「犬神家の一族」の面白い所は、2つのプロットが絡み合い、事件を形作っていることである。
以下、一部ネタバレです。
ひとつは青沼静馬。
静馬は犬神家に復讐を果たそうとして、『斧(よき)、琴、菊』の死を演出する。しかし、実際に手を下したのは静馬ではない。殺人の犯人は別にいる。
そこでふたつめのプロットが殺人を行った犯人だ。
犯人には、静馬の復讐とは別の動機・目的(「犬神家の財産をひとりじめしたい」)がある。
それが絡み合うから事件が複雑になる。
探偵はこの絡まった糸を解きほぐしていかなければならない。
ここがこの作品のポイント。
以下は想像だが、作者・横溝正史は次の様な発想でこの作品を書いていったのではないか。
殺人の動機:犬神家の財産をひとりじめしたい。
しかし、これではストレート過ぎて探偵小説にはならない。
そこでいつもの横溝正史ふう脚色。『斧、琴、菊』の演出。
では、この『斧、琴、菊』の演出を施した殺人をどの様に行うか?
推理小説の作家が一番頭を絞る所であるが、例えば「共犯者」を設定する。
しかし共犯者では当たり前、能がない。
では、共犯者でない共犯者はどうか?
すなわち青沼静馬である。
静馬と犯人には意思疎通はない。
静馬は犯人が殺した死体に『斧、琴、菊』の演出を施す。犯人は自分の殺した人間の死体がなぜそうなったのかを知らない。
これでかなり事件は複雑になる。
探偵は共犯者ではないふたりの犯人を追わなければならないのだから。
これと同じ構造を持った作品にテレビドラマ「相棒」の「女王の宮殿」がある。
あるパーティで同時進行する窃盗事件と殺人事件。
このふたつの事件の犯人はお互いのこともお互いが犯している犯罪のこともまったく知らない。
それが事件を複雑にしている。
ある状況設定にふたつのプロットを入れてみる。
これも物語を作る作劇方法のひとつだ。
最後は文章表現。
この作品のヒロイン、絶世の美女・珠代の描写はこうだ。
「耕介はレンズにうつるその顔を凝視しているうちに、なんともいえぬ戦慄が背筋をつらぬいて走るのを禁ずることはできなかった。いままでそのような美人にお眼にかかったことは一度もなかった。少し仰向きかげんに、いかにも楽しげにオールを操る珠代の美しさというものは、ほとんどこの世のものとは思えなかった。少し長めにカットして、さきをふっさりカールさせた髪、ふくよかな頬、長いまつげ、格好のいい鼻、ふるいつきたくなるようなくちびる、スポーツドレスがしなやかな体にぴったり合って、体の線ののびのびした美しさは、ほとんど筆にも言葉にもつくしがたいほどであった。美人もここまでくると恐ろしい。戦慄的である」
いささかストレート過ぎる感じもするが、ここまで書かれると本当にすごいことがわかる。
ちなみに映画版では、島田陽子さん、松嶋菜々子さんがやっていた。
佐智が珠代にクロロフォルムを嗅がせ、その体を奪おうとする場面はこんな表現。
「ずしんと、持ちおもりのする珠代の体温のあたたかさ。新鮮な果物のような処女の芳香、なめらかな肌の下に脈々と通う血管のうずき!……佐智はそれだけで、圧倒されるような血の騒ぎをおぼえるのだ」
『肌の下に脈々と通う血管のうずき!』という表現がすごい。作家は皮膚の下の血管にまでエロティシズムを感じてしまうのだ。
この前の描写で珠代を抱こうとする時、横たわっている珠代を見て佐智が子供の様に爪を噛む描写があるのだが、こんな動作を描けるのもすごい。並みの作家ならもっと普通の動作表現になってしまっただろう。
以下、一部ネタバレです。
ひとつは青沼静馬。
静馬は犬神家に復讐を果たそうとして、『斧(よき)、琴、菊』の死を演出する。しかし、実際に手を下したのは静馬ではない。殺人の犯人は別にいる。
そこでふたつめのプロットが殺人を行った犯人だ。
犯人には、静馬の復讐とは別の動機・目的(「犬神家の財産をひとりじめしたい」)がある。
それが絡み合うから事件が複雑になる。
探偵はこの絡まった糸を解きほぐしていかなければならない。
ここがこの作品のポイント。
以下は想像だが、作者・横溝正史は次の様な発想でこの作品を書いていったのではないか。
殺人の動機:犬神家の財産をひとりじめしたい。
しかし、これではストレート過ぎて探偵小説にはならない。
そこでいつもの横溝正史ふう脚色。『斧、琴、菊』の演出。
では、この『斧、琴、菊』の演出を施した殺人をどの様に行うか?
推理小説の作家が一番頭を絞る所であるが、例えば「共犯者」を設定する。
しかし共犯者では当たり前、能がない。
では、共犯者でない共犯者はどうか?
すなわち青沼静馬である。
静馬と犯人には意思疎通はない。
静馬は犯人が殺した死体に『斧、琴、菊』の演出を施す。犯人は自分の殺した人間の死体がなぜそうなったのかを知らない。
これでかなり事件は複雑になる。
探偵は共犯者ではないふたりの犯人を追わなければならないのだから。
これと同じ構造を持った作品にテレビドラマ「相棒」の「女王の宮殿」がある。
あるパーティで同時進行する窃盗事件と殺人事件。
このふたつの事件の犯人はお互いのこともお互いが犯している犯罪のこともまったく知らない。
それが事件を複雑にしている。
ある状況設定にふたつのプロットを入れてみる。
これも物語を作る作劇方法のひとつだ。
最後は文章表現。
この作品のヒロイン、絶世の美女・珠代の描写はこうだ。
「耕介はレンズにうつるその顔を凝視しているうちに、なんともいえぬ戦慄が背筋をつらぬいて走るのを禁ずることはできなかった。いままでそのような美人にお眼にかかったことは一度もなかった。少し仰向きかげんに、いかにも楽しげにオールを操る珠代の美しさというものは、ほとんどこの世のものとは思えなかった。少し長めにカットして、さきをふっさりカールさせた髪、ふくよかな頬、長いまつげ、格好のいい鼻、ふるいつきたくなるようなくちびる、スポーツドレスがしなやかな体にぴったり合って、体の線ののびのびした美しさは、ほとんど筆にも言葉にもつくしがたいほどであった。美人もここまでくると恐ろしい。戦慄的である」
いささかストレート過ぎる感じもするが、ここまで書かれると本当にすごいことがわかる。
ちなみに映画版では、島田陽子さん、松嶋菜々子さんがやっていた。
佐智が珠代にクロロフォルムを嗅がせ、その体を奪おうとする場面はこんな表現。
「ずしんと、持ちおもりのする珠代の体温のあたたかさ。新鮮な果物のような処女の芳香、なめらかな肌の下に脈々と通う血管のうずき!……佐智はそれだけで、圧倒されるような血の騒ぎをおぼえるのだ」
『肌の下に脈々と通う血管のうずき!』という表現がすごい。作家は皮膚の下の血管にまでエロティシズムを感じてしまうのだ。
この前の描写で珠代を抱こうとする時、横たわっている珠代を見て佐智が子供の様に爪を噛む描写があるのだが、こんな動作を描けるのもすごい。並みの作家ならもっと普通の動作表現になってしまっただろう。