桃井章の待ち待ち日記

店に訪れる珍客、賓客、酔客…の人物描写を
桃井章の身辺雑記と共にアップします。

2006・4・2

2006年04月03日 | Weblog
Nちゃんは母親の体に隠れるように近づいてきた。鎌倉駅、午後一時。 俺はNちゃんの顔を確認してから、これまた初対面の母親のKさんにも挨拶する。「ご挨拶が遅れまして」息子の父親としてだ。息子が結婚して7年、Nちゃんが生まれてから5年以上が経とうとしているのに、今日が初対面とは「遅れまして」なんてもんじゃない。罪は全て俺にある。二度目の家庭を作ってから一度目の結婚で生まれた息子とはどこか疎遠になっていたが、店を始めて一年が経った頃、息子から突然結婚したと云う葉書が来た。嬉しかった。嬉しくてちょうど店に来ていたS女子大のAちゃんたちに自慢げに葉書を見せた。それが拙かった。「桃井さん、お祝い大丈夫?」Aちゃんの言葉に我に帰る。店はまだ赤字続き、借金返済も滞りがちの俺が何とか工面出来るのは十万円が限界だった。俺がその金額を云った途端、Aちゃんたちが笑いだした。「それじゃお友達のお祝いじゃん」!?!?父親だったら最低百万、常識の線としては三百万ねとAちゃんたちに言われ、背筋が凍りついた。そうな訳?それが常識の線な訳?Aちゃんたちは口々に自分の姉や友達の例をあげて、それが世間の常識だと俺をせせら笑う。反論したかったけど、結婚が身近な問題となっているAちゃんたちの方が俺よりそのことに関しては常識があると観念した。後になって考えてみれば、S女子大なんてお金持ちの学校に通っているAちゃんたちの常識は、世間一般の常識とは違うと気づくのだけど、その時の俺は見栄も手伝って、いつか百万円が工面出来る日がきたらお祝いしようと息子に連絡を取るのを躊躇してしまったのだ。でも、いつまで経っても百万円が工面出来る日はこなかった。その内、娘が生まれたと云う知らせが来た。孫か……いつもチャラチャラ女の子のお尻を追ってばかりの俺にも不思議な感慨が渦巻いた。会いたかった。何回か手紙を書こうとした。でも、百万円問題がひっかかって手紙は途中でいつも放棄することになった。それから数年がたった。俺の父親が死んだことを新聞で知った息子が香典を送って来た。俺は助かったと思った。お礼を兼ねて何年かぶりに息子に手紙を書いた。近い内に君とも君の家族にも会いたいと。それを機会に息子が店を訪ねて来たりするようになった。そして今日だ。家族で父の墓参りに行きたいので一緒にいかないかと誘われた俺は、全てのスケジュールをキャンセルして誘いに応じた。Nちゃんは人見知りが激しく、俺が声をかけても何も答えてくれない。写真をとろうとすると顔を隠す。それでも俺は満足だった。一緒に中華料理の円卓を囲んでNちゃんの顔ばかり見ていた。百万円問題はまだ解決してない。いつか違う形で解決しよう。生前は対立ばかりしていたのに、こんな機会を与えてくれることになった父の墓に俺は生まれて初めて感謝の祈りを捧げた。