笑顔の江川

薬害エイズを考える山の手の会のご案内
薬害被害者、がん患者の支援活動
尊敬する勝海舟や田中正造のコメント

10月も薬害問題について考える機会があります

2011-09-30 21:00:43 | 日記
日々の活動の中から地道に薬害問題を考えることも大切です。
10月もいくつか薬害問題を考える機会があります。

10月19日(水)午後6時~8時:厚生科学審議会医薬品等制度改正検討部会(厚生労働省・霞ヶ関)
10月21日(金)午後7時~9時:薬害エイズを考える山の手の会(東京ボランティア市民活動センター会議室C・飯田橋)
10月25日(火)午後1時30分~:薬害イレッサ訴訟控訴審口頭弁論期日(東京高等裁判所101号法廷・霞ヶ関)
10月29日(土)午前10時30分~12時:タイアップ東京学習会「薬害イレッサ問題について考える」(日本民主法律家協会会議室・新宿御苑前)
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高橋是清という楽天家ー現代に必要なもの

2011-09-29 20:07:53 | 日記
金融大恐慌を乗り切ったダルマ宰相高橋是清はそうとうな楽天家だったそうです。若い頃から常に夢を持ち続け幕末にアメリカ留学したときは奴隷に売られ、相場師で失敗したり南米ペルー銀山の経営に失敗したりしても気にもせず幾多の困難を持ち前の明るさで乗り切ってきました。その労苦と挫折の体験が日銀総裁を経て大蔵大臣になり国を背負って総理大臣になって金融大恐慌を乗り切ったのでしょう。しかし、今の永田町のように大臣に失言があると総理の任命責任といって身体検査はどのようにしただのいろいろ言われて、高橋是清のような経歴では、真っ先に大臣候補から外されていたでしょう。現代のような大不況には高橋是清のような労苦や挫折を体験し乗り切った経験が必要だと思います。その労苦や挫折は失敗の履歴として真っ先に人選から外されてしまう今日、どのような人物がこの大不況を乗り切れるのでしょうか?現代こそ高橋是清のような人物が必要であり巷には多くの高橋是清のような人物は存在していると思います。
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新規HIV感染者数・新規AIDS患者数が発表されました

2011-09-28 19:30:14 | 日記
四半期ごとに出されている新規HIV感染者数・新規AIDS患者数が昨日発表されました。
http://api-net.jfap.or.jp/status/index.html
新規HIV感染者数は217件で前年同時期より減少。新規AIDS患者数は136件で前年同時期より増加。また、抗体検査件数と相談件数は前年同時期より減少しているとのことです。
新規AIDS患者数の増加や抗体検査件数の減少が気になります。HIVは抗体検査により早期発見して治療に入ればAIDSを発症することはありません。残念ながらAIDSに対する社会の理解不足からまだまだ差別・偏見が存在しています。社会の中でAIDSに対する理解を深めHIV感染者・AIDS患者と共に暮し命を大切にする社会を社会の中で分かち合い共有していくことが大切です。
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どんな時代にも景気・不景気はあるものだー勝海舟の視点

2011-09-27 21:50:16 | 日記
世間では不景気だ、どうのこうのと言っておりますが、どんな時代にも景気。不景気はあったでしょう。こんなとき勝海舟はこう言っています。
「世間では不景気だなどと嘆しているが、これは上に立つひとの心がけひとつで、ずいぶん救済の方法もあるものだ」(勝海舟「氷川清話」より)
さて今の永田町は何をしているのでしょうか?
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世の中が混沌としてくると切り捨てられるのは・・・

2011-09-26 21:31:02 | 日記
世界経済が非常に厳しい状況の中で日本経済も影響を受け今日の株価は今年最安値に近い水準までいきました。どこもかしこも景気が悪いと人はうつむきかげんです。他人などかまってられないのが本音なのか・・・。自分も頑張らねばとついつい空回りしてしまいます。自分のことで精一杯、周りのことは目がゆきとどかない、社会が見えなくなってしまう・・・。
でも一歩立ち止まって、ゆっくり、じっくり考えてみましょう。
世の中が混沌としてくると、自分のことしか考えられなくなり、必ず切り捨てられる人々がいるということ。
それは社会の無関心の始まりです。時間的、物理的な余裕があるとかないとかではなく、社会の中で起きている出来事に気付かなくなっている自分がいるということでしょう。では気付くにはどうしたらよいのでしょうか?
以前に私は足に障害を持つ方の介助をしたことがあります。都心に住んでいる障害者の方を電車に乗ってコンサート会場まで介助しました。大きな駅の乗り降りは大変で私は車椅子を押しているだけで精一杯でどのようにして駅のホームまで行けばよいのか悩んでしまいました。そんな時、その障害者の方から「デパートに入って」といわれ人ごみの中、すすんで行くと駅までたどりついたのです。介助者の自分が全て何とかしなければと思っていたのが、実は障害者の方のアドバイスで、上手に行くことが出来ました。人は人と人とのつながりの中で上手に出来るのでしょう。障害者を切り捨てられる弱者だと思って、何とかしなければと気持ちだけ思っていても、自分の中で無意識のうちに切り捨て見えなくなっている自分に逆に障害者から教えられ気付かされました。
こんな混沌とした社会だからこそ、社会から切り捨てられ苦労して生きている人こそ、その生きるすべを知っているのでしょう。
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