プロメテウスの政治経済コラム

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特待生制度  野球だけがダメなわけは? 戦前にさかのぼる野球憲章の歴史

2007-05-04 18:43:45 | スポーツ
日本高校野球連盟は3日、日本学生野球憲章違反となる特待制度の全国調査の最終結果を発表した。軟式を含めた延べ4768校の加盟校中、制度を実施していたのは延べ384校、適用部員は7971人に上った。軟式で違反の8校はいずれも硬式と同一校で、実質的な違反校数は376校。
憲章違反の申告をした学校は、都道府県別では福岡が最も多く27校(804人)で▽愛知26校(514人)▽東京20校(214人)▽千葉18校(210人)▽埼玉17校(266人)の順。高知県だけは違反校がなかった(毎日新聞5月3日20時22分配信)。

高校野球連盟は、その気になれば簡単に調べられるのに特待制度をそのまま放置してきた。憲章が現場では形骸化しており、ルール違反の意識も鈍感になっていたのではないか。プロ野球界も有力アマ選手をめぐる不正な金銭の授受が常態化していた。その土壌となる制度があったからである。特待制度もこれだけ広く行渡っているということは、重い学費、寮費負担などの軽減と学校の生徒募集宣伝というそれなりの存在根拠があったのであろう。
学生野球憲章第13条は、野球部員であることを理由に、学費の免除や金品を受け取ることを禁止している。
憲章の歴史は、60年以上前にさかのぼる。1946年に前身となる「学生野球基準要綱」が日本学生野球協会の結成と同時に、制定された。この要綱は32年にできた「野球統制令」廃止との関係で緊急に作られたものである。「野球統制令」は、戦前、学生野球が全盛だった時代に、中等学校(現在の高校)が選手の激しい争奪戦を繰り広げるなどしたため、文部省が規制に乗り出したものだった(「しんぶん赤旗」同上)。
1949(昭和24)年3月、日本学生野球協会は、「学生野球基準要綱」の基本方針を日本学生野球憲章に発展させることを決定し、同年8月からの特別委員会で審議され、1950(昭和25)年1月、評議員会で議決され、制定された。

32年の文部省訓令(「野球統制令」)は、「前文」、「小学校ノ野球ニ関スル事項」、「中等学校ノ野球ニ関スル事項」、「大学及高等学校ノ野球ニ関スル事項」、「入場料ニ関スル事項」、「試合褒章等ニ関スル特殊事項」、「応援ニ関スル事項」、「附則」からなる。さまざまな限定事項、禁止事項が指示されているが、「試合褒章等ニ関スル特殊事項」のなかで、今回問題になった特待―選手を理由とした学費・生活費の支給―禁止がすでに書かれている文部省が訓令を発した目的は、学生野球の問題に対する取り組みとしてだけではなく、スポーツの純粋性をことさら強調し、スポーツを通じた国民の思想善導の意図も見え隠れする。いずれにしても、「野球統制令」は「野球基準要綱」→「野球憲章」へと引き継がれたのだ。

学生野球が教育の一環であることや、フェアプレー精神の体得を目指すなどの大事な目的があることは事実である。しかし、この憲章が時代にふさわしいかどうかの議論が他のスポーツとの兼ね合いも考えてなされるべきだろう。高校生が心身ともに健全に成長・発達することを第一義に憲章制定の経緯、原点に立ち返り、よく話し合うべきである
日本高野連は今後、各都道府県高野連の役員を務める私立校の校長を集めて「特待生問題検討私学部会」を発足させ、幅広い意見を募って特待制度の明確な基準作りに着手する。24日、日本高野連で第1回会合を開き、11月下旬の全国理事会、評議員会までに提言をまとめる予定だという(毎日新聞 同上)。
それにしても、5月末まで試合に参加できない特待生は可哀想である。復帰してからの周囲の目も気になるところである。今月末までに特待契約を解約される保護者も急に負担が増えて大変なことだろう。

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