中江兆民は明治8年頃に勝海舟と12回会っています。中江兆民はフランス留学から帰ってきて一時外国語学校の校長をするのですが政府のやり方と合わず退職して元老院の書記官となります。勝海舟も明治政府の参議兼海軍卿を辞めると元老院議官になっています。職場が同じと言えば同じですが、年齢差や職位は全然違います。中江兆民はどうも明治政府のやり方に疑問を持ち、勝海舟に意見具申したり人の紹介を頼んだりしたようです。二人とも西洋列強の知識や技術に関心を持ち学びながらも思想的なところでは日本やアジアの考え方を大切にして守らなければならないと考えていたようです。ただたんに紹介であったのではなく話し合ううちに意気投合したように思われます。こういった出会いー人生は邂逅ーは大切ですね。いつの時代も人との出会いが大切です。
次回の寺子屋江川塾の取り上げる人物は中江兆民です。
私は歴史上の関心ある人物の生没年をエクセル(表)におとしてよく同年代の人物にどんな人物がいたかを調べます。
中江兆民は1847年生まれ同年代には森有礼がおります。一歳上の年代には徳川家茂と皇女和宮がおります。一歳下には東郷平八郎です。
幕末の激動の時期を模索しながら時代に翻弄された人物が多い年代ですね。尊皇攘夷派志士と呼ばれた年代はもう少し上の年代でしょうか。しかし尊皇攘夷思想には何らかの影響を受けています。そして幕末から明治維新ー二十歳の年代で戊辰戦争を経験します。
しかし中江兆民は、そういった世の中の政治的な関心よりもフランスの思想に関心があったようです。中江兆民は土佐藩の下級武士の家に生まれ幕末には長崎遊学で坂本龍馬にも会い、江戸遊学で当然、幕末の尊王攘夷思想や運動について近いところには環境的にはあったでしょうが、関心はフランスの思想にあったようです。その想いは明治に入って岩倉使節団の海外留学生としてフランス留学でかなえられます。そして明治の自由民権運動の思想家として活躍するわけです。
同じ年代でも生き方は様々あると中江兆民を調べながら感じています。
私は歴史上の関心ある人物の生没年をエクセル(表)におとしてよく同年代の人物にどんな人物がいたかを調べます。
中江兆民は1847年生まれ同年代には森有礼がおります。一歳上の年代には徳川家茂と皇女和宮がおります。一歳下には東郷平八郎です。
幕末の激動の時期を模索しながら時代に翻弄された人物が多い年代ですね。尊皇攘夷派志士と呼ばれた年代はもう少し上の年代でしょうか。しかし尊皇攘夷思想には何らかの影響を受けています。そして幕末から明治維新ー二十歳の年代で戊辰戦争を経験します。
しかし中江兆民は、そういった世の中の政治的な関心よりもフランスの思想に関心があったようです。中江兆民は土佐藩の下級武士の家に生まれ幕末には長崎遊学で坂本龍馬にも会い、江戸遊学で当然、幕末の尊王攘夷思想や運動について近いところには環境的にはあったでしょうが、関心はフランスの思想にあったようです。その想いは明治に入って岩倉使節団の海外留学生としてフランス留学でかなえられます。そして明治の自由民権運動の思想家として活躍するわけです。
同じ年代でも生き方は様々あると中江兆民を調べながら感じています。
今日は午後からオンラインで接種勧奨再開後の天草のHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)被害者の生の声を聞く学習会に参加しました。
この学習会は被害者本人が自ら社会に知ってほしいと開いた学習会です。
もうワクチン問題は解決されたと思い接種勧奨再開後に接種したところ目に不自由を訴え体調も思わしくない中、医療機関にかかったところ気のせいと相手にされなかったとのこと。
会場オンラインを含め100名以上の参加者があったとのこと。被害者本人がこの被害を知ってほしいという姿勢の結果だと思います。
苦しんでいる被害者が自ら訴えなければならない現状ー支援に関わるものとして、まだまだ支援活動の足りなさを痛感する学習会でした。
この学習会は被害者本人が自ら社会に知ってほしいと開いた学習会です。
もうワクチン問題は解決されたと思い接種勧奨再開後に接種したところ目に不自由を訴え体調も思わしくない中、医療機関にかかったところ気のせいと相手にされなかったとのこと。
会場オンラインを含め100名以上の参加者があったとのこと。被害者本人がこの被害を知ってほしいという姿勢の結果だと思います。
苦しんでいる被害者が自ら訴えなければならない現状ー支援に関わるものとして、まだまだ支援活動の足りなさを痛感する学習会でした。
今日は神奈川県磯子で行われたがん哲学外来ケロットカフェ4周年に会場参加してきました。
がん哲学外来創始者の樋野先生や東海大学の安藤先生に緩和ケア医の林先生、大橋先生のシンポジウムがありました。
神奈川のがんカフェの関係者や各地からの方も参加されていて久しぶりの再会に懐かしい対話が出来ました。
対話の交流が出来て良い一日となりました。
がん哲学外来創始者の樋野先生や東海大学の安藤先生に緩和ケア医の林先生、大橋先生のシンポジウムがありました。
神奈川のがんカフェの関係者や各地からの方も参加されていて久しぶりの再会に懐かしい対話が出来ました。
対話の交流が出来て良い一日となりました。
720頁ほどの「頭山満」の文庫本を読み終わりました。以前も新書本の「頭山満」を読みましたが、あらためて頭山満を理解するには一生涯その生き様を見なければ理解できないと痛感しました。世間では右翼の親玉だとか強烈なイメージが付きまとう頭山満ですが、物静かで人の意見をよく聞きよく人の世話をして一本筋の通った人物です。本にも書いてありましたけど「舟が右に傾く際に皆がその方に寄っていくと、舟が覆るおそれがあるから、自分は反対側にがんばってみようと思う」と、この姿勢・生き方が頭山満そのものであると感じました。頭山満は「幕末三舟伝」を自ら著しており、その生き方に感銘を受けています。勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟の生き方や西郷隆盛を敬慕し、西郷隆盛が影響を受けた大塩平八郎の「洗心洞箚記」も熟読しています。朝鮮・中国・インドなどの独立運動を手助けし大アジア主義を掲げたのも、明治新政府が西欧列強に偏り本来の日本のあるべき姿を忘れそうなときに警鐘を鳴らし続けたことも勝海舟のアジアへの想いを引継いでいるようにも思えます。
やはり人物は一生涯(生き様)を見なければ理解できません(歴史人間学)。
やはり人物は一生涯(生き様)を見なければ理解できません(歴史人間学)。