平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

平清盛 第49話「双六が終わるとき」~あの「光らない君」がここまで上られたのです。気楽にまいりましょう

2012年12月17日 | 大河ドラマ・時代劇
 後白河法皇(松田翔太)との最後のすごろく。
 すごろくの賽の目は7で、清盛(松山ケンイチ)の勝ち。
 清盛は言う。
「もはや平安の世は終わりを告げようとしておりまする。これより先は武士同士が覇を争う世となりましょう。武士は、もはや王家の犬ではござりませぬ」
 清盛は勝利したんですね。
 時代は完全に<武士の世>になった。
 後白河法皇も負けを認めた。
「さようか。もう、さような所までたどりついておったのか」

 しかし清盛の役割は、頼朝(岡田将生)に橋渡しをする役割だった。
 鎌倉に武士の都を造ろうとしている頼朝。
 清盛の場合は厳島神社、頼朝の場合は鶴ヶ岡八幡宮。
 同じ構想でありながら、清盛の厳島神社は遠く離れた地にある。
 そして内裏の奥にあるのは帝の御所だ。
 しかし、頼朝の鎌倉にはそれがない。
 頼朝は<帝や朝廷の権威>など必要としていないようだ。
 武士たちと自分が<御家人>として契約を結ぶ武士本位の体制づくり。
 ここに頼朝の独創がある。
 清盛は、この頼朝の都づくりを西行(藤木直人)から聞いて、自分の限界を知る。
 帝や朝廷を頭に置かないことこそが<武士の世>だと覚る。
 そして、清盛がかつて鳥羽上皇(三上博史)にしたように、頼朝は清盛に向かって矢を引いた。
 これでジ・エンド。
 清盛は頼朝に敗北したのだ。
 もっとも、それは仕方がないこと。
 清盛が道を切り拓き、新しい都を発想したからこそ、頼朝が発展させることが出来た。

 時代が変わったことは、西行も語る。
 堀川局との再会。
 ここで「恋の歌を交わす雅な時代は終わった」と言って昔を懐かしむ。

 あとは夫婦の物語。
 高倉上皇(千葉雄大)と徳子(二階堂ふみ)。
「死んで気がかりなのは徳子、そなたじゃ」
「王家より平家より上皇様が大事にございます」
「上皇様だけが私の光る君でございます」
 虚しく鳴らない笛の音に対しては
「何と美しい音色でございましょう」
 脚本の藤本さんは、この時代に翻弄された夫婦にもしっかり見せ場を作った。

 そして清盛と時子(深田恭子)。
「もうよいではございませぬか。あの「光らない君」がここまで上られたのです。これ以上の高望みはなされますな。気楽に参りましょう」
「気楽なことを」
「ひさしぶりに源氏物語を読みたくなりました」
 絶望の中でのやすらぎの場。
 いいシーンだ。
 時子は『源氏物語』を読みながら、昔を思い出していたに違いない。

 さて次回は最終回。
 今回で、清盛の生涯の総括はある程度出来たように思われるが、さらにそれがどのように深め、描かれるのか?


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする