笑顔の江川

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尊敬する勝海舟や田中正造のコメント

勝海舟に学ぶー人間関係の構築

2011-03-31 21:05:07 | 日記
勝海舟はその生涯で様々な人間関係を築いています。
若い頃に剣術修行や禅修行で鍛えたこともあるのでしょうが、幕末の動乱期にも様々な人間関係を築き明治以降も交流しています。私が注目しているのは最後の将軍徳川慶喜です。江戸時代のこの二人の位は格段の差があり、まず会うことすら難しかったのですが、幕末の動乱時期ということもあり、二人とも奇妙に時代が呼び寄せました。しかも勝海舟は徳川慶喜に何度も騙され利用されます。幕府の長州征伐の敗戦処理はその最たるもので、徳川慶喜は長州に顔が通じている勝海舟を利用して敗戦処理の交渉にあたらせ、和解が成立するとその約束を反故にします。こんなことがあっても勝海舟は、その主従関係がなくなった明治時代に入っても幕臣としてその主人徳川慶喜のために明治天皇との和解に尽力して徳川慶喜の明治天皇謁見を実現させます。実に徳川幕府が崩壊して31年目のことです。徳川慶喜は勝海舟に大変感謝して自分の息子を勝海舟の孫娘と養子縁組させます。江戸時代であれば考えられないことです。これが勝海舟の最後の行動で翌年の明治32年に77年の生涯を閉じます。
勝海舟の時代を超えた人間関係の構築にはいろいろと考えさせられます。
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薬害イレッサの院内集会に参加して

2011-03-30 20:21:18 | 日記
3月23日の薬害イレッサ訴訟の東京地方裁判所の判決を受けた、本日、参議院議員会館の会議室において院内集会が行われました。東京と大阪の原告をはじめ各党の衆参国会議員や弁護団、支援者が参加して、東京判決の意義や今後の予定について報告がありました。東京地方裁判所の判決は被告企業のみならず国の責任を認めた判決ですが、まだ控訴するかどうか決めていません。原告は話し合いによる早期解決を求めて国に働きかけていく予定です。また被告企業にも申し入れを行う予定です。

○アストラゼネカ大阪本社前アピール行動&早期全面解決の申入○
日時 4月4日(月)12時00分~13時00分ころ
場所 アストラゼネカ大阪本社前(新梅田シティ東側)
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明日、参議院議員会館で薬害イレッサ問題の集会が開かれます

2011-03-29 12:53:55 | 日記
薬害イレッサ訴訟の院内集会が明日開かれます・

◇◇◇◇◇◇◇3月30日の予定◇◇◇◇◇◇◇
○薬害イレッサ東京判決 報告院内集会○
日時 3月30日(水)12時30分~13時15分
場所 参議院議員会館地下1階 109会議室
どなたでも参加可能です。

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薬害エイズー被害は重たくなっています

2011-03-28 21:14:44 | 日記
薬害エイズ訴訟の和解から15年、その後被害者は国と定期協議を重ね、エイズ拠点病院や治療費の開発などによりエイズは死ぬ病気ではなく治療を続ければ生き続けられるようになりました。しかし、感染原因の血液製剤はHIVだけでなくHCVにも汚染され、今、薬害エイズの被害者はHCVによる肝炎が発症して亡くなる被害者が出ています。HIVとHCVの重複感染しているため、その治療も難しさが増しています。薬害エイズは15年前に和解して世間では解決したと思われていますが、薬害エイズは様々な未解決の問題を抱えています。エイズや肝炎はウイルスに感染してから発症するまで自覚症状が無く時間がかかりますが、発症すると治療は難しくなります。またエイズや肝炎に対する差別・偏見もあり、検査や治療の受信を難しくしています。差別・偏見はエイズや肝炎に対する社会の無理解が起こしており、就職や結婚といった一般の社会生活まで及んでいます。薬害エイズ、薬害肝炎の問題は、裁判の和解で解決したわけではなく、真の解決はエイズや肝炎の社会の理解からはじまるのです。
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災害からの復興ー二宮尊徳の起業魂

2011-03-27 07:41:08 | 日記
破綻寸前の藩を再建した上杉鷹山の時代から少し後、水害で荒廃した小田原藩桜町領を立て直した二宮尊徳がいます。この頃は天明の大飢饉があり各地で水害など災害も多く大変な時代だったようです。この国難に復興のために働いた多くの人物がいました。農村復興運動で知られる二宮尊徳は、寛政3年の相模西部を襲った大暴風雨の中に育っています。小田原藩は大打撃をを受けます。貧窮の底から一家の復興を成し遂げ小田原藩家老の服部家の財政再建を成功させた二宮尊徳は、小田原藩主から藩政改革の起用も出ます。起用は農民封建制度の中で農民出身である二宮尊徳の起用に武士の抵抗が強く藩主はあきらめますが、藩主は小田原藩の分家の下野国桜町領の再建を依頼します。この頃は各地が荒廃していて大変な時代ですが、二宮尊徳は、封建制度の士農の乗り越え復興させていきます。この復興のことは各地でも知られ伊豆の名代官で知られる江川英龍(太郎左衛門・坦庵)も二宮尊徳を訪ねてきました。
歴史を振り返るとどんな時代でも災害の中から災害を乗り越える人物があらわれ必ず復興しています。今、東北関東大震災のこと時に復興に抜けての人物は動いていると感じています。
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