写真家の弟子から独立なのですが、博士号を持っている写真家っていないのではないでしょうか。写真を撮るためにヒマラヤ8000m峰を14座登ったわけですが、だからと言って山岳写真家というのでもないのですね(勿論登山家でもない)。麓の少数民族の祭礼とか日常を撮ったりなど、民俗学的写真も多いのです。日本でも沖縄、知床、能登などを巡ってその土地ならではの写真を撮っています。6×7というほとんど使われない中判写真は石川直樹ならではの世界に満ちています。
写真家石川直樹のエッセイ集、地上に正座をつくるを読んでいます。石川氏は今どき珍しいフィルムオンリーの写真家で、かつプラウベルマキナ670というもうとっくに製造していない(つまり中古になります)中判カメラです。ヒマラヤの8000m峰に登るときはサブとして防水型の写ルンですを持って行くそうです。機械は壊れるので単純なこのカメラがピンチを救ってくれるそうで、これで撮った写真集もあるので、写ルンです恐るべしです。
今日は積読の中から2冊をピラピラとめくってさわりを読みました。一冊は写真家の石川直樹のエッセイ集地上に星座を作るです。彼は(登山家としてではない)写真家として初めて8000m14座を登った人です。登山の過程でネパールやインド、バングラディシュの人たちを撮ってきました。もう一冊は世界文学の名著、デカメロンです。訳者の平川祐弘氏によれば、デカメロンは砂時計のくびれにあたる作品なのだそうです。ギリシャ・ローマなどの古典のエッセンスを集約し、近代文学への転換をもたらしたものという意味だそうです。それは過去から現在への砂の流れであるというのですね。
昭和という時代は大戦争をまたいでいるのでその経緯を知るための記録が多くあります。特に戦前の日本は天皇が国の頂点に存在しましたから、政治と軍部と天皇がどう絡んでいたのかが大きな解明の点となります。天皇については側近の日記が多く存在、公開されていますし、宮内庁から昭和天皇実録が出ておりこれが公式なものとなっています。それらとは別に昭和天皇独白録が1990年に文藝春秋に掲載されました。これは戦後昭和天皇の御用掛としてマッカーサーとの間の通訳なども務めた外交官寺崎英成の記録が、娘が住むアメリカで見つかったことにより発表されました。寺崎英成は開戦当時アメリカ大使館に勤務していて開戦回避に努力していた人です(その時アメリカ人の夫人と結婚しました)。この記録は寺崎を含む5人の当時の側近が開戦から終戦にかけてのことをインタビューして答えたものでした。終戦翌年の昭和21年に行われたもので、割り方フランクな環境でなされたものです。この記録は寺崎夫人がアメリカで(内容をよく知らず、夫の形見のように)保管していたものでした。昭和史を研究する専門家化すると記憶違いや思い違いもあるようですが、昭和天皇の人柄が感じられます。当時の軍人と政治家評もあり、面白かったです。後半の半分は娘のマリコ・テラサキ・ミラーの回顧録と文春主催の専門家の座談会が収録されています。
「昭和天皇独白録」寺崎英成 文春文庫
最近の山はシニアブームですが、山ガールという言葉もかつて流行ったように、女性登山者も多いです。彼女たちの山は日本の女性登山の先頭を走った5人の女性をまず取り上げて、女性登山の創成期のことを綴っています。山野井妙子、田部井淳子、谷口けい、野口啓代、遠藤由加の5人は日本はもとより世界に名を連ねる5人です。山野井妙子は夫の山野井泰史と共にヒマラヤに足跡を残しました。田部井淳子は女性初のエベレスト登頂を果たしました。谷口けいは初のピオレドール賞を受賞しました。野口啓代は東京オリンピックでスポーツクライミング複合で銅メダルを取った第一人者です。遠藤由加は無酸素で8000m峰を登った山野井妙子と同時期のアルピニストです。
澤田ふじ子さんという作家は全然知らなかったのですが、著書は時代劇でかなりの数に上っています。娘は澤田瞳子さんと言って親子二代の時代劇作家で直木賞を取っています。澤田ふじ子さんの代表作は他にあるらしいのですが、今回(山行の往復で)読んだのは江戸時代に占い師を(寛政3年朝廷から陰陽頭に任じられ幕府から命じられ)統括する土御門家、その譜代の家が触頭として占い師の査察を行ったというのを背景にした時代劇です。京都を舞台にして会話が京都弁なのでそこが面白いです。鬼平のように悪を憎み弱者に心を寄り添うという主人公の作りとなっています。
それにしても山から下りてきた河口湖畔は桜まつりの最中とはいえ(桜は満開)、インバウンドが殆どで、河口湖駅までのバスも95%はインバウンド。そして富士急河口湖駅もほとんどがインバウンドの人たちでした。日本人が肩身が狭い。
「大盗の夜~土御門家・陰陽事件簿~電子版」澤田ふじ子 光文社文庫
社会派作家といわれる山崎豊子さん。白い巨塔、沈まぬ太陽などが有名ですが、1958年の直木賞作品花のれんも代表作です。吉本の創業者吉本せいをモデルにしたものです。呉服屋に嫁いだ河島多加(吉本せい)は夫の出来の悪さに泣かされます。倒産の憂き目にあい、夫の趣味である寄席を商売にすることにします。なけなしの金で天満に小屋を買い通常の半額の金額で客を集めるところからスタートです。大正、昭和と苦労はありながら商売を伸ばし、大阪の寄席小屋をほとんど一手にするところまでいき、終戦後ほどなく若くして(60歳)で亡くなるまでが描かれています。エンタツ・アチャコや桂春団治が実名で登場します。花月は花菱館とされています。死後、現実は吉本せいの実弟が後を継いで吉本興業を大きくしていきますね。直木賞にハズレはないと思っていまして、面白かったです。
「花のれん」山崎豊子 新潮文庫電子版