平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

真田丸 第25回「別離」~業に悩み、押しつぶされる利休と茶々、それと対照的な家康と昌幸

2016年06月27日 | 大河ドラマ・時代劇
「わては商人の街に生まれ、金が人の心や国を動かす事を学びました。
 そして知ったんや。いくさはもうかりまっせ」
 利休(桂文枝)の言葉だ。
 そう、戦争は儲かる。
 だから世界から戦争がなくならない。
 そう言えば、安倍首相のお友達、JR東海の葛西敬之名誉会長も言っていた。
「戦争でも起きないと日本経済も立ちゆかなくなってきますなあ」
 ああ、怖ろしい。
 こうして巻き込まれていくのは、名もない庶民。

 利休はさらに言う。
「人の心を、命を、金で操るは業の深いことや。
 それゆえ、わては茶をたてる。
 ここまで茶の道を極めることができたのも、それだけ、わての業が深いゆえ」
 業を浄化するための茶。
 清浄で質素な茶の精神世界に浸らなければ、利休は狂っていたのだろう。
 ならば、〝少欲知足〟に生きればいいのだが、利休にはそれが出来なかったようだ。
 それが利休の業。

 しかし、利休の犯した罪は〝因果応報〟で跳ね返って来た。
 大徳寺山門に利休像を置く。
 これは茶々(竹内結子)の無邪気な提案によってなされたものだったが、これが利休の命取りになった。
 こんなまったく意識していなかった、些細なことが足を引っ張った。
 利休はこれを自分の宿命と理解したようだ。
 犯した罪はめぐりめぐって返ってくる。

 面白い利休の解釈ですね。
 今まで、利休と言えば、〝小欲知足〟の美に生きた人、というイメージだったが、これをひっくり返して別の顔を描いた。
 欲深くて、権力志向で、金で人の命や心を操ることに喜びを見い出してしまう自分の業。
 茶の世界の大家になって歴史に名を刻むという業。
 しかし、利休はそんな自分の業に疲れ果てていたようだ。
 だから因果応報として、自らの死を受け入れた。

 一方、利休とは対照的に、欲望満々、エネルギーでいっぱいの人物がいる。
 家康(内野聖陽)と昌幸(草刈正雄)だ。
「わしの読みどおりになりそうだ。豊臣の世はそう長くは続かぬぞ」
「豊臣の世は一代で終わる」
 派を争い、世の中と格闘することを愉しんでいる家康と昌幸。
 彼らには、利休のような自らの業に悩む弱々しさはない。
 生命力にあふれ、自らの業をねじ伏せている。
 昌幸などは、鶴松のために煎じた薬までを、うっかり食べてしまう(笑)
 社会や歴史は<欲望>によって動き、作られていくんですね。

 一方、もうひとり、自らの宿業に悩む人物がいる。
 茶々だ。
「みんな死んでしまう。わたしの大切な人たち」
 鶴松を亡くして、茶々はまわりの人間が次々と死んでしまうことに自分の宿業を感じ、怖れる。
 寧(鈴木京香)の腕の中で泣く茶々。
 悲しむことを忘れた茶々が泣いた。
 そう、泣くことで人は浄化される。
 それは利休が茶をたてるのと同じだ。
 泣くことで、茶をたてることで、人は癒やされ浄化される。

 自らの業に悩み、押しつぶされる利休と茶々。
 自らの業をねじ伏せる家康と昌幸。
 今回はその対照が見事でした。
 そして、秀吉(小日向文世)は衰え、押しつぶされつつある。
 時代は大きく動きそうだ。


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4 コメント

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「死の商人」利休ときりの危機 (TEPO)
2016-06-27 22:36:44
>面白い利休の解釈ですね。

利休が「死の商人」だったとは大胆な説です。
末裔である茶道の家元あたりから苦情が来そうですが、それなりに典拠はあるのでしょうね。
利休と三成とが敵対関係にあることは前提であり、主人公は三成派である以上、利休はある程度「悪人」となることは予想されましたが。

通常の大河ですと利休は秀長と共に秀吉晩年の「汚点」とされる朝鮮出兵への野望を諫める「良識派」として描かれるのですが、今回は秀長-この人は常に良識派-とも対立させられていました。
朝鮮出兵については三成、大谷吉継、信繁らはここ数回「次に来ること」として淡々と受け止めているようですが、今後どのような描かれ方となるのかは注目です。
普通の物語だと、朝鮮出兵は三成にしても好ましいことではなかったように描かれるのですが。

ところで、きりはやはり秀次と危ういところ(秀次の運命を知る現代人視点から見て)までゆくようですね。
信繁の正妻であり、嫡男の母にもなるのが、次回登場するらしい大谷吉継の娘春(竹林院)。
その春を差し置いて、なぜきりが「ヒロイン」と言われているのかは未だに謎なのですが、「秀次の愛妾」(=三条河原の悲劇)寸前という数奇な運命によってキャラとしての重みが増してゆくのかもしれません。
返信する
大河ドラマの定説 (コウジ)
2016-06-28 08:23:48
TEPOさん

いつもありがとうございます。

おっしゃるとおり、大胆な説ですよね。
「軍師 官兵衛」では、利休は枯れた清貧のイメージで、華美な秀吉と対立する形でした。
ところが、今回は強欲で正反対。

朝鮮出兵もどう描かれるんでしょうね。
今回の秀吉を励ます信繁のせりふにも、それを<秀吉の夢>として肯定する部分がありましたし、今までの大河ドラマの定説とまったく違う。

「秀次の愛妾」(=三条河原の悲劇)については、まったく知らなかったのですが、そういうエピソードがあるんですか。
秀次の死にきりがどうリアクションするか楽しみです。
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「三条河原」とは (TEPO)
2016-06-28 10:46:23
>「秀次の愛妾」(=三条河原の悲劇)については、まったく知らなかったのですが

そうでしたか。
秀頼の誕生後、秀次は失脚の上高野山で切腹したことはご存知かと思います。
しかしこれで収まらぬ秀吉は係累の根絶をはかり、秀次の子供と妻妾約40名が三条河原で処刑されました。
ほとんど大量虐殺と言ってよいこの暴挙は、朝鮮出兵と並ぶ秀吉晩年の「狂気」を示すエピソードとして有名です。

それゆえきりにとっては、後のことを考えなければ次期関白である秀次の側室となることは、小大名の次男坊に過ぎない信繁などとは雲泥の「玉の輿」なのですが、後に三条河原で処刑される一人になるかもしれなかったという意味で「危うい」「危機」だと申していたわけです。
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権力者の妄執 (コウジ)
2016-06-28 19:46:09
TEPOさん

教えていただきありがとうございます。
秀吉の狂気。
囚われた者の妄執というのは怖ろしいですよね。
それが強大な権力をもつ者であれば、なおさらタチが悪い。
人間というのは、どこまでも残酷になれるんですよね。
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