エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

バンコク・NOW「チャオプラヤー川の枝流を行く」

2011年02月01日 | 旅行
枝流を行けば生活が垣間見えるのである。



洗濯物は良く乾くであろうけれど、水をもう少し綺麗にすれば気持ちも良いに違いないのである。
それに、ここまで低い床だと増水があれば直ちに床上浸水だ。



裏庭に椰子の木が植わっている。
椰子の木陰で午睡も出来る。
羨ましい!



橋の下の船着き場である。
橋のそばに設定するセンスは、雨季の発想に違いない。

面白いではないか。



崩れ落ちてしまった家である。
改修する必要も無いのである。

こうした家は財産としてカウントされないのであろうか。
あるいは既得権として水上に住み続けているのか?
不思議である。



一方、ブーゲンビリアで飾られた鉄筋コンクリートの家も川沿いに建っている。
水のタンクも備えている。



時々、物売りの小船がやってくる。
ドリンク類を売る船、果物を売る船、様々である。

ちょぼちょぼの舟数だけれど、こうした商いがやがて水上マーケットを形つくるのであろう。
もっとも、観光客の舟が多くならなければ無理だけれど・・・。



この家のテラス部分はもう水に浸かっている。
危険である。



これは既に廃屋となっている。

冗談ではないけれど、こうした川にせり出している住まいは涼しいのであろうけれど、雨季にはかなり危険である。
ぼくは同行した仲間に「一軒買いましょうか?」などと言ってしまった。

これは失礼な発想である。
反省!
である。

だがしかし、生活排水は川に捨てられている。
これからの大きな課題であるに違いない。
かと言って、こうした家並を壊してしまっては水の都バンコクの良さが失われてしまう。

為政者にとっては、悩ましい課題であろう。





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                     荒野人