東京タワー 第6回・7回は東京で中川雅也(速水もこみち)といっしょに住むことになったオカン栄子(倍賞美津子)の話。
雅也のリアクションと佐々木まなみ(香椎由宇)ら雅也の取り巻く人々のリアクションが描かれる。
雅也のリアクションは相変わらずだ。
「東京に来い」と格好いいことを言いながら後悔している。
仕事がキャンセルされたこともあり、みんなに食事を大盤振る舞いする栄子を怒る。
みんながいつも栄子のまわりにいるので面白くない。特にまなみとはふたりきりで過ごしたい。
雅也は栄子があまりにも近すぎる存在なので、その有り難さやその裏に隠された気持ちに気がついていない。
親の心、子知らず。
親の愛情や有り難さ、おもてには出さないつらさや寂しさを子供は理解しない。
それはどの家庭での親と子にも当てはまることで当たり前の日常だが、それを真正面から描いた作品はこの作品ぐらいだろう。
一方、雅也を取り巻く人々のリアクション。
雅也と栄子の関係が羨ましく見える。
まなみは旅館を営む母親に自分の写真の載った雑誌を送るが見てもらえない。旅館の経営が苦しいからだ。一方、栄子は雅也の作品をスクラップし大喜びしている。まなみの撮った写真も目を輝かせて見てくれる。
鳴沢一(平岡祐太)は病気で倒れ、おかゆを食べさせてもらった。
徳本寛人(高岡蒼甫)は母親を殴り勘当同然で家を出て来て、10年間母親に会っていなかったが、栄子に触れて母親の有り難さを思い出す。
栄子に「子供の会いたくない親なんかいない」と言われ、勤続10年のボーナスを持って母のもとに行ってみる。
結局、会う勇気がなくボーナスを置いてくるだけだったが、後に手紙が来る。
「何をしていたって、あなたは私の息子です。気軽に帰っていらっしゃい」
雅也と栄子の親子関係がまわりの人に影響を及ぼす。
まわりの人のリアクションとエピソードを描きながら、逆に雅也と栄子の親子を描いていく。
第6回・7回はそんな作劇だ。
主人公どうしがぶつかり合ったり、心を通わせることだけがドラマではない。
脇役のリアクションで描くことでもドラマが作れるといういい見本だ。
なお、雅也と栄子の親子関係をせりふで的確に表現しているのはまなみだ。
雅也がいつまでも自由である理由についてまなみは言う。
「中川くんが自由なのは、いつでもすべてを受けとめてくれる人がいるから」
またこんなことも。
「中川くんとお母さんを見ているとわかっちゃうんだよね。自分たちがどんなに寂しいか」
いずれもいいせりふだ。
ドラマには結論を言う役が必要である。状況のまとめ役が必要である。
第三者の立場にあって、状況を客観的に表現してくれる存在が。
その役割を持った人物が的確なせりふを言うと、ドラマは引き締まる。
テーマがはっきりしてくる。
第6回・7回の場合はまなみだった。
さて、この第6回・7回は雅也と栄子にとっては幸せな時間。
次回以降は栄子の癌が悪化して悲劇になりそうだ。
これも作劇に関することだが、今回のような幸せな話があるから後の悲しい出来事がより悲しくなる。
この作品の作者は巧みに視聴者の心を揺さぶってくる。
★追記
雅也がまなみを連れてきて紹介するシーンがよかった。
息子は照れくさいし、彼女は不安。
母親はドキドキ。そして彼女を連れてくるまでに成長した息子、幸せな息子が嬉しい。
これもどこにでもある光景。
実際、僕もこのドラマのように、彼女のお兄さんからだったが「こいつのどこがいいの?」と聞かれたことがあった。
雅也のリアクションと佐々木まなみ(香椎由宇)ら雅也の取り巻く人々のリアクションが描かれる。
雅也のリアクションは相変わらずだ。
「東京に来い」と格好いいことを言いながら後悔している。
仕事がキャンセルされたこともあり、みんなに食事を大盤振る舞いする栄子を怒る。
みんながいつも栄子のまわりにいるので面白くない。特にまなみとはふたりきりで過ごしたい。
雅也は栄子があまりにも近すぎる存在なので、その有り難さやその裏に隠された気持ちに気がついていない。
親の心、子知らず。
親の愛情や有り難さ、おもてには出さないつらさや寂しさを子供は理解しない。
それはどの家庭での親と子にも当てはまることで当たり前の日常だが、それを真正面から描いた作品はこの作品ぐらいだろう。
一方、雅也を取り巻く人々のリアクション。
雅也と栄子の関係が羨ましく見える。
まなみは旅館を営む母親に自分の写真の載った雑誌を送るが見てもらえない。旅館の経営が苦しいからだ。一方、栄子は雅也の作品をスクラップし大喜びしている。まなみの撮った写真も目を輝かせて見てくれる。
鳴沢一(平岡祐太)は病気で倒れ、おかゆを食べさせてもらった。
徳本寛人(高岡蒼甫)は母親を殴り勘当同然で家を出て来て、10年間母親に会っていなかったが、栄子に触れて母親の有り難さを思い出す。
栄子に「子供の会いたくない親なんかいない」と言われ、勤続10年のボーナスを持って母のもとに行ってみる。
結局、会う勇気がなくボーナスを置いてくるだけだったが、後に手紙が来る。
「何をしていたって、あなたは私の息子です。気軽に帰っていらっしゃい」
雅也と栄子の親子関係がまわりの人に影響を及ぼす。
まわりの人のリアクションとエピソードを描きながら、逆に雅也と栄子の親子を描いていく。
第6回・7回はそんな作劇だ。
主人公どうしがぶつかり合ったり、心を通わせることだけがドラマではない。
脇役のリアクションで描くことでもドラマが作れるといういい見本だ。
なお、雅也と栄子の親子関係をせりふで的確に表現しているのはまなみだ。
雅也がいつまでも自由である理由についてまなみは言う。
「中川くんが自由なのは、いつでもすべてを受けとめてくれる人がいるから」
またこんなことも。
「中川くんとお母さんを見ているとわかっちゃうんだよね。自分たちがどんなに寂しいか」
いずれもいいせりふだ。
ドラマには結論を言う役が必要である。状況のまとめ役が必要である。
第三者の立場にあって、状況を客観的に表現してくれる存在が。
その役割を持った人物が的確なせりふを言うと、ドラマは引き締まる。
テーマがはっきりしてくる。
第6回・7回の場合はまなみだった。
さて、この第6回・7回は雅也と栄子にとっては幸せな時間。
次回以降は栄子の癌が悪化して悲劇になりそうだ。
これも作劇に関することだが、今回のような幸せな話があるから後の悲しい出来事がより悲しくなる。
この作品の作者は巧みに視聴者の心を揺さぶってくる。
★追記
雅也がまなみを連れてきて紹介するシーンがよかった。
息子は照れくさいし、彼女は不安。
母親はドキドキ。そして彼女を連れてくるまでに成長した息子、幸せな息子が嬉しい。
これもどこにでもある光景。
実際、僕もこのドラマのように、彼女のお兄さんからだったが「こいつのどこがいいの?」と聞かれたことがあった。