平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

桐島、部活やめるってよ~学校という狭い空間には、さまざまな思いがひしめき合っている

2016年06月30日 | 邦画
 学校という狭い空間には、さまざまな思いがひしめき合っている。
・恋愛、性
・文化部、運動部、帰宅部
・女と女の争い
・意味と無意味
・将来への不安、進路
・弱者と強者、スクールカースト
「瀬戸物と瀬戸物がぶつかり合うと砕けてしまう」というテレビCMがあったが、学校生活はまさにそんな感じ。

 狭い空間にさまざまな思いがひしめき合っているから、場所の奪い合いもある。
 映画部の前田涼也(神木隆之介)と吹奏楽部の沢島亜矢(大後寿々花)の屋上や科学準備室裏の奪い合い。
 ふたりはなぜ相手がその場所にこだわるかがわからない。
 完全なディスコミュニケーションだ。

 ディスコミュニケーションと言えば、桐島がなぜ部活をやめたのか、誰も知らない。
 親友の菊池宏樹(東出昌大)も、カノジョの梨紗(山本美月)も、同じバレー部の仲間たちも。
 そのことが、桐島が最後まで現れない、という描写で象徴的に語られる。
 果たして今まで自分が見てきた桐島とはいったい誰だったのか?
 彼らはそれが不安なのだ。

 こんなディスコミュニケーションもある。
 沢島亜矢は菊池宏樹に自分を見てもらいたくて、屋上でサックスを吹き続ける。
 しかし、宏樹は気づかない。
 宮部実果(清水くるみ)は風助(太賀)に好意を寄せて応援しているのだが、伝わっていない。
 前田涼也と東原かすみ(橋本愛)は同じ中学で、昔はそれなり話をしていたが、高校に入ってからは同じクラスなのに話をしていなかった。

 作品は、こうした学校生活のディティルを積み重ねながら、〝ディスコミュニケーション〟と〝孤独と不安〟を描いていく。
 しかし、そんな彼らにも一瞬、心と心がふれ合うことがある。
 映画館の前で缶コーヒーを飲みながら映画について語り合う前田とかすみのシーンがそうだ。
 かすみは前田のマニアックな映画の話についていけなかったが(←ディスコミュニケーション)、前田の映画に対する熱い思いは理解した。
 あるいは、ラストの前田と宏樹の8ミリカメラについて語り合うシーンがそうだ。
「お前、将来は映画監督か? 女優と結婚か?」
「映画監督なんて無理だよ。僕が映画を撮るのは、僕の好きな映画と僕の映画がつながっているのを感じるからなんだ」
 おそらく宏樹には前田の言っていることをほとんど理解できていないだろう。
 だが、心はふれ合った。
 そして宏樹は、野球部の練習を見ながら、自分に野球部復帰をしつこく求めてくる野球部の先輩の気持ちを理解しようとする。

 リアルな青春映画ですね。
 おそらく現在、学校生活をおくっている人は、ここで描かれるディティルに共感するのだろう。
 他の青春映画だと、登場人物たちは葛藤を経て理解し合う。
 しかし、この作品は、現実はそんなに簡単ではなく、むしろディスコミュニケーションばかりで、仮に理解し合っても相手のごくわずかな部分なのだ、と語っている。 

コメント
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