プロメテウスの政治経済コラム

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広島・長崎65年 みんなが核兵器のない世界へ具体的行動を起こそうとしているとき冷水をかける菅首相

2010-08-06 19:35:01 | 政治経済
広島と長崎への原爆投下から65年を迎えた。広島の平和記念式典には原爆投下国である米国のルース駐日大使が出席するほか、国連の潘基文事務総長も参列。英仏両国の在日大使館幹部も加わり、犠牲となった被爆者の御(み)霊(たま)に哀悼の意をささげた。
「原爆の日」に核保有国の政府代表と国連トップがそろって被爆地を訪れるのは、偶然ではない。長年にわたる被爆者を先頭にした世界の核兵器廃絶運動が核兵器保有国の政府関係者にまで影響を与え始めたということだ。私は、「核」なき道は、最終的に戦争なき道だと思う。武力で人間を抹殺して何の罪にも問われず、抹殺した人数が多いほど手柄だと賞賛される戦争は、なんと言おうと人倫にもとる。核兵器はその最大の象徴である。だから戦争好きの連中も核兵器廃絶運動を真正面から批判できず、いろいろ屁理屈をつけてきた
6日午前、広島の平和記念式典に出席した菅首相は、秋葉忠利広島市長が平和宣言で「核の傘」からの離脱を求めたことについて、「国際社会では核戦力を含む大規模な軍事力が存在し、大量破壊兵器の拡散という現実もある。不透明・不確実な要素が存在する中では、核抑止力はわが国にとって引き続き必要だ」と述べ、否定的な考えを示した。
広島でみんなが核兵器のない世界へ具体的行動を起こそうとしているときに、「核抑止力」しかもアメリカに依存した「核の傘」固執論を持ち出すとは、菅という人物は確信的なワルである。日本国民はたいへんな人物を政府代表としたものだ。

 広島の式典にルース駐日米大使が参加したことが米国内で少々物議をかもしているようだ。広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」のポール・ティベッツ機長(故人)の息子が5日、ルース駐日米大使の記念式典出席を「前例がなく、すべきではなかった」「暗黙の謝罪だ」などと批判した。米CNNテレビの電話取材に答えた。取材に応じたのは、機長の息子で米アラバマ州に住むジーン・ティベッツ氏。「原爆投下は正しかったか」と問われ、「我々は正しいことをした。多くの米兵の命が救われたうえ、多くの日本人の命を救った可能性もある」とも述べた。同氏は保守系の米フォックス・ニュースの取材にも応じ、「日本は真珠湾を攻撃した。我々は日本人を虐殺したのではなく、戦争を止めたのだ」とコメントしていた(「朝日」2010年8月6日10時35分)。
米の主要メディアが広島の記念式典を取りあげるのは異例とのこと。ルース大使の参加が米国内でもそれなりのニュースバリューがあったということだ

 普通の神経の持ち主なら、広島・長崎への原爆投下は大変なことをしてしまったと思うはずである。その証拠に、広島・長崎への原爆投下を決めたトルーマン大統領は、原爆投下は戦争集結を早め、犠牲、とくに自国兵士の犠牲を減らしたという神話を広めるときに、兵士の犠牲数を一生懸命脚色しているのだ
池田香代子さんが詳しく書いている。<これまでも、原爆は百万人のアメリカ兵士の命を救った、と言われてきました。そう信じているアメリカ人はいまなお多いようです。けれど、トルーマン大統領が軍部からうけた説明は、原爆を使用しなければ、6万5,500人の兵士が死傷する、というものでした。通常、戦死者は死傷者の5分の1から4分の1だそうです。つまり、アメリカ軍は、上陸作戦によって1万3千人から1万6千人のアメリカ兵の命が失われると見ていたわけです。ところが戦後トルーマンは、この6万あまりと見込まれた戦死者と負傷者をあわせた数を、戦死者だけの数にすりかえました。それによって4倍にふくらんだ死傷者の数25万人を、さらにもう一度、戦死者だけの数にすりかえました。そうすると、死傷者の数はさらに4倍にふくらみ、100万人ということになります。>(池田香代子ブログ「アメリカ人は今なおトルーマンの悪夢を生きている」2010年08月06日)。
トルーマンにしろ一般のアメリカ人にしろ、原爆被害のあまりのおそろしさに愕然とし、慄然とし、自分たちを正当化するために、その効果をどんどん大きくふくらませずにはいられなかったのだ

 アメリカが原爆被害の大きさを日本国民や世界の人びとに隠すために厳しい報道管制をしき、真実を秘匿したことは今ではよく知られている。被爆から1カ月たらずの9月初めアメリカの新聞や放送の記者が、続々と広島・長崎を訪れた。彼らは書いた。「(広島は)世界中の荒廃した町が一カ所に集まり、広がったようだ」「長崎はつぶれた墓場である」。しかし記事の多くは、歴史に残る第一報とはならなかった。無視されたり、紙面の片隅に追いやられたり、編集でゆがめられたり。とくに、時間がたっても人命を日々奪ってゆく原爆症についての報道は、とことん消され伏せられたのだった(繁沢敦子『原爆と検閲』)。
米国の日本占領政策の主要な柱に「加害者すりかえ」があった。戦争を引き起こしたのは暴走した軍部であり、天皇も一般国民も被害者だ。米国はその被害者を一刻も早く救うため原爆投下に踏み切った――。史上最悪の原爆という戦争犯罪は意図的に意味を変質させられ、日本はあたかも「解放者」として米国を受け入れたのである(北村 肇「編集長後記」『週刊金曜日』2010・8・6/13合併号 810号)。

 最大の核保有国は米国であり、唯一、核兵器を使用した国でもある。もし、世界から核を一掃するなら、まずは米国が実践するしかない。しかし、米国はイラクからもアフガニスタンからも撤退せず、オバマ大統領は、アフガニスタンではさらなる軍事力強化を図ろうとしている。はっきり言おう。米国を信用できないのだ。 
日本はいつまで、こうした加害者の「核の傘」に覆われているのか。核なき世界への第一歩は、わずか65年前、現実に原爆を落とされた日本こそが、「核兵器を廃絶せよ」と米国に迫ることである。その権利はあるはずだ(北村 肇 同上)。
加害者米国の「核の傘」にしがみつく菅首相の売国的、反人類的悪行をそのままにして置くわけにはいかないのだ

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