笑顔の江川

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読めば読むほど分からなくなる徳川慶喜

2023-06-30 19:47:13 | 日記
7月の寺子屋江川塾の準備のため徳川慶喜の本を読み進めています。
新書本や文庫本も含めて3冊ほど並行して読んでいます。そのほかに特集本や雑誌も含めて読み漁っていますが、徳川慶喜ほど読めば読むほど分からなくなる人物はいません。
徳川慶喜の本は、その著者によって書き方が変わってきます。著者も、その注目度から様々な分野の人々が書いています。
徳川慶喜自身も最後の将軍といっても30歳の時、明治、大正と生きますから77年の人生の中でそのほとんどは趣味の世界に生きていました。
幕末の時代には、豚一様とか二心殿とかいろいろあだ名が付けられ、その変質ぶりはよく聞かれました。
謎だらけの徳川慶喜ー人間理解に苦しむと同時に人間理解の鍛錬の場にもなります。
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HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)副反応被害者のために

2023-06-28 14:27:21 | 日記
今日はオンラインでHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの世話人会を開きました。
まだまだHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)副反応被害について社会ではあまり知らせれいません。
街頭宣伝や学習会、ドキュメンタリー映画の上映等を地域で被害者と共に活動していますが、なかなか伝えきれていません。
支援例会と共に世話人会も開いて、より具体的な活動を提案して実行して進めています。
やはり一番は被害者の生の声です。支援団体などへの呼びかけでも生の声を大きいです。
これからも日々苦しんでいる被害者のために活動を続けていきます。
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歳を重ねるごとに徳川家康の言葉の重さを感じる

2023-06-27 15:52:10 | 日記
「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し。いそぐべからず。不自由を常と思へば、不足なく、心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基。いかりは敵と思へ。勝事ばかり知りて、まくる事を知らざれば、害、其身に至る。おのれを責てひとをせむるな、及ばざるは過ぎたるよりまされり。」
(東照宮御遺訓)
私の人生も終盤に差し掛かってきましたが、徳川家康の言葉を思い起こし、一日一日を歩んでいこうと思います。
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王子がん哲学外来9周年に向けて

2023-06-25 18:25:52 | 日記
今日は午後から王子がん哲学外来カフェを北区王子の北とぴあ4階北区NPOボランティアぷらざサロンコーナーで行いました。
王子がん哲学外来も今年で9年目、9月に行う予定の9周年事業の企画をスタッフと話し合いました。
王子がん哲学外来はスタッフも充実していてがんサバイバーをはじめ看護師、薬剤師と普段のメディカルカフェでもスタッフから様々なアドバイスがもらえます。
9月の周年事業でもスタッフの薬剤師から訪問薬剤管理指導などのお話をしてもらう予定です。
参加している患者さんにとって何が求められているか考えながら活動しています。
苦しんでいる悩んでいる患者さんのために活動を続けていきます。
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やはり幕末の中心人物は徳川慶喜ー人物から歴史を見る

2023-06-24 17:06:04 | 日記
来月の寺子屋江川塾に向けて徳川慶喜の本を読み始めました。
徳川慶喜という人物はその生涯を見ると異例ずくめと言わざるを得ないでしょう。
77年間の生涯で最後の15代将軍になったのが30歳、31歳の時に大政奉還して翌年には鳥羽伏見で敗れ謹慎生活に入りますから、一番働き盛りの時期に人生の半分以上も隠居生活をおくっています。
もともと徳川御三家でも水戸徳川家の生まれで、水戸家は副将軍格で将軍になれる家系ではありませんでした。それが12代将軍の家慶の目に留まり将軍職を継げる徳川御三卿の一橋家に養子に入り一橋慶喜となります。
14代将軍の家茂とも将軍継嗣問題で争いますが、当の本人はその気がなく周りに押し立てられ、敗れると謹慎処分を受けます。
人物的には毀誉褒貶ー二様殿とかいろいろ言われますが才能は優れていたようで幕府衰退の中での幕政改革は革新的なものがありました。特に外交面では西欧各国公使との対応ぶりは特技でした。まあ現代の政治家にも似たような人はいるようですが・・・
いずれにしても将軍になる前の将軍後見職や京での禁裏御守衛総督時代の4年間は水戸徳川家の血筋とも言える尊皇の志を大に、正に幕末日本の中心人物でありました。たぶん徳川慶喜でなければ大政奉還は成しえなかったでしょう。
明治以降の徳川慶喜は隠居生活を続けますが、趣味の世界に徹し日本人としては初めて外車に乗った人でもありました。
それぞれの時代にそれぞれ多様な人物がおります。やはり歴史は人が創るーだから繰り返されるのでしょう。
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