☞ Are we living in the end times described in the book of Revelation? with R.C. Sproul, NO.1
われわれは黙示録に記載されているような終末の時代に生きているのか。
この疑問に対する師の率直な見解を聴いてみたい。
終末論(eschatology)に関して知りたいことがまだいくつかある。
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最初から2分54秒まで。
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われわれは、黙示録に記載されているような終末の時代に生きているのか。
そうとも言えるし、そうではないとも言える。
私が新正統主義、逆説的神学に傾倒していると考えないで欲しい。
*新正統主義(Neo-orthodoxy)は、16世紀の宗教改革の強調点を新しく捉え直そうとする20世紀の神学の流れに対して、アングロ・アメリカの神学界が与えた名称。
このことを説明しておきたい。
ある意味で、キリストの昇天後に起きていることはすべて終末の時代の出来事と言えるでしょう。
終末の時代は、新約聖書の時代に開始されました。
私たちは、いまだに終末の時代にいるのです。
あなたが私に問いたいのは、私たちが終末の時代の終わりにいるかどうかということでしょう。
そうであれば、黙示録に明らかにされているかの如くに、イエスの再臨が近づいているということになります。
黙示録を理解する上で大きな問題となるのは、黙示録が書かれた時期と結び付けて理解するということです。
黙示録が書かれた時期に関する報告の多くは、初世紀の90年代としています。
近年、学術的に重要な論文が報告されています。
かなりの説得性をもって私も信じているのですが、黙示録はエルサレム陥落前に書かれたと主張しています。
つまり、60年代のネロの時代です。
ローマ帝国時代において、ネロの最も有名なニックネームは獣(beast)でありました。
ここで、ひとつの疑問が起きます。
黙示録が書かれた時期を正確に知ることができれば、黙示録に記されている歴史的史実を不足なく取り扱うことができると思われます。
私が支持するのは少数派の意見ですが、ルカ書やマルコ書だけでなく、マタイ福音書にあるオリーブ山の垂訓において、イエスが語ったことは、まさにその時代の兆候だったということであります。
山上の説教において、イエスは神殿の破壊とエルサレムの崩壊について語りました。
「これらのことすべてが成就するまで、この時代は過ぎ去らない」と、主イエスは言いました。
イエスが語ったこのことばは、大変白熱した議論を引き起こしました。
かつてリベラル派のセミナーを受講したことがあります。
そこで聞いたこと、私にはそのように思えたのですが、私は毎日その授業でそのことを聞きました。
それは次のようなことでした。
「40年以内に私は戻るとイエスは教えた。しかし、彼はその約束を反故にした。聖書が神のことばによる霊的書物であると信じることができない理由がそこにある」と。
つまり、聖書の信頼性に対してだけでなく、イエスの信頼性に対しても、高慢で屈辱的な批判に晒され、オリーブ山でのイエスの預言の近未来における成就の可否が攻撃目標とされています。