夕焼は、夏の季語である。
けれども夕焼という現象は指揮を通じてある訳だ。
従って、夏以外の夕焼は前に季節を付ける。
春夕焼、秋夕焼、冬夕焼と言うわけである。
ここのところの異常な熱さは、夕焼を毒々しく見せる。
「子鴉の二羽で遊べる空赤く」
「オーボエの一筋の音夏の音」
どこからか、オーボエの澄みきった音が聞こえた。
なんの揺らぎもなく、ツーッと一筋の音であった。
夕焼とかぶって、妙にその音程が新鮮だったのである。
だがしかし、夏の夕焼でも、異常なほどの鮮明さと痛々しさは異常である。
そうそう、夕焼けの「け」の送り仮名は、俳句では基本的に必要としない。
「夕焼」で良いのである。
しかしながら、俳句は例えば色紙、例えば短冊に墨書する場合がある。
その時、全体のバランスで「け」の送り仮名があった方が見栄えするなら入れても良い。
感性の問題である。
荒 野人
けれども夕焼という現象は指揮を通じてある訳だ。
従って、夏以外の夕焼は前に季節を付ける。
春夕焼、秋夕焼、冬夕焼と言うわけである。
ここのところの異常な熱さは、夕焼を毒々しく見せる。
「子鴉の二羽で遊べる空赤く」
「オーボエの一筋の音夏の音」
どこからか、オーボエの澄みきった音が聞こえた。
なんの揺らぎもなく、ツーッと一筋の音であった。
夕焼とかぶって、妙にその音程が新鮮だったのである。
だがしかし、夏の夕焼でも、異常なほどの鮮明さと痛々しさは異常である。
そうそう、夕焼けの「け」の送り仮名は、俳句では基本的に必要としない。
「夕焼」で良いのである。
しかしながら、俳句は例えば色紙、例えば短冊に墨書する場合がある。
その時、全体のバランスで「け」の送り仮名があった方が見栄えするなら入れても良い。
感性の問題である。
荒 野人