プロメテウスの政治経済コラム

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安倍官房長官 4月に靖国参拝 だんまりを決め込む挑戦的態度

2006-08-06 19:12:34 | 政治経済
安倍晋三官房長官が今年4月15日に靖国神社を参拝していたことが、4日表面化し、波紋を広げています。「ポスト小泉」の有力候補である安倍氏の「参拝したかしなかったかについて、いうつもりはない」(記者会見での発言)という挑戦的態度は日本の外交的孤立をいっそう深刻にする恐れがあります。

首相や官房長官、外相などの有力閣僚が靖国神社に参拝することになぜ内外の注目が集まるのか。

国際社会は、第二次世界大戦という悲惨な歴史的な経験から、一致した結論を引き出しました。ドイツ、イタリアがヨーロッパでやった戦争、日本がアジアでやった戦争、これはいかなる大義ももたない侵略戦争であり、二度とこのような不正不義の侵略戦争を起こしてはならないという共通の世界的な認識です。
その評価をくつがえそうなどという流れは、ネオ・ナチなどの極右勢力を別にすれば、国レベルでは、一国をのぞいて世界のどこにもありません。その一国とは日本です。日本の戦争にたいして国際社会が下した審判は“戦勝国の勝手な結論”だといって日本の戦争の“名誉回復”をはかろうという声が、政治の中枢、マスコミ、教育の世界で時々の強弱がありますが、終始一貫横行しています。

いろんな歴史的経過があったにせよ、戦後60年以上たって、日本は戦後国際政治の原点を、いまだに確認できていないと国際社会は考えざるをえません。

侵略戦争を二度と起こさないという国際認識にたって当初、日本でも、憲法に「日本国民は、…政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し…」と明記しました。しかし、日本の現実の政治は、この線に沿って展開されませんでした。アメリカの占領政策の転換で、戦争を推進した政党である政友会・民政党の二大政党の後継者や戦前の官僚が、戦後も日本の政治を握り続けました。鳩山内閣の重光葵外相(東条内閣の外相)、岸信介首相(同商工相)、池田内閣の賀屋興宣法相(同蔵相)など戦前の戦争推進派が堂々と復活したのです。
「過去の一時期の日本の国策」をまとまった形で「植民地支配と侵略」の言葉で特徴づけ、反省を表明した95年の村山見解がでるまでに戦争終結から五十年かかりました。それも「侵略戦争」の言葉を避けるという狡猾なものでした。

靖国神社が戦争中、戦死者を「神」としてまつることで、国民を戦場に動員する役割を果たした神社であることは、否定できない歴史的事実です。大東亜戦争批判によって「祖国に汚名が着せられたまま」の日本の戦争の真実は、「自存自衛のため」の、「皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため」の戦争であったという世界の共通認識に真っ向から挑戦する立場を宣伝し続けているのも靖国神社の否定できない現実です。

首相や内閣のかなめ役である官房長官がそういう靖国神社に参拝することは、95年の村山見解も口先だけであったということになり、日本は結局、戦後国際政治の原点を認めていないのだと受け取られても仕方ないということです。それは、日本とは国際社会に正面から向き合わない国だということを意味することになります。このような国は、まともに相手にする国ではなく、経済大国として利益をくれる限りでの付き合いということになります。不利益に対しての批判がより強いものとなるのは必然でしょう。

安倍官房長官は、「心の問題」と開き直り批判にさらされている小泉首相の「度胸」もなく、「参拝」自体を隠すことで批判そのものを拒否する態度です。批判を受け付けようとしない卑怯な態度を、いっそう悪質で、挑戦的だと国際社会が受け取っても不思議ではありません。





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