古都の風情はだれもが味わいたい風景でしょうが、幕末の京、特に文久3年からの徳川慶喜(当時は一橋慶喜)の京での滞在は重ぐるしいものでしたでしょう。これからの5年間は権謀術数ー誰が敵か味方か分からないほど京の町は政治に翻弄された時でした。こんなとき勝海舟はどうしていたでしょうか。文久3年頃は将軍家茂から直々に神戸海軍操練所設立の許可をもらい天保山沖での軍艦操練は晴れ晴れしたものでしたでしょう。しかし幕府の長州征伐が失敗すると敗戦処理を任された勝海舟は敵味方から足を引っ張られ、おまけに海軍操練所の隊員が尊王攘夷運動に加わったかどで操練所が取り潰しになるという暴風雨の真ん中に入ってしまったような状態でした。同じ場所でも心の持ちようによって景色は激変します。しかし勝海舟という人は面白いもので左遷されるとさっさと江戸に帰って好きな読書を漁り始めます。これが勝海舟です。この後、いよいよ江戸城無血開城の西郷隆盛との談判に進んでいくことになります。
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