笑顔の江川

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尊敬する勝海舟や田中正造のコメント

勝海舟の人生を振り返る(5)-自分の地位にこだわらず人物との出会いを大切にする

2017-06-30 20:36:55 | 日記
勝海舟が幕府のはじめて役に付くのが33歳、役職に就くのは37歳の軍艦操練所教授方頭取で当時としては随分と遅咲きです。人は役職に就くと自分の地位にこだわり保身に走って自分に地位に有益な人としか交流しなくなります。勝海舟の面白いところは、そこが自分の地位に不利というか害を及ぼすような人物でもこれと思うとあっていることです。それが後に難しい情勢の時の役に立っているのです。勝海舟が36歳の時、幕府軍艦咸臨丸に乗って薩摩藩山川に行ったとき薩摩藩主島津斉彬に会っています。これはある意味、幕臣が外様大名に会うと幕府から疑われ自分の地位に不利になることでもあります。勝海舟はそんなことは気にせず、これと思う人物には会うのです。

「斉彬公は、えらい人だつたよ。西郷を見抜て、庭番に用ゐたところなどは、なかなかえらい。おれを西郷に紹介した者は、公だゆ。それゆゑ、二十年も以後に、初めて西郷に会つた時に、西郷は既におれを信じて居たよ」(勝海舟「氷川清話」より)

江戸城無血開城の勝海舟と西郷隆盛との談判での信頼関係は会わずとも、すでにこのころから基礎が築かれていたのです。
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がんの個別化医療に患者さんの声を

2017-06-29 21:36:43 | 日記
バイオ医薬EXPOの2日目にがんの個別化医療をテーマに患者の立場からキャンサー・ソリューションズの桜井なおみさんが講演しました。バイオ医薬品業界のイベントで患者さんから生の声を聴くのは珍しいこと。私も興味深く拝聴しました。講演の後にシンポジウムもあり国立がん研究センターの中釜総長や京都大学大学院医学研究科の武藤教授、内閣官房医療戦略室の大島次長も加わりこれからのがん治療やがん教育の在り方なども話し合われました。このような場で患者さんの生の声を反映させていくことは大変重要なことです。医療技術や医療制度、社会保険制度について専門家の意見を聞くことだけでなく、患者さんの生の声を聞くこと、また、医療の在り方や患者さんの医療の関わり方、生き方といったことも国民レベルで考えていくことが必要だと思います。まさに哲学的な点が必要です。
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医薬品業界の動向を見に行く

2017-06-28 20:57:38 | 日記
今日は東京ビックサイトで行われているバイオ医薬EXPOというイベントに行ってきました。製薬企業をはじめバイオ医薬分野の企業が150社関連企業を含めると2000社あまりが集まり各社ブース展示しています。また併設の講演会場ではバイオ医薬の動向、医薬品業界の動向など企業関係者が講演しています。製薬企業の開発担当部門から抗HIV薬の歩みを聞きました。私は情報収集のため、この様なイベントにも参加していますが、近年目立つのは医学薬学理工といった大学の研究部門がブースを出して参加して積極的に企業にPRする姿が出てきている点です。こういった動向も見ながら活動に関わっていきます。
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63回目の誕生日を迎えて

2017-06-27 21:19:58 | 日記
今日は私の63回目の誕生日。最近とみに体力が衰えて歩く時間もずいぶんかかっています。体力と反比例して動いているのが活動です。薬害エイズ被害者との出会いから関わっている薬害問題の活動は22年。HPVワクチン被害問題も裁判になりここのところ夜の会議もだいぶ増えてきました。がん哲学外来メディカルカフェも王子に加えて北千住もカフェが立ち上がりがん哲学外来の集まりも多方面に増えてきました。人間とは不思議なもので役割が与えられると気持ちが上がって自然と体が動いていきます。人間はやはり精神的なものが動かしていきます。人のつながりから様々なところでお力をいただき感謝しております。人のつながりを大切にして、まあ体のことを考えながら動いていきましょう。
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勝海舟の人生を振り返る(4)-青春時代

2017-06-26 20:40:18 | 日記
勝海舟の青春時代と言ったら、やはり蘭学と長崎海軍伝習所だと思います。無役の貧乏旗本の御家人は独学で蘭学を勉強して塾を開きます。蘭日辞書「ズーフハルマ」の書写2部は一冊を売って生活の足しにするわけですが、この苦労は無役から幕府の蕃書翻訳勤務を命じられ、それが長崎海軍伝習所勤務を命じられるわけです。この時期の勝海舟は生き生きしていました。好奇心の強い勝海舟にとって扱うものが当時としては最先端で新しいもの珍しいものばかりです。オランダ海軍教官であるカッテンディーゲとの出会いも大きいです。長崎時代の勝海舟は恋もしています。正に勝海舟の青春時代でしょう。どんな人でも人生の中で、その人の姿勢が素敵な人との出会いがあり、人生を開花させていくものと思います。それが遅かれ早かれ。勝海舟が幕府からはじめて役を命じられたのは33歳です。坂本龍馬をはじめ幕末の多くの志士は30歳前後で活躍し亡くなっている志士も多くいる歳です。当時としては勝海舟は遅咲きであったということです。人生何があるかわかりません。
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