みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

The Love Of Christ, #11

2016年05月23日 | 聖書研究・信仰
アダムは眠らされた。

キリスト者に関しても同様に、死んだという表現よりも眠っているいう表現が適切だ。

何故。

何故なら、死が言及される時はいつも、そこには罪が背景にあるからだ。

創世記3章において、罪を通して世に死が入り込んだ。

しかし、アダムの眠りについては、死が入り込む前の話だ。

つまり、ここでの主イエスの型は、旧約時代における他の型とは違う。

罪と贖いとの関連において、子羊と子牛が屠られた。

しかし、あの時アダムは屠られなかった。

再び眠りから覚めるために眠らされただけだった。

かくして、アダムによって示されたことはこうだ。

罪に依るのではない死、すなわち、ある意味において復活のパワーを増強させる死があるということ。

さらに気を付けるべきことがある。

エバは独立して創造されたのではない、アダムと平行して創造された。

アダムが寝て、エバがアダムから創造された。

これは、主にある教会にも当てはまる神のやり方だ。

神の「第2の人」は、彼の「眠り」から起こされた。

主にある教会は、主にあって創造され、主から創られる。

主の命を得ることによって。





The Love Of Christ, #10-2

2016年05月23日 | 聖書研究・信仰
神は、目的に向かって真っ直ぐに描かれた、あのご計画を諦めるようなお方ではない。

アダムは神の命を得ることは出来なかった。

しかし、主イエスの死と復活における、分かつことのできない一連の御業により主の命は解き放たれた。

そして、その命は信仰によって我々のものとなった。

我々は、アダムが持っていたものよりもさらに多くのものを得た。

神の永遠の目的は、キリストを我が命として受け入れ、完成の領域に踏み込むことによってもたらされる。