第4戒
安息日と権威
p154~
The Sabbath and Authority
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony
◇◇
安息日は契約の標示であって、人の状況に対する法律ではない。
クリスチャンにおける安息日は、イスラエルの安息日とは全く異なる。
それは休息の日であり、平安の日、静寂の日。
強調すべきことは、それが神の権威であり、神の知恵ということ。
コロサイ2:16~17
こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。
安息日に関して、われわれは誰からも裁かれることがないとすれば、同じようにわれわれも誰も裁いたりしない。
契約のメンバーである限り、その日を平安のうちに守る者であるべき。
安息日は休息の一日であるがゆえに、契約のメンバーのみが休息することができる。
みことばや神の霊を通して、われわれではなく、神が契約者のうちで働く日。
それぞれの契約者が祝福と知恵において成長する日。
詩篇1
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。
まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。
安息日に歓喜できるのは、信仰の躍動があるから。
安息の休息ゆえに繁栄する。
主の中に休むことは、主の権威を受け入れることであり、彼に信頼するということ。
コメント:
・安息日について
安息日と権威
p154~
The Sabbath and Authority
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony
◇◇
安息日は契約の標示であって、人の状況に対する法律ではない。
クリスチャンにおける安息日は、イスラエルの安息日とは全く異なる。
それは休息の日であり、平安の日、静寂の日。
強調すべきことは、それが神の権威であり、神の知恵ということ。
コロサイ2:16~17
こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。
安息日に関して、われわれは誰からも裁かれることがないとすれば、同じようにわれわれも誰も裁いたりしない。
契約のメンバーである限り、その日を平安のうちに守る者であるべき。
安息日は休息の一日であるがゆえに、契約のメンバーのみが休息することができる。
みことばや神の霊を通して、われわれではなく、神が契約者のうちで働く日。
それぞれの契約者が祝福と知恵において成長する日。
詩篇1
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。
まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。
安息日に歓喜できるのは、信仰の躍動があるから。
安息の休息ゆえに繁栄する。
主の中に休むことは、主の権威を受け入れることであり、彼に信頼するということ。
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