天下動乱、風雲急を告げる家康VS三成。
官兵衛(岡田准一)は、第三勢力として天下を取る策を善助(濱田岳)たち三奉行に語ろうとする。
すると、善助たちは官兵衛の策をすらすらと話し始める。兵糧や物見の手配も万全だと胸を張る。
そして、
「われらは30年以上の長きにわたり大殿に仕え見続けてまいったのです。
大殿のお考えなど寝ていても分かりまする」
これに応えて、官兵衛、深々と頭を下げて、
「わしはよき宝に恵まれた。善助、九郎右衛門、太兵衛、得難き宝が3つもじゃ。
お主たちのおかげでここまで生き長らえ、軍師として重用される事ができた」
官兵衛と三奉行の絆を感じさせるエピソードだ。
考えてみれば、今回の光(中谷美紀)と栄(吉本実憂)の脱出行も、善助たちの働きに拠るもの。
官兵衛の働きの陰に、善助、太兵衛(速水もこみち)、九郎右衛門(高橋一生)あり。
官兵衛の天下取りは、「天下という器がわしに相応しいのかどうか試してみる」ものだったようだ。
これを裏返せば、<自分がふさわしい器でなければ、天下は取れない。すべては天が決めること>という東洋的な考え方が官兵衛にはある。
果たして、官兵衛は<天下にふさわしい器>なのか?
天は官兵衛に天下を与えるのか?
官兵衛が立てた策には、ひとつ欠点がある。
この欠点については次回のネタバレになるので書きませんが、関ヶ原後の歴史が示すとおり、天は官兵衛を天下人に選ばなかった。
官兵衛は<天下にふさわしい器>でなかった。
では、すこし早いですが、そんな官兵衛の生涯を総括するとどうなるか?
上善水の如し。
『最高の善は水のようなものである。 万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置くという水の性質を、最高の善としたたとえ』(goo辞書)
この言葉こそが官兵衛に一番ふさわしい気がします。
官兵衛(岡田准一)は、第三勢力として天下を取る策を善助(濱田岳)たち三奉行に語ろうとする。
すると、善助たちは官兵衛の策をすらすらと話し始める。兵糧や物見の手配も万全だと胸を張る。
そして、
「われらは30年以上の長きにわたり大殿に仕え見続けてまいったのです。
大殿のお考えなど寝ていても分かりまする」
これに応えて、官兵衛、深々と頭を下げて、
「わしはよき宝に恵まれた。善助、九郎右衛門、太兵衛、得難き宝が3つもじゃ。
お主たちのおかげでここまで生き長らえ、軍師として重用される事ができた」
官兵衛と三奉行の絆を感じさせるエピソードだ。
考えてみれば、今回の光(中谷美紀)と栄(吉本実憂)の脱出行も、善助たちの働きに拠るもの。
官兵衛の働きの陰に、善助、太兵衛(速水もこみち)、九郎右衛門(高橋一生)あり。
官兵衛の天下取りは、「天下という器がわしに相応しいのかどうか試してみる」ものだったようだ。
これを裏返せば、<自分がふさわしい器でなければ、天下は取れない。すべては天が決めること>という東洋的な考え方が官兵衛にはある。
果たして、官兵衛は<天下にふさわしい器>なのか?
天は官兵衛に天下を与えるのか?
官兵衛が立てた策には、ひとつ欠点がある。
この欠点については次回のネタバレになるので書きませんが、関ヶ原後の歴史が示すとおり、天は官兵衛を天下人に選ばなかった。
官兵衛は<天下にふさわしい器>でなかった。
では、すこし早いですが、そんな官兵衛の生涯を総括するとどうなるか?
上善水の如し。
『最高の善は水のようなものである。 万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置くという水の性質を、最高の善としたたとえ』(goo辞書)
この言葉こそが官兵衛に一番ふさわしい気がします。