腕相撲勝負を終えて大山(反町隆史)は言う。
「いくさは終わったどん」
これに応えて山川(玉山鉄二)。
「この屋根の下では兄上と呼んでもらおうか」
これで戊辰戦争以来の会津、薩摩の確執は終了したんですね。
山川の言葉は、終了を受け入れつつも、会津人として見せた最後の矜持。
以後、彼らは会津人も薩摩人もなく、憎しみも捨てて、同じ日本人として歴史の中を生きていくのだろう。
八重(綾瀬はるか)が語った襄(オダギリジョー)と結婚した理由は次のようなもの。
「しっかり言ってくれたから、共に歩いていこうと。同じ時を生きてみてえと思った。そしたら、いつのまにか襄の夢が私の夢になった」
どこか、いきものがかりの歌詞のような気もするが、ドラマとしては正しい。
先程の会津と薩摩の確執の終了もそうだが、ドラマはどんなに悲惨な出来事を描いても、最後は理想を語らなくてはならぬ。
そして「襄の夢が私の夢になった」は捨松(水原希子)にとっても同じ。
大山が
「不平等条約の改正は日本政府の悲願。そいには日本が文明国だと列強に認めさす必要がある。捨松さんは、西洋の流儀を身につけられ才媛としてアメリカでも名高か。ゆえに我が妻に最適……」
と<外交の道具>として使うと発言したのに対し、捨松は
「日本のために働けるなら、喜んで大山のアクセサリーになります」と語る。
捨松の夢は、外交の舞台で活躍することであり、大山の夢と一致していたんでしょうね。
大山と結婚することが自分の夢をかなえる手段であると考えた。
また、大山が「おはんは外国人などではありもはん。誇り高か会津んおなごでごわす」と言ったのも捨松の心を打ったはず。
捨松の中には<国際人>と<会津人>が同居しており、大山は捨松の<会津人>の部分を見事にくすぐった。
いずれにしても、捨松の凛とした気丈さは、なかなかの<素敵女子>!
逆に捨松のような女性を扱えるのは、大山のような男しかいなかったのだろう。
最後に八重と山川の再会。
覚馬(西島秀俊)と山川の再会。
会津時代や京都時代がよみがえる。
尚之助(長谷川博己)の『會津戦記』も。
新時代の中で活躍している八重、覚馬、山川だが、やはり彼らは歳を取り、過去を懐旧している。
未来しか見えていない、若い捨松とは対照的だ。
「いくさは終わったどん」
これに応えて山川(玉山鉄二)。
「この屋根の下では兄上と呼んでもらおうか」
これで戊辰戦争以来の会津、薩摩の確執は終了したんですね。
山川の言葉は、終了を受け入れつつも、会津人として見せた最後の矜持。
以後、彼らは会津人も薩摩人もなく、憎しみも捨てて、同じ日本人として歴史の中を生きていくのだろう。
八重(綾瀬はるか)が語った襄(オダギリジョー)と結婚した理由は次のようなもの。
「しっかり言ってくれたから、共に歩いていこうと。同じ時を生きてみてえと思った。そしたら、いつのまにか襄の夢が私の夢になった」
どこか、いきものがかりの歌詞のような気もするが、ドラマとしては正しい。
先程の会津と薩摩の確執の終了もそうだが、ドラマはどんなに悲惨な出来事を描いても、最後は理想を語らなくてはならぬ。
そして「襄の夢が私の夢になった」は捨松(水原希子)にとっても同じ。
大山が
「不平等条約の改正は日本政府の悲願。そいには日本が文明国だと列強に認めさす必要がある。捨松さんは、西洋の流儀を身につけられ才媛としてアメリカでも名高か。ゆえに我が妻に最適……」
と<外交の道具>として使うと発言したのに対し、捨松は
「日本のために働けるなら、喜んで大山のアクセサリーになります」と語る。
捨松の夢は、外交の舞台で活躍することであり、大山の夢と一致していたんでしょうね。
大山と結婚することが自分の夢をかなえる手段であると考えた。
また、大山が「おはんは外国人などではありもはん。誇り高か会津んおなごでごわす」と言ったのも捨松の心を打ったはず。
捨松の中には<国際人>と<会津人>が同居しており、大山は捨松の<会津人>の部分を見事にくすぐった。
いずれにしても、捨松の凛とした気丈さは、なかなかの<素敵女子>!
逆に捨松のような女性を扱えるのは、大山のような男しかいなかったのだろう。
最後に八重と山川の再会。
覚馬(西島秀俊)と山川の再会。
会津時代や京都時代がよみがえる。
尚之助(長谷川博己)の『會津戦記』も。
新時代の中で活躍している八重、覚馬、山川だが、やはり彼らは歳を取り、過去を懐旧している。
未来しか見えていない、若い捨松とは対照的だ。
そう、今回の主人公は何と言っても捨松ですね。
>未来しか見えていない、若い捨松
私には演じる水原希子さんのみずみずしさも印象的でした。
公式HPのインタビューでは、「捨松が母に「苦労をさせるために留学させたんじゃない、お兄様のことも考えて」と非難されるシーンでは、本当につらくて悔しくて勝手に涙が出て」きたそうで、モデル出身で女優歴の短い彼女が初めて体験したキャラとの同一化に、「自分でも終わったあとに鳥肌が立った」そうです。
>逆に捨松のような女性を扱えるのは、大山のような男しかいなかったのだろう。
自分(と津田梅子)が「外国人のように見られている」と感じていた園遊会で、大山が唯一の理解者として登場した、という設定がこのことを的確に象徴していたように思いました。
八重と大山との腕相撲勝負は八重を絡ませるための虚構でしょうが、兄たちが八重に熱烈な声援を送る中、八重が優勢(=大山が劣勢)になると心配そうな表情を示す捨松が可憐でした。
いつもありがとうございます。
捨松、魅力的でしたね。
この作品で描かれている女性たちは、うらのような捨松とは正反対の女性を含めて、どれも魅力的。
『江~姫たちの戦国』という大河ドラマがありましたが、本作『八重の桜』は<女性たちの幕末・明治>というコンセプトにしてもよかったような気がします。
腕相撲の時、捨松が「大山様!」と叫んで、次に八重が負けたのはどういうことだったんでしょうね。
捨松のためにわざと手を抜いて負けたのか?
「大山様!」の声で、一瞬力が抜けて劣勢に陥り、負けたのか?
いろいろ考えてしまいました。
本当に良かった...。
このドラマの作者は本当に優しい方なんでしょうね。
会津と薩摩との確執の解消だけでなく、現存している山川家と川崎家との間に遺恨が残らぬよう、という配慮もあったのではないかと思います。
現実の世界で会津と薩摩との確執がどうなるのかは、こちらも当事者では
ないので分からないですけど...。
山川が時間の流れとともに大事なことの記憶も薄れていくのか、ということを
言っていましたが、理性として、感情として、記憶をなくしていくべきもの、
なくしてはいけないものの、それぞれは何かと考えてしまいました。
見終わった後に、SMAPの 夜空ノムコウ の歌詞を思い浮かべてしまいました。
このドラマは女性も素敵ですが、男性もなかなかだと思いますよ。
話は古くなりますが、西南戦争の話の回のとき、
西郷の軍にいた兵士の中には、兵士にしてはちょっと籐が立っているんじゃないの?と思えるような人もいましたが、あの役者さんたちは、
役柄上だけではなく、個人の信条としても西郷を敬愛している人たちで、
自ら手を挙げて、破れゆく西郷軍の兵士の役についたのではないかと
思って見てしまいました。
次回は好きな人物の一人、尚乃助のことで山川に対して唯一、正面きって
異論を唱えてくれた、いい人、広沢が久しぶりの再登場です。
いつもありがとうございます。
山川が尚之助を思い出して、涙を流すシーン、よかったですね。
『會津戦記』を読むところも。
山川にとって、尚之助や戊辰戦争は、オランダ焼きさんがおっしゃる所の、忘れてはならないことなんでしょうね。
若者は未来を見て、年配者は過去を振り返る。
過去を振り返ることも悪いことではないんだと気づかされました。