プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

米国の圧力に抵抗する韓国映画人―「韓流」の底力

2006-02-07 13:11:15 | スポーツ
韓国の人気俳優、チャン・ドンゴンさんが6日、ソウルの国会前で、一定日数以上の国産映画の上映を義務づけた韓国の「スクリーン・クオータ制」縮小に反対する「一人デモ」を行いました。韓国政府は今年1月、ハリウッド資本の意向を受けて自由貿易協定(FTA)交渉推進の口実で圧力をかける米政府に対し、「スクリーン・クオータ制」の縮小を打ち出しました。韓国映画界はこれに反発し、有名俳優らが日替わりで「一人デモ」を行っています。四日に「一人デモ」を始めた名優アン・ソンギさんによれば「デモ参加を要請しなくても、志願者が次々と現れる」とのことです。日本やアジアで起きた「韓流」ブームの背景には軍事政権下で鍛えられた韓国映画人の底力があります。
韓国映画が花開くまでには、映画人の不断の苦闘がありました。日本の植民地支配からの開放と南北分断。映画は、「反共」を国是とする軍事独裁政権の文化統制に苦しめられます。朴正熈政権下の60年代から70年代にかけて「映画が死に、俳優が死んだ。韓国映画は世界から遮断された島のような状態だった」といいます(映画振興委員会アン・ジョンスク委員長)。シナリオ、脚本、完成フイルムすべてに検閲が加えられました。自由や民主主義を賛美した外国映画は、“危険映画”として厳しい輸入統制下におかれました。政権におもねる国策映画を作った映画会社には、外国映画の輸入枠(クオータ)が与えられるので各社は反共国策映画を粗製乱造しました。
軍事政権下の検閲と統制に苦しめられ衰退した韓国映画は、80年代の民主化運動の高揚とともに新たな歩みをはじめます。この過程で88年に米映画の直配が開始され、93年には輸入の大幅自由化がおこなわれ、ハリウッド映画が席巻。国産映画のシェアは15%台にまで落ち込みます。このとき、韓国映画人は韓国映画存続の危機として「スクリーンクオータ監視団」を結成します。
軍政時代に導入されたスクリーンクオータは、もともと、民主主義や自由を描いた外国映画を国民に見せないための制度でした。韓国映画人はこれを韓国映画振興の武器に変えたのです。スクリーンクオータ制度によって国内の映画館に年間146日間の国産映画上映を義務付けました。
98―99年スクリーンクオータ廃止を要求する米政府は当時の金大中大統領に圧力をかけました。金大中政権が圧力に屈しかけたとき、韓国映画界を代表する監督、俳優らは自らの「遺影」を掲げデモ行進し、民主化運動の聖地・明洞聖堂に座り込みました。
96年事前検閲制度が廃止され、97年の大統領選で当選した金大中大統領は「支援すれども干渉せず」の公約のもと映画振興基金を創設しました。朴正熈時代の検閲・統制機関の映画振興公社は99年に映画振興委員会に「大脱皮」を遂げました。
韓国映画人の苦闘により勝ち取られた「表現の自由」は、北朝鮮の女性工作員を恋愛の対象として描いた『シュリ』、南北兵士の友情と悲劇を描いた『JSA(共同警備区域)』、そして最近の『ブラザーフッド』に結実していきます。長く続いた独裁政権下で「反共」宣伝の道具に使われ、「北朝鮮は悪魔。韓国は正義」と描いてきた映画は、いま「分断と敵対から和解、統一」を正面に据えるようになりました。
昨年10月17日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、「文化多様性条約案」の総会採択を勧告する決議案を賛成151で可決しました。同条約は、グローバル化の否定的影響から文化の多様性を守り、民族的伝統や少数言語などの維持を促すことを目的としたもので、米国文化産業が世界を席巻することへの危機感から、フランスやカナダが提唱してきました。反対したのは、米国とイスラエルだけ(オーストラリアとキリバスが棄権)。米国の孤立が際立ちました。
私たちは、今回また「市場開放」を要求する米国の文化侵略に抗する韓国映画人の抵抗運動の行方に注目したいと思います。『宮廷女官チャングムの誓い』のイ・ヨンエさんは『親切なクムジャさん』で受賞した賞金を全額「スクリーンクオータ文化連帯」に寄付し頑張っています。


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