「わては商人の街に生まれ、金が人の心や国を動かす事を学びました。
そして知ったんや。いくさはもうかりまっせ」
利休(桂文枝)の言葉だ。
そう、戦争は儲かる。
だから世界から戦争がなくならない。
そう言えば、安倍首相のお友達、JR東海の葛西敬之名誉会長も言っていた。
「戦争でも起きないと日本経済も立ちゆかなくなってきますなあ」
ああ、怖ろしい。
こうして巻き込まれていくのは、名もない庶民。
利休はさらに言う。
「人の心を、命を、金で操るは業の深いことや。
それゆえ、わては茶をたてる。
ここまで茶の道を極めることができたのも、それだけ、わての業が深いゆえ」
業を浄化するための茶。
清浄で質素な茶の精神世界に浸らなければ、利休は狂っていたのだろう。
ならば、〝少欲知足〟に生きればいいのだが、利休にはそれが出来なかったようだ。
それが利休の業。
しかし、利休の犯した罪は〝因果応報〟で跳ね返って来た。
大徳寺山門に利休像を置く。
これは茶々(竹内結子)の無邪気な提案によってなされたものだったが、これが利休の命取りになった。
こんなまったく意識していなかった、些細なことが足を引っ張った。
利休はこれを自分の宿命と理解したようだ。
犯した罪はめぐりめぐって返ってくる。
面白い利休の解釈ですね。
今まで、利休と言えば、〝小欲知足〟の美に生きた人、というイメージだったが、これをひっくり返して別の顔を描いた。
欲深くて、権力志向で、金で人の命や心を操ることに喜びを見い出してしまう自分の業。
茶の世界の大家になって歴史に名を刻むという業。
しかし、利休はそんな自分の業に疲れ果てていたようだ。
だから因果応報として、自らの死を受け入れた。
一方、利休とは対照的に、欲望満々、エネルギーでいっぱいの人物がいる。
家康(内野聖陽)と昌幸(草刈正雄)だ。
「わしの読みどおりになりそうだ。豊臣の世はそう長くは続かぬぞ」
「豊臣の世は一代で終わる」
派を争い、世の中と格闘することを愉しんでいる家康と昌幸。
彼らには、利休のような自らの業に悩む弱々しさはない。
生命力にあふれ、自らの業をねじ伏せている。
昌幸などは、鶴松のために煎じた薬までを、うっかり食べてしまう(笑)
社会や歴史は<欲望>によって動き、作られていくんですね。
一方、もうひとり、自らの宿業に悩む人物がいる。
茶々だ。
「みんな死んでしまう。わたしの大切な人たち」
鶴松を亡くして、茶々はまわりの人間が次々と死んでしまうことに自分の宿業を感じ、怖れる。
寧(鈴木京香)の腕の中で泣く茶々。
悲しむことを忘れた茶々が泣いた。
そう、泣くことで人は浄化される。
それは利休が茶をたてるのと同じだ。
泣くことで、茶をたてることで、人は癒やされ浄化される。
自らの業に悩み、押しつぶされる利休と茶々。
自らの業をねじ伏せる家康と昌幸。
今回はその対照が見事でした。
そして、秀吉(小日向文世)は衰え、押しつぶされつつある。
時代は大きく動きそうだ。
そして知ったんや。いくさはもうかりまっせ」
利休(桂文枝)の言葉だ。
そう、戦争は儲かる。
だから世界から戦争がなくならない。
そう言えば、安倍首相のお友達、JR東海の葛西敬之名誉会長も言っていた。
「戦争でも起きないと日本経済も立ちゆかなくなってきますなあ」
ああ、怖ろしい。
こうして巻き込まれていくのは、名もない庶民。
利休はさらに言う。
「人の心を、命を、金で操るは業の深いことや。
それゆえ、わては茶をたてる。
ここまで茶の道を極めることができたのも、それだけ、わての業が深いゆえ」
業を浄化するための茶。
清浄で質素な茶の精神世界に浸らなければ、利休は狂っていたのだろう。
ならば、〝少欲知足〟に生きればいいのだが、利休にはそれが出来なかったようだ。
それが利休の業。
しかし、利休の犯した罪は〝因果応報〟で跳ね返って来た。
大徳寺山門に利休像を置く。
これは茶々(竹内結子)の無邪気な提案によってなされたものだったが、これが利休の命取りになった。
こんなまったく意識していなかった、些細なことが足を引っ張った。
利休はこれを自分の宿命と理解したようだ。
犯した罪はめぐりめぐって返ってくる。
面白い利休の解釈ですね。
今まで、利休と言えば、〝小欲知足〟の美に生きた人、というイメージだったが、これをひっくり返して別の顔を描いた。
欲深くて、権力志向で、金で人の命や心を操ることに喜びを見い出してしまう自分の業。
茶の世界の大家になって歴史に名を刻むという業。
しかし、利休はそんな自分の業に疲れ果てていたようだ。
だから因果応報として、自らの死を受け入れた。
一方、利休とは対照的に、欲望満々、エネルギーでいっぱいの人物がいる。
家康(内野聖陽)と昌幸(草刈正雄)だ。
「わしの読みどおりになりそうだ。豊臣の世はそう長くは続かぬぞ」
「豊臣の世は一代で終わる」
派を争い、世の中と格闘することを愉しんでいる家康と昌幸。
彼らには、利休のような自らの業に悩む弱々しさはない。
生命力にあふれ、自らの業をねじ伏せている。
昌幸などは、鶴松のために煎じた薬までを、うっかり食べてしまう(笑)
社会や歴史は<欲望>によって動き、作られていくんですね。
一方、もうひとり、自らの宿業に悩む人物がいる。
茶々だ。
「みんな死んでしまう。わたしの大切な人たち」
鶴松を亡くして、茶々はまわりの人間が次々と死んでしまうことに自分の宿業を感じ、怖れる。
寧(鈴木京香)の腕の中で泣く茶々。
悲しむことを忘れた茶々が泣いた。
そう、泣くことで人は浄化される。
それは利休が茶をたてるのと同じだ。
泣くことで、茶をたてることで、人は癒やされ浄化される。
自らの業に悩み、押しつぶされる利休と茶々。
自らの業をねじ伏せる家康と昌幸。
今回はその対照が見事でした。
そして、秀吉(小日向文世)は衰え、押しつぶされつつある。
時代は大きく動きそうだ。