氷室冴子先生が亡くなった。
僕は仕事柄いろいろなライトノベルを読んでいるが、氷室先生ぐらい繊細な女の子の気持ちを描ける人はいない。
★例えば「多恵子ガール」
陰で努力しているなぎさ君を見て多恵子は思う。
「あの人は強い人だ。ほんとうにえらい人だ。
あたしはとても、そんな人にはなれそうもないけれど、そういう人をわかる人にはなりたい。
拍手する時、その人の後ろにあるたくさんの練習や、いろんな気持ちを想像できる人にはなりたい」
★デビュー作「さよならアルルカン」では、他人の前で本当の自分を見せない主人公たちを『薔薇』と『虞美人草』という形で表現されている。
・薔薇~「人を近づけず、近づいてくる人を容赦なくやっつけて、ひとり孤独を守ってた。ある時は荒々しく、ある時は冷笑を浮かべて」
・虞美人草~「あたしは風の吹くままに揺れて、いつも頭をさげている花……虞美人草かな」
つまり薔薇である主人公のボーイフレンドは虚勢を張り自分を守り、虞美人草の主人公は皆に同調することで自分を守ってきたということ。
そして氷室先生はこう文章を結んでいる。
「傷つきやすい弱い人間は、薔薇か虞美人草にならなければならないのだろうか」
★「アグネス白書」はコメディ
つき合ってたボーイフレンド光太郎とケンカした主人公はこう思う。
「合唱部が声高らかに合唱している”歓びの歌”を、あたしは歯ぎしりしながら聞いていた。
いったい、どこが歓びなんだ。
それにしても、あの女は誰なんだ。
いくらコンサートをすっぽかしたからって、これもよがしに女の人を誘って、連れてくるところがせこいのよ」
「少しぐらい嫌みを言われたって応えないぞ。
あたしの心は、すでにバリケード封鎖よ」
「その点光太郎はよかった。
いつだって、ずいぶん気を遣ってくれたし、嬉しかった。
あきれるくらい単純で、ほんとに年上なのか信じられないとこもあったけど、でも、いい人だった。
ああ、失ってわかる大切さ、ってこれを言うんだわ」
★「恋する女たち」の多佳子はこんな女の子。
「あたしはコーデリアという名に憧れた赤毛のアンのごとく、自分の多佳子という名の芸のなさに、ガキの頃からほとほと悩まされていた。
小、中学校でずっと一緒だった近所の女の子達には、翔子とか、もっとすごいのにエリナなんて子がいたけど、あたしのコンプレックスをいやがうえにもあおりたてていたものだった」
同級生の沓掛勝のことが気になり出すと
「たかが男一匹のために、寂しい表情をしてしまうのはなんとも不甲斐ないことで、あたしは自分の不甲斐なさに丸一日は腹をたてることだろう」
「恋する者は永遠の弱者なり。因果な世界だなあ、恋愛なんてのは。こんな時、あたしは山奥に庵を君で一人静かに身を守って暮らし、一人静かに老い朽ちていきたい」
勝が別の女の子といっしょのところを目撃すると
「あの女の子の編み込んだ髪のしなやかさはどうだろう。
白い柔らかな頬の可憐さはどうだろう。
勝は愛する少女を傍らにして、どんなに満ち足りているだろう」
「よく目を開けて、あの二人を見据えることだ。
勝にはあたしは必要ではない。
勝はあたしを愛してはいない(当然だ)。
けれどあたしは彼が好きだ。
ずっと好きだった。
そしてこれから勝を愛し続けていたいなら、今、あの二人から眼をそむけようとする弱さをなくすことだ。
ふたりを見据える強さを持つことだ」
現在これら昔の氷室冴子ワールドに触れるには古本屋で探すしかない。
北上次郎編「14歳の本棚-部活学園編-」(新潮文庫)で「アグネス白書」の一部が抜粋されているが。
集英社さん、ぜひ氷室先生の本の再販を。
ライトノベルの作家さん、ぜひ氷室先生の様な豊かさと文体で作品を書いて下さい。
僕は仕事柄いろいろなライトノベルを読んでいるが、氷室先生ぐらい繊細な女の子の気持ちを描ける人はいない。
★例えば「多恵子ガール」
陰で努力しているなぎさ君を見て多恵子は思う。
「あの人は強い人だ。ほんとうにえらい人だ。
あたしはとても、そんな人にはなれそうもないけれど、そういう人をわかる人にはなりたい。
拍手する時、その人の後ろにあるたくさんの練習や、いろんな気持ちを想像できる人にはなりたい」
★デビュー作「さよならアルルカン」では、他人の前で本当の自分を見せない主人公たちを『薔薇』と『虞美人草』という形で表現されている。
・薔薇~「人を近づけず、近づいてくる人を容赦なくやっつけて、ひとり孤独を守ってた。ある時は荒々しく、ある時は冷笑を浮かべて」
・虞美人草~「あたしは風の吹くままに揺れて、いつも頭をさげている花……虞美人草かな」
つまり薔薇である主人公のボーイフレンドは虚勢を張り自分を守り、虞美人草の主人公は皆に同調することで自分を守ってきたということ。
そして氷室先生はこう文章を結んでいる。
「傷つきやすい弱い人間は、薔薇か虞美人草にならなければならないのだろうか」
★「アグネス白書」はコメディ
つき合ってたボーイフレンド光太郎とケンカした主人公はこう思う。
「合唱部が声高らかに合唱している”歓びの歌”を、あたしは歯ぎしりしながら聞いていた。
いったい、どこが歓びなんだ。
それにしても、あの女は誰なんだ。
いくらコンサートをすっぽかしたからって、これもよがしに女の人を誘って、連れてくるところがせこいのよ」
「少しぐらい嫌みを言われたって応えないぞ。
あたしの心は、すでにバリケード封鎖よ」
「その点光太郎はよかった。
いつだって、ずいぶん気を遣ってくれたし、嬉しかった。
あきれるくらい単純で、ほんとに年上なのか信じられないとこもあったけど、でも、いい人だった。
ああ、失ってわかる大切さ、ってこれを言うんだわ」
★「恋する女たち」の多佳子はこんな女の子。
「あたしはコーデリアという名に憧れた赤毛のアンのごとく、自分の多佳子という名の芸のなさに、ガキの頃からほとほと悩まされていた。
小、中学校でずっと一緒だった近所の女の子達には、翔子とか、もっとすごいのにエリナなんて子がいたけど、あたしのコンプレックスをいやがうえにもあおりたてていたものだった」
同級生の沓掛勝のことが気になり出すと
「たかが男一匹のために、寂しい表情をしてしまうのはなんとも不甲斐ないことで、あたしは自分の不甲斐なさに丸一日は腹をたてることだろう」
「恋する者は永遠の弱者なり。因果な世界だなあ、恋愛なんてのは。こんな時、あたしは山奥に庵を君で一人静かに身を守って暮らし、一人静かに老い朽ちていきたい」
勝が別の女の子といっしょのところを目撃すると
「あの女の子の編み込んだ髪のしなやかさはどうだろう。
白い柔らかな頬の可憐さはどうだろう。
勝は愛する少女を傍らにして、どんなに満ち足りているだろう」
「よく目を開けて、あの二人を見据えることだ。
勝にはあたしは必要ではない。
勝はあたしを愛してはいない(当然だ)。
けれどあたしは彼が好きだ。
ずっと好きだった。
そしてこれから勝を愛し続けていたいなら、今、あの二人から眼をそむけようとする弱さをなくすことだ。
ふたりを見据える強さを持つことだ」
現在これら昔の氷室冴子ワールドに触れるには古本屋で探すしかない。
北上次郎編「14歳の本棚-部活学園編-」(新潮文庫)で「アグネス白書」の一部が抜粋されているが。
集英社さん、ぜひ氷室先生の本の再販を。
ライトノベルの作家さん、ぜひ氷室先生の様な豊かさと文体で作品を書いて下さい。