プロメテウスの政治経済コラム

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「安倍首相」から「菅首相」が出てくるマトリョーシカ―与党も本当にこれで良いのか

2020-09-03 18:33:45 | 政治経済

 自民党主流派は、「安倍首相」から「菅首相」が出てくるマトリョーシカの道を選んだようだ。菅官房長官のGo Toキャンペーンのゴリ押しや、記者会見で都合の悪い質問が出ると一方的にコミュニケーションを遮断する様子(「そのような指摘は当たらない」「全く問題ない」―いわゆる菅話法)を見ていると、菅政権が誕生したら「安倍1強」がむしろコアな形となって続くとしか思えない(https://bunshun.jp/articles/-/40018?page=2)。

 

 誰もが、薄々気付いていることだが、日本は連続性の、最近数十年間、漸進的に、非常に緩慢に凋落している国なのだ(http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-45204b.html)。安倍政権7年8カ月をどう総括するかと問われたら、私は「知性と倫理性を著しく欠いた首相が長期にわたって政権の座にあったせいで、国力が著しく衰微した」という評価を下す。日本は今もGDP世界三位だし、軍事力でも世界五位の「大国」である。国際社会の中では「先進国」として遇されている。けれども、日本が「あるべき国際社会」を語り、その実現に向けて指導力を発揮することを期待している人々は国内外を探しても見当たらないし、経済的成功のための「日本モデル」や、世界平和の実現ための「日本ヴィジョン」を日本政府が提示するだろうと思っている人もいない。これだけの「国力」がありながら誰も日本にリーダーシップを求めていない(http://blog.tatsuru.com/2020/08/29_1014.html)。

 なぜか。「倫理的インテグリティ(廉直、誠実、高潔)」というものに価値を見出さない政府であり、国民だと思われているからである。倫理的なインテグリティを重んじないと思われている国は、いくら金があろうと(もうあまりないが)、いくら軍事力を誇ろうとも、いくら「日本スゴイ」と自ら言い募っても、誰からも真率な敬意を示されることがない(同上)。

 

 7年8カ月の安倍政権を眺めて来て国民が知ったのは、政治家であれ、官僚であれ、財界人であれ、メディアのトップであれ、彼らの行動は「国民全体の福利」をめざすものではないということであった。彼らは自分の党派、自分の支持者、自分の縁故者、自分自身のためにその権力を活用する。そのことを私たちは知らされ、受け入れてきた。
「勝ったものは正しかったから勝ったのだ。多数を制した党派は真理を語ったので多数を制したのだ」という現実肯定の思考停止のうちに多くの日本人は埋没させられ、マスコミも真相を語ることはなかった。そして、それが劇的な国力衰微の理由だったと私は思う。
国民の多くが「私の個人的努力の目標は自己利益の増大であり、私の個人的努力が国民の福祉や国力増大に資するような直接的な回路は存在しない」という白けた気分でいるときに、国全体のパフォーマンスが上がるわけがない。日本はいまそういう国になった。

 

 長年定着してきた憲法解釈や政府見解を、時の内閣が都合良く変えてしまう。人事で官僚を掌握し、自らに忠誠を誓う者を重用する。森友、加計学園や桜を見る会、検事長の定年を延ばすための検察庁法の解釈変更など「安倍1強」のやりたい放題を7年8カ月、主導してきたのが菅官房長官であった。9月2日の菅氏の出馬表明の席で細田派(98人)、麻生派(54人)、竹下派(54人)の領袖たちは、口々に安倍政治の継承を訴えた。7年8ヵ月にわたって築かれてきた利権構図を壊したくないというだけであった。

「倫理的なインテグリティ」を完全に喪失した自民党に、もはや日本の政治を担う資格がない。

 

 


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