桃井章の待ち待ち日記

店に訪れる珍客、賓客、酔客…の人物描写を
桃井章の身辺雑記と共にアップします。

2013・7・15

2013年07月16日 | Weblog
昔見た芝居はストーリーではなく印象で記憶している。ストーリーはそれ以後書かれた演劇評や本で見ていない人でも知ることはできるが、印象は見たことがある人しか抱くことは出来ない。だから今日見た「ストリッパー物語」(作・つかこうへい)について、俺が抱いた印象が大昔に見た時と台本は同じでも全く違うと思っても当然だ。その違いを作っているのは時代の匂いってやつだ。若しくは俺自身の年齢。若しくは当時演劇界に旋風を起こしていたつかこうへいに対する複雑な感情。とにかく俺はこの「ストリッパー物語」について以前見たときの印象が鮮烈に残っていたことだけは認めなくてはならない。だから、損だ。何十年も経って新たにその戯曲を再構築するなんて実に嫌な役回りだ。だからなのか、今回の若手演出家は戯曲の一行一句も変えずに(と言われている)様々な工夫を施して舞台を作り上げる。でも、問題は工夫以前だ。台詞が聞こえなくちゃどうしようもない。芝居が見えなくちゃどうしようもない。そう、俳優の台詞が客席に背をむけて喋ることも含めてよく聞こえないのだ。ストリップ劇場の出臍での芝居になると、一番後ろの席にいた俺には俳優が何をやっているのかよく見えないのだ。照明技師役の芝居は全くみえない。こう云うことって枝葉末節、本質的な問題でないことは分かっているけど、金を出して見に来た客に対して不親切極まりないことはたしかだ。誰が悪いと断罪はできないけど、かなり思い上がっている芝居と云うしかない。いやいや、それ以前にそれ以前に、どうして2013年の現在、つかこうへいやら寺山修司やら70年代80年代に活躍した作家の作品が跋扈するのだろう?勿論新たに同じ台本で芝居を作り上げる意欲は凄いと思いつつ、そんな暇と予算があるなら下手でもいいから新作に取り組んだら思ってしまうのは、俺の僻みか?★勝手ながら諸般の事情で突然臨時休業する時がありますので、このブログを見たり、電話で確認してからご来店ください。