プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

楽しみなイヴィツァ・オスィム監督 心配なサッカー協会

2006-08-05 18:46:37 | スポーツ
日本サッカー協会は4日、イヴィツァ・オスィム日本代表監督就任初戦となるTrinidad and Tobagoとの親善試合の日本代表メンバー13人を発表しました。現在A3チャンピオンズカップに千葉、G大阪が出場、遠征に出ているチームもあって、全チームから選手を選ぶことができず、異例の少人数招集となりました。イヴィツァ・オスィム監督は、門外漢の私たちにも魅力的な人のようです。協会の度量と力量の方が心配です。

サッカーの試合は、部外者から見ると、いまやっているのは、リーグ戦なのか、なにかの大会の予選なのか、はたまた親善試合なのか、実に分かりづらい。過密スケジュールで人選が13人になってしまったというのも分かりづらい話です。オスィム監督に同席した日本サッカー協会の田嶋専務理事によれば「スケジュールはシーズンはじめに優先権が決まっていた。オスィム監督には申し訳ない」とのことですが、「今後はこうしたことがないように願いたい」(オスィム監督)ものです(「赤旗」2006年8月5日)。
問題は9日のトリニダード・トバゴ戦にとどまりません。16日にはアジア・カップ予選のYemen戦を控えています。しかし、これも12日にJリーグがあって合宿が中断してしまいます。これでは誰が監督でも効果的な強化はできません(「赤旗」同上)。

イヴィツァ・オスィム監督の人物像ついて「赤旗日曜版2006年8月6日号」が『オシムの言葉』(集英社インターナショナル)の著者・木村元彦さんに聞いています。
オスィム監督の「オスィム語録」が話題になっています。
●「アイディアのない人間でもサッカーはできるが、サッカー選手にはなれない」
●「レーニンは『勉強して、勉強して、勉強しろ』といった。わたしは選手に『走れ、走れ、走れ』といっている」
●「(ドイツW杯での失望をどうとらえるかという記者の質問に答えて)楽観的に物事をとらえていなければ、失望することはない」
●「新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから」
「当初はユーモアのよろいをまとってはぐらかされているが、日本人はやがてオシムがどれほど偉大な監督であるかに気づくであろう」「結果として日本サッカー協会は最適の人物を選んだと思います」

「オスィム語録」は門外漢の私たちから見ても哲学的で含蓄があり魅力的です。オスィム監督は、旧ユーゴスラビアの監督として、祖国の崩壊が同時進行するなかで、1990年W杯イタリア大会で、内部分裂しかねないチームを8強に導きました。多民族国家ユーゴスラビアは各民族の独立機運が強まり、チーム編成にもマスコミや各民族からさまざまな圧力がかかりました。そんななかで、オスィム監督は、自己の「サッカー哲学」の基準を堅持し、偏狭な民族主義者たちの要求に屈しませんでした。各民族国家に分裂独立した後も、どの民族のサッカー関係者やファンから厚い信頼を集めています(「赤旗日曜版」同上)。

オスィム監督は、攻撃的で運動量の多いサッカーを要求するのは間違いありません。日本代表の強化は、選手を走らせることから始めるでしょう。「むだな親善試合をさせることより、まず選手を合宿で走らせたい」と話しています。オスィム監督の魅力は、相手が誰であっても態度が一貫していることです。権力者やスポンサーにおもねることなく、ファンである一般市民もぞんざいに扱いません。
おそらく強化日程などについても協会にはっきり物申すでしょう(「赤旗日曜版」同上)。
協会の力量と責任が問われています。

【注】イヴィツァ・オスィム(Ivica Osim)のカタカナ表記については、今日(8月5日)の「朝日新聞」“私の視点”でハンガリー在住の盛田先生(元法政大学教授)が原語の発声になるべく忠実に人名を表記するのが世界標準であり、慣用表記を見直すべきではないかと述べられており、借用しました。


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