笑顔の江川

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技術や制度が進歩しても人の過ちは変わらないー歴史人間学からの学び

2022-04-30 19:37:23 | 日記
幕末・明治・大正・昭和と歴史者を読み継いできて、確かに技術や制度は進歩してきたことが分かります。しかし人は変わってきたのか、というと疑問が残ります。いやむしろ人は技術や制度に頼りすぎて自らを見失っているように感じます。それが歴史や哲学を軽んじていることに表れています。自ら考えず技術や制度に頼っているー歴史上の人物が段々といなくなっているように感じるときもあります。自分も失っているのかー歴史人間学の必要性を感じる今日この頃です。
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朝から阿部正弘尽くしー歴史人間学の探求

2022-04-29 19:31:40 | 日記
今日は朝から幕末の老中首座阿部正弘の評伝を読み込んでいました。譜代大名の阿部家は歴代徳川将軍家の重臣を務めてきました。しかし阿部正弘の老中の道のりは平たんではありませんでした。前政権の老中水野忠邦の天保の改革の失政に水野忠邦幹部の抵抗があり困難を極めました。そこを若いながらも誠実で先見の明を持った阿部正弘は人脈を通じながら切り開いていきます。基本は民のための仁政ーその生涯を追っています。人物の一生涯を見ながらどう歩んできたのかー現代の私たちは阿部正弘から何を学べばよいのかー歴史人間学の探求は続きます。
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看取ることは出来なかったが魂は永遠にー天璋院篤姫

2022-04-26 19:29:09 | 日記
徳川13代将軍家定公の正室・篤姫は、夫家定の死を知らされず看取ることは出来ませんでした。亡くなって1か月近くなってから老中から知らされました。夫婦仲は良かったようで知らされた時は深い悲しみの中にあったようです。時に篤姫24歳ー夫婦としては2年足らずでした。その後、天璋院と名乗り徳川幕府が崩壊して明治の代に入っても徳川家を守り続け明治16年に49歳でこの世を去りました。夫・家定の魂は天璋院篤姫の中に生き続け徳川家は存続しました。
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死・看取りについて分かち合うー勝海舟記念浅草がん哲カフェ

2022-04-25 20:38:50 | 日記
今日は夕方から勝海舟記念下町浅草がん哲学外来メディカルカフェにオンライン参加しました。今日のテーマは死・看取りについて参加者とざっくばらんに分かち合いました。医師・看護師・家族との関係で看取りについてどう向き合うかいろいろ考えさせられました。人それぞれに考え方もあり本人・家族にとってどう考えるかーそれは様々です。歴史の中でも様々な看取りがあったのだろうとー看取れない場合もありますが、調べてみようと思いいたりました。考えさせられる心地よいカフェでした。
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幕末になぜ多くの人物が輩出されたのだろうかー幕末の名君を追う

2022-04-24 19:17:40 | 日記
次回の寺子屋江川塾は5月28日(土)午後5時からテーマは「老中首座阿部正弘と幕末四賢候」です。
勝海舟や西郷隆盛など幕末には多くの人物が輩出されました。時代の変革期には多くの人物が輩出されますが、それは自然発生的に生まれたのではなく、そこには人物を生み出し育てる名君がいたからだと思います。
埋没していた才能のある人物を見出し取り上げて鍛え上げ重要な仕事をさせることによって優秀な人物が生まれるのです。
採用した側にも何をするかわからないというリスクが伴います。それは採用した側の責任も問われます。そのことを恐れず、また己の保身のためではなく国のため世の中のため民のために己の責任を負って採用することが人物を生み出すのだと思います。
そのことを歴史書を紐解きながら考えていきたいと思います。
調べる対象は、幕末の老中首座で福山藩主の阿部正弘、親藩大名で福井藩主の松平春嶽、外様大名で薩摩藩主の島津斉彬、土佐藩主の山内容堂、宇和島藩主の伊達宗城です。
歴史を紐解きながら人間の生き方を考える歴史人間学を考えます。
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