笑顔の江川

薬害エイズを考える山の手の会のご案内
薬害被害者、がん患者の支援活動
尊敬する勝海舟や田中正造のコメント

がんにエイズに仕事の合間をぬって会合に参加しました

2018-10-19 21:58:49 | 日記
今日は午後に茗荷谷でがん哲学カフェがあり少人数ながらがん患者さんと分かち合いの時を持ちました。がんカフェは居場所創りざっくばらんに話し合える場を提供できるかです。午後のほんのひと時落ち着きました。茗荷谷から京橋そして神田と移動しながら夕方には神田で東京都のエイズボランティア講習会で交流しているHIVエイズのケア団体のスタッフと情報交換しました。HIV感染から治療へと結びつけるにはどうしたらよいかーHIV陽性者の不安にどう対応したらよいか考えさせられました。
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スケールの大きい考えー勝海舟

2018-10-18 21:11:49 | 日記
勝海舟は将軍の前で「海軍の人材育成に500年かかる」と言って幕閣に怒られました。どんな場所でも周りを気にせず物言う勝海舟。
勝海舟から見れば、たった500年ですが、さて、今から500年前はと言えば室町時代ーもちろん東京も江戸もありませんでした。北条家が幕府を開いていた時期で北条早雲が活躍した時期でもありませね。こう考えてみると、明治維新の150年前どころか1603年、徳川家康が征夷大将軍になるよりもっと前です。今も勝海舟にとってみれば人材育成の通過点でしかないのです。スケールの大きい勝海舟の発想を想い起しながら、ゆっくりじっくりと歩んでいきましょう。
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高橋泥舟のようにー至誠一貫

2018-10-17 20:19:35 | 日記
文京区の茗荷谷近くに高橋泥舟・山岡鉄舟旧居跡という表示板がたっています。山岡鉄舟の名前は江戸城無血開城の駿河での西郷隆盛との談判で有名ですが、高橋泥舟という名前はなかなか聞きなれない方も多いでしょう。実は高橋泥舟こそ真の江戸城無血開城の立役者なのです。遊撃隊頭として徳川慶喜の護衛を務め恭順謹慎をすすめていた人物です。己を捨てて奔走した至誠一貫の幕臣こそ高橋泥舟なのです。目立たないところで己を捨て誠を尽くした高橋泥舟のように現代を生きたいと想う今日この頃です。
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薬害エイズの出会いは私に多くのことを教えてくれました

2018-10-16 20:17:45 | 日記
私が薬害エイズに出会ったのは1995年の年明け頃、法律関係の仕事をしていて新しくできる法律に対象となる事柄が薬害エイズで問題の血液製剤に関係があり文献で調べてもわからなかったので友人に聞いたところ薬害エイズ被害者が話をする学習会に誘われ「これだ」と分かった時でした。それ以来、被害者のお誘いもあり薬害被害者の支援活動を続け今年で23年になりました。その間、様々な薬害被害者や薬害訴訟の弁護士、医療従事者、国会議員、マスコミ関係者等、多くの方々と出会い、様々な薬害事件について学ばせていただきました。学びは出会いからの23年に限りません。歴史はさかのぼり薬害エイズより前の薬害であるサリドマイドやスモン、またハンセン問題や薬害エイズの源流である第二次世界大戦のときの731部隊に至るまで数多くの事柄を文献だけでなく人を通して当事者や歴史の証言者から貴重な体験をさせていただきました。その体験から人間は過ちを繰り返すということです。薬害エイズも裁判和解からすでに22年が経ち風化されつつありますが、その源流である731部隊は軍医である医療者の人体実験でその行為が薬害エイズにつながっていますが、今や歴史から忘れ去られようとしています。この構造は今現在も生き続けていますが、人は気づくことさえありません。22年前の頃はHIVエイズと言えば死ぬ病気、発症すれば助からない病気から裁判和解から被害者の訴えがありHIVエイズの治療方法は格段に進歩して生き続けられる病気になり、がん治療の発展と共に医療は人類の救いとして注目されていますが、医療における構造的な問題は変わることなく、医療技術の画期的な進歩のみが注目され、薬害などを発生させた行動的な問題は気づくことさえありません。ゆえに当事者の生の声は問題に気づく第一歩で人間復活の道しるべなのです。
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人生で一番すばらしい恵みの時ー勝海舟

2018-10-15 20:44:28 | 日記
明治4年に静岡の学問所に英語教師として赴任したエドワード・クラークは、アメリカに帰国後「勝安房・日本のビスマルク」という勝海舟の伝記を書きます。それは勝海舟とキリスト教の関係について語られています。勝海舟が祈りの時間に同意して涙を浮かべながら祈りの後に牧師に握手をしました。その光景をクラークは、感情を見せない日本人の中でも刺客にも動じなかった勝海舟がキリスト教の説教で心を打ち砕かれたと述べています。真理を知ることのすばらしい恵みを勝海舟は体験したのだと思います。どんな状況においても静かに恵みの時を待ち望む姿勢を持っていたのでしょう。勝海舟の姿勢に学び日々の活動に生かしていきたいと思います。
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