プロメテウスの政治経済コラム

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安倍晋三元首相の「国葬」をどう考えるか  法的根拠の問題と実質的評価の問題

2022-07-27 22:08:28 | 政治経済

 安倍元首相を「国葬」に付そうという岸田首相の即断即決的な決定は、どうも裏目に出たようだ。「えっ? あの安倍元首相を国葬に? ご冗談もほどほどに」と言うのが、政治にいくばくかの関心を持つ者の大方の声であろう。

 

これについては、法的根拠の有無等の法律上の問題と、国葬を行うことの是非という実質面の問題の二つがある(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022072300002.html)。

郷原信郎弁護士は、戦前に行われていたような、天皇・皇族の葬儀と同等の儀式で、当日は、国民も喪に服するような「国葬」を行うためには、そのための法的根拠が必要であり、国葬令が廃止され(1947年12月)、それに代わる法律が制定されていない以上、いくら「国に偉大な功績を残した者」(実は、これが安倍氏の一番問題なのだが)であっても「国葬」を行うことはできないと解するべきだという。ただし「国の儀式」として、閣議決定をすれば、「国が喪主となる葬儀」自体=「国葬儀」の実施は、法的に可能ではないかという。「国民が喪に服す」ことを事実上強制するような「国葬」は行い得ないが、「国が喪主となる葬儀」自体が行えないというわけではないというわけである。現に、全国戦没者追悼式、東日本大震災追悼式等は「国の主催で行われる儀式」であるが、これらについては格別の法的根拠はなく、内閣の権限と判断で行われている。

 

 問題は、安倍元首相の「国葬儀」を実施することが妥当なのか、適切な判断と言えるのかという実質的評価の問題である。

 慶応大名誉教授(憲法学)の小林節さんは、「国会には、立法権と国費の支出を根拠づける財政処分権がありますが、内閣にはそれらの権限はありません。」「安倍元首相は、まだ歴史的評価が定まっていない政治家なんです。 『森友・加計学園』や『桜を見る会』の問題は、安倍元首相の権力の私物化とも考えられます。官僚の人事権を官邸が握ることで、官僚を支配してきた安倍元首相の手法により、官僚も堕落した。権力による隠蔽などが明らかにされてから、安倍元首相の歴史的な評価がなされるべきです」「国内外から幅広い哀悼、追悼の意が寄せられたというのも、安倍元首相は、首相在任期間が長かったから国際的に顔を知られており、各国首脳は外交儀礼上、哀悼の意を唱えた。それをもって日本の評価を高めたというのはおかしな話です」という。(https://dot.asahi.com/dot/2022072600079.html?page=3

 

 そして今や、週刊誌だけでなく一般紙も含めメディアは一斉に、岸信介元首相以来の岸・安倍3代に及ぶ統一教会=国際勝共連合との深い癒着関係の探究が始まっている。在任期間が長いだけで、改憲も拉致も北方領土もアベノミクスも口数ばかり多い割には何のレガシーもない安倍元首相。「国葬儀」に値する人物なのか「ご冗談もほどほどに」と言ったところであろう。


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