プロメテウスの政治経済コラム

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日本の無条件降伏65周年  日本も韓国も米軍という不純物を抱えたままの戦後

2010-08-16 22:00:17 | 政治経済
昨日は、日本の無条件降伏65周年、65回目の終戦記念日であった。アヘン戦争に始まる「ウェスターン・インパクト」を受けて日本は、欧米帝国主義諸国に「追いつき追い越す」ことを目指して、明治維新によって天皇制近代国家を樹立した。明治政府は、東アジアに押し寄せてきた欧米諸国を「対外危機」として、軍事力によるアジアの編成替え(大東亜共栄圏)を目指した。軍事力での侵略とアジアの日本中心的編成替えという政策は、同じように軍事力を使用した欧米諸国の反撃と、アジア各地の民衆の反乱により、見事に敗北した。
連合国の軍事力で完膚なきまでに否定された日本は、1947年5月3日に施行された日本国憲法のもと、<軍事力なき国家と社会>として再出発するはずであった。そして「戦前日本」のアジアに対する侵略と植民地支配による責任の問題も日本国憲法体制下の「戦後日本」が独自に処理すべきはずであった。
しかし、戦後処理に関わる条約・協定などの大枠を決定した1951年のサンフランシスコ平和条約は、日本を目下の反共同盟国に育てることを企図したアメリカの指導下で締結され、日本国民が自主的に戦前問題を処理したものではなかった。国内的には、米軍による沖縄の軍事的植民地的支配の運命を決定付けた。
日韓基本条約(1965年)もベトナム戦争への本格参戦を控えた米国の主導のもとに締結された妥協の産物であり、日韓両国民の納得の上での自主的な条約とはとても言えない。現在、「韓国併合」100年に当たっての菅首相談話をめぐってさまざまな議論が起こっているが、日本も韓国も米軍という不純物を抱えたままの戦後であり、主体的外交戦略を持たない者同士の諍いである。

なぜ日本は、戦前のジアジアに対する侵略と植民地支配による責任の問題を正当に反省していないと、事あるたびに言われるのか。それは、アメリカの家来になることによって、都合の良い国際条約を押し付けることができ、法的に安全な立場にのさばっているあるからである。
例えば、従軍「慰安婦」、強制連行された朝鮮人・中国人などから、個人に対する補償問題が提起されると日本政府は決まって次のように答える。
日本は1951年のサンフランシスコにおいて平和条約を締結した。この条約こそ日本の戦後処理の大枠を決定した講和条約である。サンフランシスコ平和条約第14条は、日本は損害賠償の支払い義務があるが、支払い能力が十分ではないとして、「連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する」とし、すべての賠償請求権を放棄させた。「賠償」とは「戦争中に生じさせた損害および苦痛」の対価であり、この条約によって、そうした戦争にまつわるすべての請求権を「連合国及びその国民」が放棄することに同意したではないか。
また、交戦国ではない韓国とは、日本が経済協力をする代わりに韓国が請求権を放棄することで決着した (日韓基本条約 1965年)。現在 この問題に決着が付いていないのは、平和条約が結ばれていない北朝鮮だけである。つまり、日本の朝鮮統治を清算するという方式で「戦後処理」が行われ、無償三億ドル、有償二億ドルが韓国に供与された。日韓の請求権・経済協力協定はこう規定している。「両締結国は、両締結国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締結国及びその国民の間の請求権に関する問題が……完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」(第二条第一項)
一方、中国の場合はどうかというと、1972年の日中共同声明、1977年の日中平和友好条約によって「戦後処理」がなされたが、賠償・請求権問題については、共同声明において「中華人民共和国政府は、日中人民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」と規定されただけであった。つまり、共同宣言で放棄したのは国家としての「戦争賠償」であって、中国国民が損害賠償請求権を放棄したかどうかまでの明文規定はない。


戦前の日本は、日清戦争の1894年以来、1945年のアジア・太平洋戦争敗北まで、アジア侵略の50年を続け、敗戦後は、アメリカ帝国主義の世界戦略のアジアにおける拠点として、進んで対米従属の同盟関係を結ぶことで、アメリカの庇護のもとに経済復興とアジアへの経済進出を進めてきた。日本の50年戦争によって植民地化を余儀なくされた朝鮮は、南北分断国家となり、韓国は日本同様対米従属の同盟国となった。日本の植民地支配に対する責任問題は、韓国も北朝鮮も同じだが対米従属下に入った韓国国民は、朴軍事独裁政権のもとで1965年、日韓基本条約の締結を余儀なくされた。気に入らなくてもそれが歴史の現実である。だから、戦後補償問題を現在の法律で正面突破することは困難である。また、それをいいことに日本の保守は、侵略や植民地支配の責任はすべて決着済みと声高に叫ぶことになる。韓国民からすれば、悔しくしてしかたないだろう。

しかし私から見ると、日本も韓国も米軍という不純物を抱えたままの戦後であり、主体的外交戦略を持たない者同士の諍いとしか見えない。肝心なことは、米軍という不純物をアジアから取り除いた上で、アジアの問題は、アジア人同士で対等に差しで話し合うことだ。



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