今日は午前中に薬害オンブズパースン・タイアップの総会があり午後はがん哲学外来のお茶の水メディカルカフェがあったのですが、叔母が危篤との知らせを受け、タイアップの総会だけ出て終了後、横浜の病院へ向かいました。叔母はがんで私が病院に到着する頃には亡くなっておりました。病院から自宅まで付き添いました。がんは2人に1人がなる今、私も今年は友人を亡くし命を考えさせられる日々です。また死生観を考えることも一人ひとり大切なことでしょう。
「『殺してはならない』というおきてが人間の生命の価値を保障するための明確な制限を設けるように、今日においては『排他性と格差のある経済を拒否せよ』ともいわなければなりません。この経済は人を殺します。路上生活に追い込まれた老人が凍死してもニュースにはならず、株式市場で2ポイントの下落があれば大きく報道されることなど、あってはならないのです。これが排他性なのです。飢えている人々がいるにもかかわらず食料が捨てられている現状を、わたしたちは許すことはできません。これが格差なのです。現代ではすべてのことが、強者が弱者を食い尽くすような競争社会と適者生存の原理のもとにあります」(教皇フランシスコ「使徒的勧告 福音の喜び」より)
数字ばかりを追い求め数字にとらわれている現代人は身近にいる一人の困窮者を見ることが出来ません。自分がそこに行かないように目をそらして大きな数字を求め自分だけの裕福な生活を求めているようです。小さな苦しんでいる一人ひとりに目を向けて分かち合うことによって心の幸福が生まれてくるのではないでしょうか。
数字ばかりを追い求め数字にとらわれている現代人は身近にいる一人の困窮者を見ることが出来ません。自分がそこに行かないように目をそらして大きな数字を求め自分だけの裕福な生活を求めているようです。小さな苦しんでいる一人ひとりに目を向けて分かち合うことによって心の幸福が生まれてくるのではないでしょうか。
「自らが貧しい者となり、貧しい人々や除け者にされた人々につねに寄り添ったキリストへの信仰から、社会においてほとんど見捨てられている人々の全人的発展への気掛かりが生まれます」(教皇フランシスコ「使徒的勧告 福音の喜び」より)
貧富の差が拡大して分断されている現代社会の中で自分自身が足をすくわれメクラになっている自分があります。私たちの身近なところで自分にとって得にならない人を排除して分断社会を推し進めようとしています。自分自身を貧しさの中に置き、苦しんでいる人々に目を向けて寄り添うことから始めなければと反省の日々です。
貧富の差が拡大して分断されている現代社会の中で自分自身が足をすくわれメクラになっている自分があります。私たちの身近なところで自分にとって得にならない人を排除して分断社会を推し進めようとしています。自分自身を貧しさの中に置き、苦しんでいる人々に目を向けて寄り添うことから始めなければと反省の日々です。
今日はHPVワクチン薬害東京訴訟の口頭弁論期日で午後からは裁判所正門前のリレートーク、裁判傍聴、報告集会がありました。また本日は午前中に原告団・弁護団と全国子宮頸がん被害者連絡会、全国薬害被害者連絡協議会が日本医師会に申し入れを行い、支援者は日本医師会前で送り出しました。被害者と共に一日の行動でした。まだまだ被害の実態が社会に知られていません。これからも被害者の生の声を社会に伝えていく支援活動を続けていきます。
今日は今年最後の渋沢栄一記念王子がん哲学外来メディカルカフェでした。今日も初めて参加するがん患者さんがいて薬の副作用の不安を話していました。一人でいて誰にも言えない治療の不安を参加者と共に分かち合いました。参加者には同じ境遇の患者さんからの対話や薬剤師、看護師からのアドバイスもありました。悩める患者さんの受け皿としてのメディカルカフェ。来年も続けていきます。