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旅の淡彩スケッチ便り

水絵描きと申します。旅と絵を描くことが好きです。国内外を旅行した思い出とともに旅先で描いた絵を載せています。

早春の21世紀の森公園

2013年03月25日 | 旅行記

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暖かくなってスケッチのシーズン到来です。 今まで室内で写真を見ながら描くことが多かったのですが、これからは戸外で寒さを気にせずに描けます。

絵はいつも行く自宅近くの21世紀の森公園です。描いたのは3月初旬。木々はまだ冬装束ですが梅や菜の花などが咲いていました。ここでは今まで何枚描いたかわからないくらい描いています。


ハロン湾クルーズ

2013年03月19日 | 旅行記

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先週アクセス数が6万の大台に乗りました。

絵はハロン湾クルーズでの風景です。海の桂林とも呼ばれる世界遺産ハロン湾には大小3000もの島があります。漢字で「下竜湾」と書きますが、伝承によると昔、中国がヴェトナムに侵攻したとき、竜の親子が現れて敵を破り、そのとき吐き出した宝石が湾内の島々になったそうです。

楽しい思い出を胸に、ハノイ深夜0時10分発のヴェトナム航空で朝4時50分成田に到着、旅は終わりました。


水上生活者の村

2013年03月13日 | 旅行記

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旅行最終日にはホーチミン廟、ホアンキエム湖やタンロン城などハノイ市内の観光と途中立ち寄ったバッチャン焼きで有名な陶器の村の見学やハロン湾クルーズを楽しみました。

絵はそのクルーズで訪れた水上生活者の村です。ここでは発砲スチロールのフロートの上に筏を組みその上に家を建てて住んでいます。ほとんどは漁業で生計を立てているようですが、村内には学校などもあり子供たちは小船に乗って学校へ通っています。発電機を使って自家発電していますので電化製品も使えるとのことでしたが唯一たいへんなのは台風がやってきた時とのことでした。


ヴェトナム寺院?

2013年03月07日 | 旅行記

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旅行4日目、朝5時頃に目覚めました。朝食まではまだかなりあるので腹ごなしにホテルの近くのフエの街を散歩しました。少し行くと立派な建物が見えました。入口が開いています。思い切って中に入りました。そりがある屋根や赤い提灯、祭壇や画廊のようなコーナーもあります。何のための建物かわかりませんでしたが、何処か異次元空間に迷い込んだような気持ちになりました。                   

邸内を散歩中、何処かで買い物をしてきたのか両手にビニール袋を持った美人の女の子に出会いました。スタイル抜群。黒いセーターに赤の帽子とスラックスがとても似合っていました。


フエの王宮

2013年03月01日 | 旅行記

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古都フエではフォン川クルーズをした後、ティエンムー寺やドンパ市場を観光、夜は阮(グエン)王朝時代の衣装を着て古典音楽を聴きながら宮廷料理の夕食を楽しみました。

絵はその阮朝王宮です。屋根にはヴェトナム民族解放の最高指導者ホーチミンの額が掲げられていました。彼は国民から「ホーおじさん」と敬愛されていてあちこちで彼の肖像を見ました。


ヴェトナム料理

2013年02月23日 | 旅行記

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孫とフランス語の会話をするのが夢で、大学のオープンキャンパスでヴェトナム人の先生についてフランス語を習っていたことがありました。料理が得意で気さくなとてもいい先生でしたが、そのころ毎年のように先生の東京の自宅にお邪魔して御馳走になった思い出があります。先生が作る料理は絶品。クセがなく、マイルドな味付けのヴェトナム料理にすっかり嵌ってしまいました。

そんなわけで、今回の旅行は景色もさることながら料理を楽しみにしていたのですが、期待に違わず、何処に行っても美味しく食事することができました。特にフォー(米粉で作った麺料理)やミ-クアンや揚げワンタンは忘れられません。

絵は2日目に宿泊したホテル、ホイアントレイルズ リゾート&スパ の中庭にあるプールサイドです。


ホイアンの夜祭り

2013年02月17日 | 旅行記

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ホイアンではシクロに乗って世界遺産となっている旧市街を見学したり、トゥボン川クルーズをしました。着いた日の夜はタイミング良く夜祭り(ランタンフェスティバル)の日でした。毎月満月の夜に、町中の家々が電気を消し、布で作った提灯の灯りだけが町を照らします。川ではさまざまな色の蓮の形をした灯篭を流し幻想的な風景が広がります。

絵はホイアンの夕暮れです。船の舳先に付けた紅いヴェトナム国旗が印象的でした。


来遠橋

2013年02月05日 | 旅行記

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翌日はホーチミンシティから飛行機に乗り、ヴェトナム戦争時代に米軍の基地があったダナンを経由してホイアンに向かいました。

絵はホイアンのシンボルとなっている来遠橋(日本橋)です。ホイアンは日本との朱印船貿易で栄えた街で、大規模な日本人街がありましたが、この橋はかってあった中国人街と日本人街を結ぶ水路の上に架けられています。


サイゴン大教会

2013年01月30日 | 旅行記

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昨年冬、ヴェトナムを縦断する6日間の旅に出かけました。早いものであれから1年になります。                                         昨年も日本は結構寒かったのですが、南国ヴェトナムは小春日和の快適な日々でした。長く続いた戦争の暗い影が残っているのではと案じていましたが、杞憂に終わりました。商店の店先に並ぶ商品も豊富で壊れた建物などは目に留まりませんでした。唯一奇異に思ったのは街や村で見かけるのは若い人達ばかりで、我々のような老人の姿をほとんど見かけなかったことです。戦争の犠牲になった人達が大勢いたのでしょう。

旅はホーチミンシティ(旧サイゴン)から始まりました。絵は最初に訪れたサイゴン大教会です。


フェルメールの街 デルフト その2

2013年01月24日 | 旅行記

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デルフトの旧市街はどこを切り取っても絵になります。小さなフラットな街なので自転車さえあれば市内のどこへでも行くことが可能です。コメントにも書いたようにあと何日かここに滞在して絵を描くことができたなら、どんなにか至福の時間を過ごすことができたでしょう。

絵はフェルメールも見たであろうデルフトの東門付近の風景です。デルフトの見学を午前中で終え、後ろ髪を引かれる気持でスキポール空港発成田行きのKLM機で帰国の途につきました。


フェルメールの街 デルフト その1

2013年01月18日 | 旅行記

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旅行最終日の11日目はオランダを離れ空路日本へ帰る日です。乗る予定の午後の便には少し間があるので、朝食後アムステルダムから40キロ離れたデルフトを訪れました。フェルメールの生まれた街として有名です。

ここではデルフト焼きの工房を見学後、旧市街を歩きました。絵はフェルメールが描いた数少ない風景画のひとつ「小道」の場所の近くです。絵の奥に見える橋を渡り左に行くと、数分で彼が描いたそのフォルデルスグラヒト19-20番地に行くことができます。


運河の街 アムステルダム

2013年01月12日 | 旅行記

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今年も近くの公園の池に番いの白鳥がやってきて優雅な姿を見せています。子供の姿はありませんが数週間ここで羽根を休めてまた北の国に帰っていくのでしょう。このところ散歩に行ってそれを見るのが日課のようになっています。

9日目、10日目と二連泊したアムステルダムではゴッホ美術館や国立博物館やダイヤモンド工房などを見学しました。中でもアンネ・フランクがナチスの迫害から逃れるため1942年から二年間隠れていた家には衝撃を受けました。近くの西教会から流れてくるカリヨンの音が唯一慰めになったようですが、彼女が多感な少女時代をこんな狭い空間の中でどんな気持ちで過ごしていたのかと思うと胸がつまります。

絵は、今は博物館になっているアンネ・フランクの家から程遠くない運河の街アムステルダムの風景です。


ザーンセ・スカンスの風車

2013年01月06日 | 旅行記

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明けましておめでとうございます。旧年中は拙い絵のブログにお付き合い頂いてありがとうがとうございます。今年もよろしくお願いします。

ミニSLをホールンで降りアムステルダムへ行く途中、ザーンセ・スカンスに立ち寄りました。ここはキンデルダイクと並ぶ二大風車の観光地です。

風車小屋の近くにオランダ名物の木靴とチーズを売る店があり、日本語を話す売り子さんがいたので聞いてみると、風車守と結婚してこちらに住んでいる日本女性で、観光シーズンだけこちらの売店でアルバイトをしているとのことでした。

この後旅行したトルコのカッパドキアでも、熱気球会社を経営するトルコ人男性と結婚して働いている日本女性を見ました。(毎朝3時ころから熱気球に乗る客の接待をする過酷な仕事です)観光に来て現地の人と結ばれるケースが増えているようです。


メデンブリック港

2012年12月31日 | 旅行記

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                      (画面上で左クリックすると絵が大きくなります)

毎年、クリスマス休暇を夫君の両親が住むフランスで過ごす娘家族が今年は日本で正月を迎えたいと言ってシンガポールからやってきました。おかげで妻と二人だけの静かな生活から息子家族を含めると9人もの大家族になりました。てんやわんやしていますがにぎやかな正月になりそうです。

絵はレストラン近くのメデンブリックの港です。